残酷なもの、優しい人
六角高頼と細川政元の、密談の妄想の話。こんな密談史実にはないですが、あっても可笑しくはないとも思う。
明応の政変直後のあたり。高頼が、ずっと争っていた京極政経に何で追撃入れなかったのかなーっていう引っ掛かりから管理人が妄想(暴走)した結果です。阿波マンあたりも友情出演。
どうもこいつらを喋らせるとえらく言葉が装飾過多になるね。ちなみに管理人は六角高頼が大好きです。
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「それで?許した―――というか寝返りを受け入れた直後に、今度は見殺しですか。相変わらず、感情の壊れた人ですね、貴方」
アンティークのカップ。猫足のテーブルの上には、南蛮菓子がちらほらと。私は、窓辺に佇む“人形のような人形師”に声をかけた。本来、存在しない筈の密談である。
人形師―――六角行高は、ただ黙ったまま、音もなくニィ、と嗤った。行高・・その名ももう古いのか。幼い将軍により領国の守護の座を再び認められた彼は、慇懃に礼でも言うように、そして彼の家の跡目争いに終止符を打つかのように、高頼、と名を改めた。前々から随分とパフォーマンス好きな男だとは思っていたが、つまりようやく「頼」の字を用いた名に改めたという事は、幕府にも周辺の彼の同族にも、『今後手出しは一切御無用、近江佐々木六角氏の12代当主は我である』と宣言したと同義ということだ。
だからこそ。私は一つ気になっていた。やり方が随分と半端だ。敵を殺さず、まるで深手を負わせて放置するような有様。とどめを刺さねばいつ背後を突かれるか分からないだろうに。・・まぁ興味以上の興味は無いけれど、と前置いた上で、私はそんなことを窓辺の男に尋ねた。
「・・政経殿の事かい。ハハ、君のありがたくも無い横やりのお陰で多少血は流れたけれど、無事舞台は私の手元に返ってきてくれたからね」
「山内さまは・・いえ、別に、私とて貴方の邪魔をしようとは・・マァ、後々の面倒臭さを考えれば面白半分で近江に手出ししようなどと思ったことは決してありませんが。にしても不可解だなぁ、って思いましてね。どうして・・政経殿に限らず、貴方京極一族自体を恨んではいないのですか。そんな、深手を負った仇ならば、その場で殺してしまえば良かったのに」
繊細な作りのティーカップ。揺れる赤い紅茶が・・有りがちな想像だ。言葉遊びに興じていたところでいつまでも答えは返ってこないのを知っているから、私は躊躇わず切り込んだ。
土壇場になって向こうの都合で寝返ってきた、長らくの敵、そして父親の仇の子。そんな相手を助けたどころか殺さず逃がした、彼の感情が分からない。凝った虚飾のような飾りが彩る彼の帽子から垂れるレースが、振り向きざまふわりと舞った。
静かに袴の裾を揺らして、彼が戻って来る。私は、皿の上のクッキーをつまんで、齧る。
「私の父は、自殺したよ。まだ2つだった私と、厄介な従兄を残して。従兄の父は、私の父の兄だった。その兄を、私の父は殺している。それを支援するふりをして、我が六角氏の内政に干渉してきたのがご存知、京極政経殿のお父上、京極持清殿だ。君のおばあさんの、兄だね」
「エエ・・・存じておりますとも。生憎祖父も父も早死にでしたが、同族の者にしばしば話は。例えば、鈎の陣の前などにね、まだ若造だった私に、下屋形が忠告してくれましたとも」
「ハハ、宜しい。頭の良い答えだ、右京兆。成之殿も粋な計らいをなさって下さったことだ、策士な見目を気取りながら、どこまでも殺意に敏感な辺り、結構嫌いじゃアないよ」
感情が読みにくい男なんだ、総州家の義就殿なんかより余程厄介だから気を付けな、お前だって恨まれていても可笑しくない血筋なんだからね。・・逃げの一手、もしくは内乱の最中、だとか。そんな噂が蔓延る男を相手に戦を仕掛けようという時、阿波の成之殿に確かそう言われたんだっけ。しとやかな見た目で公家のような愛想笑いを浮かべながら、人を殺すことに容赦のない親戚の助言がどうにも引っ掛かり適当に日和見を装って様子を見ていたら、将軍家のひ弱な兵が腐り落ち始めるのは時間の問題だった。まるで、狙って起こされたかのような、腐敗。だというのに、京兆家当主である私のもとには、あの短い出陣期間で数回は毒入りの矢が飛ばされてきた訳で。以来私はこの傀儡師には基本手出しをしないことにしているのである。いつも笑顔の人間の笑顔程、信用できぬものは無いから。
「だがね右京兆、殺すことが残酷かと言われれば、世の中意外とそうでもなかったりするのさ」
高頼は椅子を引いて、そっと横に腰掛ける。飾りを傷つけないようにそっと帽子を取った彼は、たおやかに笑んだ。私は目をそらす。
「どういうことです。・・確かに、先代の大樹様の“粛正”以降、政経殿は領国出雲で逼塞なされているとは聞いておりますが・・まさか、その誇りをへし折る、地方の守護代の元で不遇の日々を送らせる、なぞという事が、貴方の復讐だとでも?」
だとしたら、手ぬるすぎやしませんか。そう言おうとした息を叩き殺すように、高頼ははっきりと言った。
「歴史は繰り返す」
空間を震わすような、大きくはないが鋭い声。びく、と私は思わず動きを止めて、そっと、人形師を見遣った。
笑っていた。良く見せる控えめな笑みなどではない、明らかな、捕縛者の、捕食者の笑みだ。普段仄暗さを纏う赤い瞳が、今は照るように、飢えたように、輝いていた。
閉ざされた森の奥の、山門どころか攻め入ってきた敵兵すら操る傀儡師。人ならざる者すら従えているという噂も、あながち嘘でもないのかもしれない。それほどの気迫だった。恐らく、彼自身も無意識であろう。
「・・・と、云いますと?」
「簡単な事だ右京兆、そのうち京極は滅ぶさ、そう遠くない将来に。滅ぶまでは行かぬかもしれないがね、今の権勢など、見る影もなくなるだろう。歴史は繰り返す。知っているだろう、現京極家当主には子供が二人もいるんだ。これで十分条件は満たした、あとは俺か、もしくは俺の子が、必要条件を与えてやれば、ハハ、繰り返す。再び京極氏は、血の海さァ!」
仮面をかなぐり捨てた傀儡師の、哄笑。私は納得していた、この男の真の狂気の意味に。
当主を殺して、仇の家系を断絶させれば復讐は成るものだと思っていたけれど。そうじゃない、この男は、永続的な苦しみを望んでいた。かの家に、災いあれ、と。複数国の守護を任じられる程度の家ともなると、跡目争いというのは領国支配の上では致命的な障害となる。その間、家臣からの寝返りが起こるかもしれない。もしくは兄弟や親戚との戦に明け暮れているうちに、離れた領国で守護代が実権を奪い取るということだって考えられないことは無かった。そう、一代での復讐を望んでいるのではない。じわじわと、政経殿だけではない、彼と跡目を争って勝利した高清殿すら、恐らくこの男はいずれか苦しめる心算だ。
飛騨、隠岐、出雲、そして北近江。遠方に領国を抱える京極家は、仮にこの傀儡師の策から逃れられなかったのだとしたら、これから相当な地獄を見ることになるだろう。直接叩く、という事を好まない、防御一択の六角による、最高の舞台だ。まさに、いっそ死んだ方が極楽であろうな。はは、全く、恐ろしい男。喧嘩など、したくも無いや。
「優しいのか残酷なのか、分かりませんね、貴方」
京極氏が滅んだところで正直、現在の京兆家には然程害も無いので、どうとも反応のしようがない。だから“京兆家当主”ではなく単なる一人の、この話を聞いた人間の感想としてそう言うと、するり、と狂乱の気配を収め、高頼はいつもの、今一つ感情の読めない優しげな笑みに戻って、言った。
「いいかい、政元殿。優しさというのはね、時に残酷さよりも残酷なものさ。君もあまり意地悪しないで、時折阿波殿の肩でも揉んでやるといいよ。阿波守である細川成之は随分腹黒い策士だけれど、かつて三河守であった頃の彼は相当獰猛だったからね・・それに、彼と色々近い備中も、今怪しいンだろう?君の足元とて十分条件は既に整っているという事、忘れない方が良い」
冷めた紅茶に口をつけ、私は代わりに溜息を吐き出す。考えたくない事。考えねばならぬ事。あまりにそれは膨大で、嫌な事を御云いにならないで下さいませ、と返すのが精一杯だった。今は“存在しない密談”の場であるからここまで呑気な態度を取っていられるが、・・・とりあえず、人間の憎悪というのはあまり無視して良い物ではない、ということは学んだ。各国の動きにもう少し、目を配らねば。あの目障りな“愛妾”を自害に追い込めたからと、満足している場合ではない。
「帰ります。そろそろ家の者が痺れを切らして、謀反を企てているかもしれませんから」
「ハハ、真に受けたかい右京兆。まさか、あの尾州家の政長殿を始末して前将軍を幽閉し挙句取りこぼした君が、今更謀反なんて怖がる理由が無いだろう。私はてっきり、明日にでも河内を焼き払いに行くと思っていたけれどね」
「揶揄わないで・・私とて、世間からは化け物扱いですがね、年の割に頭が回るというだけで普通の人間のようなものも持ち合わせて居りますよ、一応は。」
喉奥で、さも可笑しそうに笑った傀儡師を横目に、私は席を立つ。今日のような、存在しない密談はかつて何度も開かれてきた。中身のあるようでない会話、そこに暗号のように忍ばせる仄かな意図。だが、その役者たちが少しずつ死んでゆく今、恐らくあと何回も開かれるものでは無いのだろう。私とて、終わりが見えていない訳ではないから。京兆家当主たる私が出す結論は、今はそっと焼き菓子の中に封じ込めるのだ。
薄暮の刻、屋敷までは馬を飛ばしておよそ四半刻ほどだ。帰り道には気を付け給えよ、なんていう不気味な見送りの言葉を聞かぬふりをして、私は在る筈のない密会場所を後にした。