9月8日
何だかまとまりの悪い話になった感じがする。
確かに、多少テオドールとそのお相手・ジャックさんの出会い方は、一般的なものからは大分かけ離れたものだったし、正直、ベリエス達も「一体何がどうしてどうなって、1か月の間でそんな関係になったんだ」と随分戸惑ったものだった。しかし、普通に一人の人間として接してみればお相手もそんなサイコキラーとかではなかったし、何よりきちんと人を愛せる青年だったから、安心して受け入れることができたのだ。・・・ただ一人を除いては。
あの誘拐事件からしばらく、大分前後関係やらが落ち着いて、初めてテオドールがお相手を屋敷に泊まらせた時の事だ。早いうちから寝室に下がっていった二人を除いたメンツの中で、終始目を笑わせていなかった男が一人、呟いた。
『・・・泊まらせている、ということはつまり、この場で殺せということですよね?』
もう、本人と兄がいなくなった場で殺気を隠す気はさらさらなかったらしい。ぽつりととんでもない思考の飛躍をぶちかましたヨハンを、無論全員で説得して止めた。そもそもあの誘拐事件を最終的に捻り潰したのが上司であるクイーンだったから、確かに残党狩りということで敢えてテオドールを囮に屋敷へ呼んで人知れぬうちに始末するという計画の一環、という風にヨハンが彼のお泊りを解釈したとしてもおかしくはないし、似たような案件は今までに何度かあったし、その度に殺害を実行していたのはヨハンなのだ。
だが。
違う、普通に違うから、とその時完全に私情を命令と称しようとしていたヨハンを、とりあえず全力で止めてナイフを取り上げた。そして、絶対に武器庫に近寄らせないよう突発的だったが宴を催し、早々に酒で潰して静かにさせた。
その後もしばらくはジャックさんが屋敷を訪れるたびにヨハンはどこかピリピリしていたが、それでも4か月ほど経った頃からだろうか、ふと何かを悟ったのか、全くそれも無くなった。今も、せいぜい恋人さんと語らっている兄を離れた場所から時折少し寂しそうに見ているくらいだし――それも、本人を前にするとまたつんけんした態度を取り始める訳だが――、ジャックさんに対しても恐らく抵抗なく、ごく普通の客人としての接し方をしている。だから、ベリエスは思ったのだ。一度、テオドールはきちんとヨハンと話をすべきだと。あの阿呆な兄貴は、健気な弟の成長に全く気が付いていないのだ。
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過保護なのはいい。彼らの両親の事を、テオドールがヨハンに伝えようとしないのも理解はできる。だがあくまでもそれは「ヨハンを守るため」という範疇の話だから許されるのであって、それとこれとは話が別だ。好きな人とお付き合いをして、ということの何に負い目を感じているのか知らないが、いい加減切り替えて前向きに祝福しようという姿勢を見せている弟に、どうしてそんな態度をとるのか。絶対に言わないで、だなんて・・・、それはもう、恋人さんにもヨハンにも、双方に失礼だ。
ふと見れば、もうテオドールは着替え終わっていた。という自分ももう着替え終わっている。色々言いたいのは山々だが、・・・それはまた今度にしよう。恐らく、どこぞのホテルのディナーでも予約して、そのまま泊って来るのだろう。せっかくのデート前に、水を差すようなことを言うほどベリエスも野暮ではない。
とりあえずこのままこの建物でテオドールとはお別れだ。さて、あの微妙に郊外にある屋敷までどうやって帰るか。一応バスは近くまで通ってくれるが時間帯的にもう終わってしまっている気がするし、かといってタクシーで帰れば身バレは必須だ。となると、自家用車が無い以上帰る方が面倒くさい。
「俺、今晩ここに泊まろうかな。仮眠室のベッド、嫌いじゃないんだよねぇ」
ショルダーホルスターの上からジャケットを羽織り、さらに靴下の上からアンクルホルスターをつけようとしてやめた。これから夕食を済ませて寝るだけなのに、そんなにがっちり武装する必要もないだろう。・・・仮眠室の使用許可を貰いに行きがてら、ボスの元に酒でも持って行くか。
テオドールが微妙な顔をした。
「済まないね、別にハメるつもりはなかったんだけど。俺も今日は車で行かないと、明日帰ってこれなくなっちゃうと思って」
「いーよいーよ、せっかくだから楽しんできなよ。・・・ところで、なんでわざわざ外?何かあるの、今日」
そういえば。仕事以外での外泊なんて珍しい、と思ったきり聞いてなかったのだが。
尋ねると、はにかみながらテオドールが答えた。
「あのね・・今日で俺たち、2年目なの、付き合い始めて。だから、たまには外で会うのもいいね、って話になって。ちょっといいホテル取って、ディナー、って」
「へぇ。随分洒落た事するねぇ」
パチン、と腕時計の金具を止める。中には小さい青酸カリのカプセル。暗殺者の必須携行品だ。恋人との約束を前に嬉しそうにしているこいつだって、同じものを持っているはずである。
「というか、もうそんなに経ったんだっけ、あの子が来てから。早いもんだねぇ」
「うん、でももう結構昔な感じもするよ。その間にもいろいろ、あったしね」
「まーね。・・・ま、たまにはうちのこと気にせず楽しんできなよ。てか変なのに巻き込まれないといいね・・通る道とか気を付けなよ」
「へーきよ、俺も一応暗殺者の端くれだからね」
心配しないで、とひらひら手を振るテオドール。あそ、とベリエスは愛用のビジネスバッグを手に取り、最後に護身用のグロック17をホルスターに差し込んだ。いろいろ、か。何も、色々あったのはお前らだけじゃないんだけどね。
・・・まぁいいか。あくまでもそれは本人たちの問題であって、いくら同居人であると言え他人であるベリエスが踏み込んでいい領域ではない。時が解決するのを待つしかない、か。まどろっこしいなぁ、と思うが、それは仕方のない事なのだろう。
「今何時―――って、あ、もう結構いい時間じゃんか。俺行かなきゃ」
「間に合う?」
「大丈夫。そいじゃ、済まないけど行ってくるから!」
「はいよ」
ジャケットとかばんを引っ掴んでばたばたとあわただしく出ていこうとするテオドールに、忘れものだよ、と花束を投げ渡す。
「忘れちゃだめでしょ、大事なやつ」
「・・ありがと。そだ、ベリエス」
軽やかに片手で受け止めたテオドールが、ふと止まった。スリーピースのグレーのスーツ。淡いシルバーのチェックが、嫌味にならない程度にちりばめられている。軽くセットされた髪はいつもと違って片側だけ掻き上げられており、黒紫色の中に控えめなプラチナのピアスが輝いていた。
テオドールが、口を開く。
「俺、分かってるからね、ヨハンがジャック君の事とうに受け入れてくれてるってことくらい。でも、だとしてもヨハンと彼の話ができるほど、俺に度胸が無いの。それだけよ」
「テオドール・・・・」
「だから心配しないで。俺は仮にそれがいくつあろうがどれだけ重かろうが、何ももう手放す気はないし取りこぼす気も無い。大事なんだ、彼の事も、ヨハンの事も、お前らの事も。全部守るためなら―――俺は、何度だってこの命くらい、捨ててやるさ」
分かってた、のか。なら、猶更早く話さないと駄目なのも、分かってるはずだろう。いつ、どういう形で死ぬかもわからない日々を送っているんだから。・・・言おうと思ったが、そんなの無意味なんだと、悟った。テオドールの笑顔に、微塵も曇りが無かったのだ。
ベリエスは溜息をつく。
「・・・前に、夜中クラウスと話してる時に言われたんだけどさ、軽率な行動は慎んで、ちゃんと長生きしてくれって。もう抱えてるものが己の身一つ、という訳じゃないんだからって――お前も、同じだと思うけどなぁ」
「分かってる分かってる。・・・体つきがまた変わってってるのも微妙に自覚あるしね、嫌でも限界と終わりは悟らされてるさ、見て見ぬふりしてるだけで。だからまぁ・・・ああは言ったけど俺だって普通に長生きしたいし、お前が思ってるほど何も考えてない訳じゃないよ。うまく言葉じゃ言い表せないけど、ね」
んじゃ、今度こそ行くから。そう身を翻し、テオドールは扉の向こうに消えた。何も考えていない訳じゃない、か。
微妙に開いている戸から見える廊下に小さく手を振りながら、ふと、テオドールの付けていたピアスはレディースだったのでは、と気づいた。分かってる、というのはまさかそういうことではないとは思うが、だとしたら何も考えていない訳ではないというのもあながち嘘ではないのかとベリエスは納得する。まぁ、どう転がろうが、どう転がそうが、周りを不幸にしない限りは別に何でもいいのだ。・・・強いて問題点を挙げるとすれば、「自分が死んだとしてそれを周りが悲しむだろう」ということを奴が全く考えていないことくらいなものだが、それはあの恋人さんが叩き込んでくれることを期待したい。テオドールもテオドールなりに多少他人を普通に愛するということを覚えたようだし、“悲しき博愛主義者”を彼が脱する日も近いことだろう。
「さて、真守君とレオンに連絡入れないとな」
ちょっと交通手段的に帰れなくなったので、本部に泊まる、と。明日の担当裁判一発目の開廷は11時半だったはずだから、運よく資料は持ってきているし、今夜目を通しておけば午前中の遅い出勤くらい問題ないはずである。朝一のバスで戻って、ちょっと真守君を説得して一緒に二度寝に付き合ってもらって・・・。流石に脱がせたら怒るだろうから、それは夜まで我慢だ。あとで寝る前あたりに電話でもかけてみようかな。の前に、適当に酒を見繕ってボス達のところへ行かねば。時刻は午後6時半を回ったところだ、そろそろ社食が開く時間だし、たまにはそっちで夕飯にしようかな。
ロッカーの中を確認して、忘れ物が無いかチェックし、流れで戸を閉めてそのまま姿見でジャケットのよれを直す。よし、今夜もイケてる、と軽く自己暗示のように鏡の中の自分に笑いかけると、ふとその端に赤いものが落ちているのが見えた。
振り返り、そっとかがんで拾い上げる。花束から落ちたであろう、赤いツバキの花弁だった。
「あなたは私の胸の中で炎のように輝く、か」
ゲルマン系民族は、言葉に重きを置く。だからテオドールも直球な言葉を避けて、日頃の想いを花に託したのだろう。伝わるといいね、言いたいこと。そして必ず、ヨハンにも伝えてやってよね。
真守君には花よりエプロンかな、と雑貨屋に寄る計画を立てながら、ベリエスはそっとテーブルに赤い花びらを残して、シャワールームを去った。