とある東宮についての考察(後三条+大江匡房)
まだ尊仁親王、ですね。フルMax人間不信だった頃の話(妄想です)。
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私の上司は、とても変わった人物である。――そもそも、私の東宮学士、という立場を考えると、彼が私の上司かどうかというのは微妙なラインなのだが、ともかく一風変わった人である。
厳密に言えば、東宮学士というのは東宮、つまり皇太弟の家庭教師のようなものなので、彼は私の上司ではない。彼は私より8歳年上。無論私が選ばれたのには、私の家系――大江氏が、古くから紀伝道を家学とする学者の家柄だったというのもあるが、何より、私と東宮の年の近さが抜擢の理由になったという。
初めはなんでそんなことで、と妙な疑問を抱いていたりもした。彼が初対面の時に読んでいた書が、漢文で書かれた儒学関係のものだった、ということがあって、直後は尚更そう思ったものである。あなたは、私などがいなくても十分、東宮に相応しいほど勉強してらっしゃる。それに、他のもっと地位の高い貴族でも徳の高い方など山ほどおられるでしょうに、と。
だが、彼に仕えるようになって数年、今ではその理由に納得している。確かに彼は――東宮・尊仁親王は強烈に頭がよかった。しかし彼には、人として、人間として、重要なものがすっぱりと欠落していたのだ。それを初めて思い知らされた時のやり取りを、私はまだ覚えている。
仕え始めて3か月程経ったある日のことだった。その頃から尊仁親王は私を大江君、と呼びならわしていたが、彼は床に寝そべって書を読み、私は私で仕事をしている、そんな状況で、各々静かに作業をしていた。宮の奥深く、二人きりの部屋でだ。
『ねぇ、大江君大江君』
『はい?』
呑気な声。何だろう、と呼ばれて顔だけ振り返った次の瞬間、私は畳に押し倒されていた。
『え・・・、ちょ、何を・・・・!?』
『ねぇ、大江君ってさぁ、・・・どうしてそんなに無防備なの?』
茶色い前髪の奥、今一感情の読めない悪戯な瞳が、こちらを見つめている。
は、と我に返ってもがいてみるが、意外にも肩を押さえつけてくる力が強い。煩わしくなったのか、右手で両手首を掴まれ、頭上で拘束された。動けない。
確かに、外見だけだと性別が分かりにくい、とは時々言われる身である。こういう目に遭ったことがない訳ではなかったが、よくよく見てみれば彼の瞳には、全くそう言った“色”が感じられなかった。もしかして、このお方のしたい事は別にあるんじゃないか、そう思った私は、彼の話を聞く方に方向を転換した。
『どういう、事です・・・?』
『だからさ、言ってんの。こんな建物の奥深くで二人っきりだなんて、いつ何があってもおかしくないのにさぁ、そんな事全く気にしないで、君ってば無防備に背中晒しちゃってんだもの』
くい、と顎を掬われる。
やはりそっちになるのか、と私は改めて本格的に危機感を覚えた。そうだ、この人は素の感情をほとんど見せない御仁だというのに、私は、完全に油断していた。どうしよう、臂力じゃ敵わない。
手首を動かそうとすると、更に強く握られた。体格の差は殆ど無いはずなのに、何故だ。何故逃れられない。
彼が、にやァ、と笑った。身体が倒される。近い。端正な顔立ちの彼の息が、首筋にかかる。
『ねーえ大江君。こんな状況になればわかるでしょ?力をどこに加えるかによって、俺みたいなひ弱な奴でも、意外と相手の事動けなくさせられるんだよ』
『っ・・・ぁ、尊仁、親王・・・』
空いている左手が、私の直衣の鋲に触れる。ぷち、と外される。
そこでやはり私は、どこかおかしいと思った。こんな状況になっても相変わらず、彼の瞳に欲が映る様子はない。むしろ、だんだんと冷えていっている。寧ろこれは・・・殺気?
直衣の帯が緩められる。服が、乱されていく。まず直衣の前が開けられ、続けて単衣の襟の合わせ目の所に指が引っ掛けられた。
『ホント、可笑しいよ。なんでみんな平気でいられるの?こんなにも人を、信用できる訳?簡単にさぁ、ね、そう思わない?』
ぐい、と指が引かれる。単衣の合わせ目が広げられ、その下の肌着が覗いた。
そんな状況に反して、私は、これか、とある事を閃いていた。彼が私を暴こうとする、この目的が何なのか、ここでやっと私は理解に至ったのである。彼は別に、私を犯そうとしている訳ではない。私の持っている、あれを探しているのだ、と。
襦袢と単衣の間に、手が滑り込まされる。
『ねぇ大江君、教えてよ。君はとっても頭が良いんだからさぁ。あれ、何、意外と経験無いの?』
『たか、ひと、さま・・・』
服の中をまさぐりながら、彼はさらに笑う。何も映し出すことのない瞳。吊り上げられた口角。美しいとも皮肉げとも取れる笑顔。
懐の中の、あれに手が触れたらしい。彼の動きが止まる。する、と引き抜かれた。
『・・・・ま、合格かな。一応こういうの、忍ばせてるなら』
興が醒めたかのように、尊仁親王が体を起こす。私の懐から彼が探り出したのは、一本の短刀だ。東宮様にお仕えするのなら、と父から譲り受けたものである。
私は、ふ、と息を吐く。その間、玩具に夢中になる子供のように彼は私の短刀を眺め、そのうち鞘を引き払った。
鈍い光を放つ、刀身。小ぶりではあるが、人を殺すには十分である。刃から目を移した彼が、こちらを見ながら面白そうに笑った。
『ねぇ大江君、一つ教えてあげるよ。君も知らないようなこと。皆から将来を嘱望されている君でさえも、知らないようなことをね』
ただひたすら上を見つめるしかない私は、息をのんで彼の言葉を待った。身体は動かせない。抜身の短刀。
勢いをつけて、尊仁親王が短刀を振り降ろした。
ドスッ。
『・・・っ』
『分かってる?大江君。人なんてもの、信じちゃいけないんだよ。あんなの信じるに値しない。だから俺は信じてない、人間なんて。仏陀だって元は人間なんだろ?気が付けば周りには、あがめられている存在でさえ、人間しかいないじゃないか。天皇だって然り。天照大御神の子孫だか何だか知らないけど、あんなの嘘八百だ。神などいない。人間が、自分たちの都合のいいように物事を説明するために作り上げた妄想さ』
顔の真横、畳に短刀が突き刺さっている。吐き捨てるように言われた彼の言葉には、先ほどの予想通り、ありありと他人に対する強烈な不信が現れていた。
彼の――尊仁親王の話は、東宮学士への任命が決まった時に聞いていた。彼の兄・親仁親王と違い、尊仁親王は藤原一族を外戚に持たない皇族であり、立太子される以前からかなり、時の権力者藤原頼通・教通兄弟に虐げられていたらしい。どうにかして東宮にさせない方法はないのか。自ら辞退してもらう他にはあるまい。そう結論付けた兄弟はとことんまで、尊仁親王に圧力をかけ続けた。
最終的には、頼通・教通と仲の悪い彼らの異母兄弟、藤原能信が先の朱雀帝に懇願し、尊仁親王を立太子することに成功したのだが、このせいで更に、彼への攻撃は激しくなっていった。
母親が皇族。本来ならばそちらの方が天皇の座を継ぐに相応しい血統のはずなのに、呪いのような言葉を日々かけられ続け、挙句は皇族であることはおろか、生きていることさえ否定された結果、胸に刺さったそれらは確実に彼の心を蝕み続け、やがて彼は、人を一切信じなくなったという。それどころか人との接触までも拒絶するようになり、ひたすら御所の奥で書に埋もれる日々が始まった、のだそうだ。
あれからというもの、何が気に入ったんだか知らないが、短刀は依然、返してもらっていない。悪意があるわけではないのだろうが、部屋の片隅に立てかけられてあるそれを、いい加減返してくれませんか、と問うと、嫌だよ、とにっこり言われるのだ。それでも、時折丁寧に磨いている姿を見る限り、邪険に扱われている様子もないようだ。だから、どうせ私が日々いるのはこの部屋だけなのだから別に構わないか、と放置している。
彼自身も、初めて出会ったころと比べると大分――自惚れ抜きでも相当信頼、というかむしろ依存してくるようになった。簡単に人を信用することができない、だから一度信用してしまうとどこまでも信じ切ってしまう、どうも彼はそういうタイプの人間だったらしい。別にそれが出世につながるからとかそういう理由ではなく、私はそれを素直に心うちでは喜んでいた。誰かの事を、たとえ少人数でさえ信用できるようになったのだから。相も変わらず藤原教通はあーだこーだとうるさいが、最近は兄・頼通ともめているらしく、あまりこちらにも顔を出してこない。それそこ、平和な日々が続いていた。
何だか静かだな、と思ったら、床にうつぶせになって、書を広げたまま尊仁親王が寝息を立てていた。外から差し込む日差しに当たって暖かそうだ。
「・・・全く、東宮としての自覚がおありなのですかね・・・」
いつも彼には大江君辛辣!と言われているが、流石に直射日光に当たったまま寝こけられても困る。もう少し部屋の内側に移動させよう、とそっと彼の腕を掴もうとしたその時。
視界が反転した。
「はははっ、大江君つーかまーえた!」
「っ・・・・!?」
栗色の髪。悪戯っぽい瞳。けらけらと笑いながら尊仁親王はどんどんと私の身体にのしかかってくる。
「ちょ・・・、止めてくださいよ、暑い!」
「えー、じゃあ涼しくなればいいの?」
「そういう問題じゃないでしょうが!どいて!」
「やだよー、折角大江君が自分から寝込み襲ってくれたっていうのに」
「人聞きの悪いことを言うな。そして自分に都合のいいように拡大解釈するな」
「あ、冬になったらいいの!?」
「人の話を聞きやがれこの馬鹿東宮」
「あ、手っ取り早く涼しくなりたいなら、・・・脱がせてあげようか」
「とうとう気が狂ったか」
叫び返すのも面倒なので、しまいには真顔で悪態をついた。が、当の彼はにやにやしたままふざけるのをやめる気配がない。
―――ちっ、面倒な。
あまりこの文言は使いたくないのだが、いつまでもこんな茶番を続けていても仕方がない。下手したら傷つけてしまうかもしれないな、と思いつつ、私は言葉を放り投げた。
「だったら、私の短刀返して下さいよ。そうしたら考えないことも無いかもしれない」
危険な賭け。さあ、どうなるだろうか。
「・・・・それは、嫌だね」
一瞬の沈黙のあと、尊仁親王はにや、と笑って言った。そのまま、私の上から退く。
「あれはね、鍵だから」
「は?」
楽しげな笑みを浮かべ、尊仁親王が立てかけてある短刀を見やる。
「あれは鍵。紐でもいいかも。俺と大江君を縛る、大事なものだから」
「・・・・?」
そのまま視線をぶれさせることはない。じっと、口元を軽くゆがませて、彼は短刀を見ている。どういう意味だろうか。
続けられた言葉に、私は目を見開く。
「だって、あれは大江君の大切なものだろ?つまり、人質さ。アレを俺が持ってる限り、お前は俺を裏切らない、はず」
「・・・・・」
ゆっくりと、尊仁親王が振り返った。
「だろ、匡房?」
口元には笑み。目元には付加疑問。諾、それ以外の答えを求めていない、いわば脅迫だった。
「・・そんな事をせずとも、私は離れませんよ、貴方から」
「ふーん、そうだろうかねぇ。ま、お前が死にそうになったら返してやるよ」
ああ、と私は思う。やはりこの御仁は、私の事を、周囲の事を、いまだ信用できないのだと。その瞳には、疑いが消えてはいない。
――あの銀髪兄弟、存外深く傷をつけたんだな、この人に。
ぞっとする。でも、私はこの孤独な東宮を裏切ることはできない。むしろ守ってやらねばならぬのだ。瘴気が立ち込めるような、この宮廷から。
「ええ、ぜひとも棺桶に入れてくださいね」
私の上司は、変わった人物である。