人間不信の源は (西園寺×山縣)
井上馨×山縣、陸奥×西園寺前提の西園寺×山縣。西園寺はプチプリンス時代のアレ的なのが強いですが、山縣はびっちなわけではなく、本命が井上で、その他は手段とかそんなんです。西園寺に対しては別みたいだけども。
名前だけ児玉とか平田とか出ます。あと桂太郎。
***
<Side:S>
陸軍省庁舎内のとある廊下での事だ。用事があってたまたまそこを訪ねていた私は、帰り際に桂太郎、平田東助、それに児玉源太郎というちょっとした珍道中に参加する事となっていた。と言うと少し仰々しいが、つまりは外に用があるらしいその3人と廊下でばったりと出くわしたのである。軍人が2人、法務官僚が1人、そんな場違い感を強烈に感じさせられるメンバーだが、まぁ断る理由もあるまいと、桂の無邪気な御誘いに乗って私は3人の後に続いた。
玄関までは相当距離がある。片隅に置いてある調度品などがいかにも大臣の山縣の趣味だな、などと笑っていると、ふと平田が爆弾発言を落とした。
「何故山縣閣下って、ああも人を信用しないんでしょうかね」
「・・・っ」
危ない。手に持っていた資料を取り落とす所だった。私は一つ咳払いをして、一瞬乱れた呼吸を整える。
「さぁ・・・でも、昔からそうだったらしいよ、閣下って」
「・・・」
続いた桂の発言に、思わず顔が強張った。何でって、一応山縣の一の側近を自称している――周囲も認めてはいるが――桂が、この発言なのだ。まさか彼ですら知らないとは思わなかった。
では、何故私に山縣は教えたのだろうか。明らかに私より桂との方が彼は付き合いが長いはずだ。・・・とりあえずこの場で一つ分かるのは、絶対にこの会話には参加しない方が吉だと言う事。私は口を閉ざす。
が。
「ねぇ、西園寺さん。西園寺さんは知ってるんでしょ?」
「・・・はい?」
これまた無邪気に、そしていきなり児玉に話を振られた。
「だから。西園寺さんはさ、何で閣下が人の事信用しないか知ってるんでしょ」
「・・・・何故私が、知ってると思うんです?」
「えー、だって西園寺さんって山縣閣下と仲良いじゃない。ねぇ、教えてよ」
表面上はにこやかな笑みを浮かべながら、内心冷汗が凄い。このやたら情に厚い天才肌には、嘘もごまかしもいまいち通用しているんだしていないんだか分からなくて不安だ。
が、児玉の根拠なき断定に、褒美を前にした子供のように目を輝かせて桂と平田が振り向く。
「知ってるんですか!?」
「なら最初からそうと言ってくれればよかったのに!」
「いえ・・・そんな、私ごときが僭越です・・・」
これは。作戦失敗である。そのままスルーして玄関を目指すか、それが能わなくてもこっそりどこかでフェードアウトするつもりだったのだが。数分前、彼らと共に戻る事を了承してしまった自分を今更ながら激しく呪った。
三人分のきらきらな瞳を受けながら、私は曖昧に笑う。自分が何故こういう性格になったのか、私が山縣からそれを聞いたのは夜、褥の中でなのだ。内に籠りがちな彼が唯一本心を表す場。だから迂闊に中身を話す訳にはいかない。
「そうですね・・・若い頃に色々あったのだ、と、そうおっしゃっていた気がします。私もそれ以上詳しくは知らないんですよ」
前半は本当。後半は嘘。だが、嘘をつくには半分くらい真実を織り交ぜておいた方が相手にばれにくい。まぁ、彼の名誉を守るための嘘ならば、天もみすみす罰を下したりはしてこないだろう。
「へぇ、そうなんですか・・・」
「確か閣下って昔、奇兵隊の軍監だったんですよね。そのあたりのことなのかな・・・」
「長らく戦地暮らしだったんだろうね。それなら頷ける」
ありがたい事に、三人が三人とも自分なりに納得してくれたらしい。私は、そっと胸をなでおろす。と同時に、彼らが直情径行型で助かったと思った。これが実美卿や岩倉殿相手だったら間違いなく全部吐かされていただろう。基本的に公家というのは、何故だか皆生まれつき人の顔色を読む事だけには長けているのだ。
そして。一つ。先程からずっと後ろから視線を感じていた。誰か、というのはある程度目星がついている。今度はそっちの相手もしてやらなくてはならない。
「あ、私忘れ物しました。・・・すみません、取りに戻らないと」
すまなさそうな表情を作り、軽く頭を下げる。立ち止まった桂が、何だ、残念、と肩をすくめた。
「じゃあ、またね、西園寺さん」
「忘れ物は良くないですよ」
「大事なものはいつも手に持ってるといいよー」
口々に忠告され、私は笑って気をつけます、と手を振る。本当に仲が良いのだな。だが、あれではだめだ。
彼が三人を信頼しない理由は、きっとそこだろう。
姿が角の先に消えたのを見届け、私は前を向いたまま背後へ言葉を投げる。
「立ち聞きは感心しませんね、山縣閣下」
ふふ、と可憐な笑い声。それと共に、かつん、かつんと硬質な床を高いヒールが打つ音が聞こえてきた。
「バレたか、公望」
「隠す気も無かったくせに」
前に回り込んできた山縣は、さも可笑しげに笑みを浮かべている。
私は促され、彼の執務室へと向かった。
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<Side:Y>
「相変わらず、信用なされてないんですね」
部屋に戻って茶の用意をしていると、ソファーの西園寺がそう言った。いつもそばにいる人間は皆下がらせてある。正真正銘、2人きりだ。
「何をだ」
「近くにいる若い子たち、って言ったらいいですかね。貴方が立ち聞きしてた時私と一緒にいた方たちみたいな人の事ですよ」
「まだ言うか」
は、と笑ってソファーへ向かう。盆に載せた茶を西園寺の前に置きながら座ると、早速西園寺は茶を手に取った。
「使える奴らだ、とは思う」
「あくまでも信用はしないんですね」
「・・・それが出来たらもう少し器用に生きる事ができているのだよ。話したろう」
「ええ。聞きましたとも」
茶をすすってほっこりとした顔を浮かべるこの得体の知れない男を、俺は何かと気に入っていた。これを信用と呼べるのかは正直自分でも分からないが、でなければ体の関係を持ったりはしないし、ましてや自分の事を寝物語に話すなど絶対しないのだろう。
ここで、一つ聞いてみたくなった。
「なぁ、公望」
「何ですか」
「お前は俺の事が好きなのか?」
聞いてから、大変誤解を招くような言い方をしたな、と思い返したが、言葉の真意は伝わったらしい。こういう頭の良い所も俺が彼を気に入っている理由の一つだった。桂や児玉ではこうはいかない。
西園寺が、湯呑を置く。
「ええ。好きですよ」
「こんな権力欲の塊みたいな男がか。同郷の者でさえ毛嫌いしているのが多いと言うのに」
「好きですよ。そんなだから、好きなんですよ、有朋さん」
「ほう」
いきなり名前を呼ばれて、少し驚いた。ここからは私的な事として扱え、という合図だろうか。
気になって、先をせかす。
「一体、どこが好きだというのだよ」
西園寺が、くすりと笑った。いかにも公家という優雅で、意地の悪い笑み。もし江戸幕府がこのまま存続していたのなら、俺など一生お目にかかれなかった笑みだ。
「天皇に絶対の忠誠を誓いながらも、それを冒涜するかのごとく強権を発動するその姿。ええ、確かに周りからはそれは貴方の権力欲に由来するものと見えるのでしょうね。でも、私は違うと知っている。貴方は、それを行使することで周囲に人を置いておきたいのでしょう」
胸を突かれた。すぐに動揺を繕うが、多少顔に出てしまったかもしれない。
「そのおこぼれに与りたいと、そう言う事か」
ならば、と揺らいだ勢いで逆襲する。その類の下心は、今俺の周りにいる人間なら誰もが持ち合わせている。だからきっとそうだ。お前も、そうだろう?
早く頷いてみろ。そうすれば、今すぐこの場で斬り殺してやる。
俺も笑っていた。
さあ。早く。
西園寺が、口を開く。
「まさか」
「え・・・・?」
「まさか。そんな俗な理由な訳無いでしょう。それに私は元の地盤がきっちりしてますからね、別に貴方のおこぼれになど与る必要はありませんよ」
「じゃあ・・・じゃあ、何故だ。何故俺に近づく?顔か、身体か?」
「まぁ、それも好きですけど。でも私にも一応パトロンと呼べる相手はいるので、そうじゃないですね。第一貴方にだって井上さんがいるじゃないですか。夫差し置いて美人妻に横恋慕する程私馬鹿じゃありません」
「ならどうして!」
のらりくらりとかわすような態度に焦れて、俺は声を大きくした。その様子を、また笑われる。本当に扱いづらい男だ。
西園寺が勝者の表情で脚を組みかえた。
「私が何故貴方の事を好きかと言いますとね。簡単ですよ。ボロボロな貴方が好きなんです」
「ボロボロ・・・?」
身に覚えは、無い。というより一々自分が傷ついているかどうかなど、この忙しない日々では振り返っている暇は無いし、それを表に出しているつもりも無かった。
西園寺の笑顔が、とても気味悪い。そしてとても誰かの笑みに似ているような気がする。
西園寺が、言った。
「そう。貴方は、国が動くレベルの権力を手に入れてまで誰かに傍にいて欲しいと願いながらも、そこまでしないと誰も自分の傍にはいてくれまい、と他人を疑うんです。一人じゃ嫌なのに、誰かがいてくれたならいてくれたでその相手を疑って掛かる、もはや駄々にも近い圧倒的人間不信。そんな矛盾だらけでボロボロな貴方が、私は大好きですよ」
「・・・・・ッ」
言葉を失った。一つ一つの彼のセリフが突き刺さる。否定できない程中身が図星だったのが悔しくて、恥ずかしかった。
「ね。貴方の言ったような俗な理由じゃないでしょ。私はあくまでも、『貴方』が好きなんですよ。傷ついている貴方を癒してやりたいとも思うけど、その反面もっと傷ついていく姿を見せてほしいとも思う。これじゃあ私の方がよほど欲張りですね。血塗れの貴方を抱き締めたいだなんて」
「・・・本当にな」
もう言わないでいい、の意を込めて俺は半ば吐き捨てる。こんな一回りも年下の男におちょくられるのは、流石に屈辱だ。だがこの元公家の観察眼には確かに侮れない物があり、それを利用しているのも事実である。
目を合わせたくなくて、ふいと顔を背ける。すると、西園寺が苦笑しながらこちらにやって来て、隣に座った。
「いいじゃないですか、強欲同士。どうせ井上さんも私が貴方と寝てるって知ってて許してるんでしょう?なら貴方だってもっと欲しがればいいのに。そうしたらきっと私達溺れられますよ。終わりのない共依存の世界なんて、素敵じゃないですか」
「何故馨が許していると知っているのだよ」
「有能な伊藤閥のスターがパトロンなもので。彼経由で政界の話は表から裏まで全部入ってくるんですよ」
「陸奥か・・・あの男もよくお前みたいのを恋人になどしたものだな」
「彼だって花街で相当鳴らしてますし、加藤くんや小村くんにも既に手は出したようでしたから、おあいこです」
「友三郎か?」
「まさか。流石の彼でも海軍軍人にちょっかい出すほど命知らずじゃあありませんよ。高明の方。彼が直接三菱から引き抜いたんだそうですよ」
俺は、溜息をついた。
「・・・揃って破綻してるな、倫理観念が」
「人の事言えます?でも互いに嫉妬はし合いますからたまに痴話喧嘩だってしますし、『結局相手のなかで自分が一番ならばそれで良し』ということで落ち着いているので、いいんですよ。私は彼の事を愛してますし、彼だって私の事愛してますから」
「大した自信だ」
「最初に約定を交わしてるんです」
「約定?」
問い返すと、ええ、約定です、と西園寺が頷いた。
「心変わりした状態で恋人関係を続けない。続けた場合、すぐに白状した上で相手に刺し殺して貰う」
「・・・っ」
軽い口調と裏腹なその内容のあまりの重さに、俺は押し黙った。ふざけてるんじゃない、あくまでもこの二人は真剣なのだ。
だから、と西園寺が笑う。
「私は遊びで恋愛をしたりはしません。宗光さんが妬かない程度に本気でやってます。ですから貴方も安心して私に寄っ掛かって下さい。一番ではないけれど、あなたの事も本気ではあるんですよ」
絶句。一番にはできない、だが遊びでもない。それをさも世界の常識であるかの如く、平然と真横の男は言ってのけた。
はは。これは俺の負けだ。まっすぐに紫の瞳に見つめられた俺は、諦めて公望に身体を預ける。
「真面目に狂っている奴には敵わんな。やめた。お前に意地を張っても仕方がない」
「この世で一番怖いのは明るい狂人ですよ、閣下。是非おいでください。"こちら"の世界もなかなか楽しいですよ」
腕が回され、背後から抱き締められて、さっきの話で行くと俺は今血塗れで傷付いていることになるのだな、と思った。自覚していないだけであながち間違ってもいないのかもしれない。
「疲れたな、人との繋がりに」
「ならばおいでになられませ。こちらに来れば楽になれますよ」
満足げな声の西園寺。髪を梳かれるのは心地がいい。
今になって、先程の西園寺の笑みは俺自身に似ていたのだなと気が付いた。ならば、俺にもそっちに行ける素質はあるのかもしれない。欲しいものだけを手に取れる、解放された自由な世界へと、行ける素質が。
だが、まだそれはできない。こちらへと必死に繋ぎ止めてくれる男が一人いるのだ。だから、行くにしたってまだまだ先。少なくとも馨が死ぬまでは、そちらへは行けない。
口には出さないでおいた。恐らく期限付きとは言えど、いつになるのか分からない事で期待させるのも酷だからだ。その間幾度となく行われるであろう化かし合いは、一体どちらが勝つのか。まだ、誰も知らない事である。
「いつか貴方の事、必ず甘えさせて見せます」
「さぁ、どうだか。せいぜい励むのだよ」
Fin.