top of page

アルレッキーノ、

​または高貴なるイヴァン

​1章ラスト。とりあえず、アルレッキーノはセロリが嫌いだと思います。

*******

 

 

 夕闇のイタリア。石畳に影が落ち、雰囲気が一気に暗くなる。劇場からさほど離れていない廃屋の壁際に、アルレッキーノはいた。

 

「こんな所にいたのか」

 

 声をかける。地面に座ってうずくまっているアルレッキーノ。

 

「ライモンド・・・・ごめん」

 

 そう言ったっきり、アルレッキーノは再び膝に顔を伏せた。どうしたもんかな、としばしライモンドは逡巡し、結局アルレッキーノの隣に座りこんだ。背中の壁がひんやりと冷たい。中途半端に喧噪の途切れ紫に染まった町は、悪魔が出そうなほど静まり返っていた。

 

「俺、自分のこと何も話してない。それはあの人の言う通りだ。でも、話さないのには理由がある。だから、言わなかった」

「ああ。分かってる」

「・・・・俺、話すよ。ライモンドにならどんなこと言われても、いいと思えるから」

「・・・」

 

 そんなに酷いことを俺が言うと思うか。そう出かかったが、やめた。先程の男の、“穢れた一族”という言葉。そういう反応をしてしまわない自信が無かった。

 

「あのね、俺、さっきの人の弟なんだ。本名はイヴァン・サウダーティ。知ってるでしょ、サウダーティ侯爵家って」

「サウダーティ・・・・まさか、あの?」

「そう」

 

 サウダーティ侯爵家。イタリア屈指の名門貴族だが、この家には、その名を聞けばこの国の者なら、いや、欧州中の人間なら思い浮かばない訳が無い、ある異名があった。

 

「・・・暗殺貴族、サウダーティ」

「そう言われるとちょっとカッコよく聞こえるよね。イタリア――どころかヨーロッパ中に名だたるその悪名もさ」

 

 イヴァンが顔を上げ、こちらをちらりと見てから再び伏せた。

 

「俺はサウダーティの次男。すぐに出てった老人は俺の父親。いろいろあって追い出されて、今は関係ないけど、俺、歴代の一族の中でも暗殺のセンスはピカイチだったらしいから、多分見つけ次第連れ戻すつもりだったんだと思う」

「・・・・人を殺したことが、あるのか?」

「もちろん。初めて殺したのは5歳の時だよ。不始末起こした使用人を殺すように言われたのが人間は最初。それからは・・・もう数なんていちいち覚えてないや」

「・・・・」

 

 ライモンドは、確かな恐怖を覚えた。だって、あのサウダーティなのだ。幼少の頃からこの一族に生を受けた者は暗殺の英才教育を施され、長男が後を継いだ後その下はヨーロッパ中に散り、一家の邪魔になる貴族や富豪を次々に消し去っている、なんて噂がまことしやかに囁かれている。そんな家出身の奴が、こんなに近くに、いる、というのは。こんなに長らく、共同生活を送ってきたというのは。

 

 だが。

 

 ここでこいつから逃げてもいいのか。

 ここで俺が逃げたら、こいつはとうとう味方が誰もいなくなってしまう。もうこいつの居場所は、銀の薔薇座にしかなさそうなのに、ここで逃げても、いいのか。

 

 いや、駄目だ。俺が聞いてやらねぇと。

 

「そんな暗殺貴族のエリートが家を追い出されて、挙句コメディア・デラルテの一団に入ってるなんて、相当な理由があるんだろ?・・・聞いてやるから話せよ。全部、受け止めてやるから」

 

 自嘲気味に笑うイヴァンの肩に、ライモンドはそっと着ていたコートを脱いで掛ける。

 イヴァンが顔を上げた。じ、っとこちらを見つめる。

 やがて、悲しげに微笑んで、目を反らせた。

 

「君は多分、これを聞いたら、俺から逃げちゃうんだろうね。でも、それでも君には聞いてほしいと思うんだ、何故か」

 

 こんなの迷惑なだけだよね、と、イヴァンが呟く。それに答えず、あのね、と静かに語りだしたイヴァンの言葉に、ライモンドは耳を傾けた。

 

 

******

 

 

 俺の地元には、サウダーティ侯爵家のほかにもう一つ、別の貴族の家があるんだ。位も同じ侯爵。だから、サウダーティ的にはいつか潰すリストには入ってたんだけど、同じ位な以上そうやすやすと手を出せないでいたんだ。そんなときに、ある噂が立った。

 向こうの次期当主の弟――うちでいう俺みたいな立場ね。その婚約者の女の子と俺が、関係を持った、って。

 もちろん全くの嘘さ。だってその時の俺は、日々課せられる鍛錬で死にそうになってたもの。ああ、鍛錬って、まぁ・・・人殺しのね。あと捕まった時の為に、対拷問の訓練とか。あはは、おかしいよね、今考えると。だから俺は痛みには強いよ。火にも水にも。

 で、まぁ、どこから沸いたんだかわかんないその噂を聞きつけて、くだんの向こうの次期当主の弟が俺に決闘を挑んできたんだ。正式なね。互いの家から立会人を出して、教会の裏で夜に。嫌だったけど仕方がないから、とりあえず父親に相談した。したら父親ってば、丁度いい機会だから、決闘にかこつけて相手殺しちゃえって言ってきたんだ。

 当時俺は17歳で、もう暗殺者としては十分すぎるくらいの腕を持ってた。だから、決闘と見せかけて意図的に相手を殺すこともできたし、元々剣術は好きだったから普通に決闘しても勝てる自信はあった。でも、それで殺しちゃったとき、とっても面倒なことになるよな、って思ったんだよね。大ごとにされると非難されるのはどうしてもサウダーティになるし。だから俺はあんまり乗り気じゃなかったんだけど、結局父親に押し切られる形でやることになっちゃったんだ。

 

 結果は思った通り、俺が勝った。そもそもの鍛え方の次元が違うんだよね、うちと普通の家じゃさ。普通なら“剣で戦う”事を教わるんだろうけど、俺が幼いころから叩き込まれたのは“いかに素早く確実に相手を殺すか”だから。そこの違い。俺は殺す方が専門なの。

 あっという間に決着はついた。相手が剣を振り上げた瞬間、間合いに入って剣で脇腹を薙いで、そのまま腕の下を潜り抜けて首を刎ねて終わり。場所が悪くて全身血まみれになったけど、まぁ、立会人に「もううちには手を出すなよ」ってことを伝えることにもなったのかな、軽く睨み付けたら後ずさりして逃げてったよ。殺しをやった後の俺は、猛烈に醒めてて怖いらしいからさ。

 でもね。ここで、やっぱり恐れてたことが起こった。サウダーティが暗殺貴族として有名なのを利用して、相手の家がうちに訴訟を起こしてきたんだ。俺が向こうの人の婚約者を寝取った挙句、そいつを暗殺したんだって。サウダーティ側から出た立会人は、ちゃんとした決闘だった、と言い張ってくれたんだけど、うちがあまりにも悪名高過ぎて誰も信じてくれなかった。だから法廷の被告人席でひたすら主張したよ。そんな噂事実無根だって。決闘をするにしても、決して暗殺なんて手は使ってない、って。無駄だったんだけどね。結局何もかも全部。

 

 裁判が始まって何日たった頃だったかな。証人として、父親が呼ばれたんだ。俺の。

 助かると思った。父親には、決闘を申し込まれたとも伝えてあったから。何より、自分の持てる技術を全て俺に叩きこんでくれた、俺の父親だったから。

 

 でも、違った。

 

 今でも鮮明に覚えてる。

 

 法廷の端で拘束されたまま、父親が証言台で口を開くのを見ていた。

 

『これは私の息子ではない。とうに離縁の手続きは出してある。私が関係することでもなければ、我がサウダーティ侯爵家に何ら関係することでもない』

 

 目の前が真っ白になった。離縁。つまり、サウダーティ侯爵家に迷惑が及ぶ前に、斬り捨てたんだ、トカゲのしっぽみたいに。実の息子をね。

 

『どうして』

 

 この一言を絞り出すのが、やっとだった。

 なにも頭に浮かばなくてさぁ。

 ただ一つ分かったのは、もう自分は、父親から、家族から、一族から見捨てられたんだってこと。

 俺の有罪は決定した。地下牢への幽閉。裁判が終わって収容される寸前に周囲の衛兵と看守皆殺しにして、逃げた。当てなんてなかったけど。衛兵たち、凄く必死で追いかけてくるの。俺持久力ないからさ、みーんな殺した。それだけは誰よりも得意だったから。逃げた。とにかく、走り続けた。

 

 もう、そこにいたくなかったんだ。

 

 

 

*******

 

 静かに口を閉ざしたイヴァン。

 

「てことはつまり、お前・・・」

 

 震える喉を叱咤し、ライモンドは声を絞り出した。

 

「俺が街角で見かけたのは・・・・」

「そうだよ。君が俺を見つけてくれた数時間前、俺は―――人を殺してた。しかも両手使って足りるとか、そんなもんじゃない人数。俺は、・・・殺人鬼だね」

 

 イヴァンが笑った。泣いていた。

 

 つられて、泣きそうだった。

 

「俺はね、多分死にたかったんだと思う。あれだけ殺してきて何言ってんだって話だろうけどさ、もう嫌になったんだよ、何もかも。法廷で捨てられたあのときから。このまま歌い続けていつか声が枯れて、そのまま寒さで死んでしまえたらって。そう思いながら歌ってたの」

「・・・・」

「でもね、君が見つけてくれたろ。あれでさ、思いあがってたんだよ。これで新しい人生を始められるかもしれないとかさ。貴族も権力闘争も媚び諂いも暗殺も、関係ない世界に生きられるって、一時でも、思っちゃって・・・そんな訳ないのにさ。俺は所詮、穢れた一族の人間だってのに、ねぇ、馬鹿みたいだ。こんな綺麗な世界、俺の居場所じゃないんだよ。居ていい訳が、無かったんだ」

 

「そんな事、ねぇよ」

 

 何故、そんなことをしたのか。自分でもよく分からなかった。だが、その、血を吐くような告白を、自分の言葉で自分を抉るような行為を止めさせたくて、ライモンドはイヴァンを引き寄せ、有無を言わさず抱き締めた。

 

「ライモンド・・・・・っ、止めなよ。俺は――」

「お前が何だろうが、関係ねぇよ!」

「・・・っ?」

 

 悲しみに歪んだ悲痛な顔。それを、肩口に伏せさせた。もう何も言わなくていい。自分を傷つけなくていいから。

 

「確かに、驚いた。サウダーティつったらこの国じゃ知らない奴はいないからな。しかもそのエリートだろ?よくそんなのと俺も四年も一緒に生活してたと思う。しかも相部屋で」

「・・・・・っ」

「・・でもな。別にそれで何かあった訳じゃない。俺も、マルチェロも、フランカも――クリスティーナだって、お前がサウダーティ家の人間だなんて事今まで知らずに普通にやって来たんだ。仲間、であり、同志。違うか?」

「・・・俺は、嘘をついてた。今までは良かったのかもしれない。でも、これからは―――」

「正直に話せばいいじゃねぇか」

 

 びく、とイヴァンの肩が震えた。そんな、と言おうとする顔を、伏せさせる。

 見せさせたくなかった。あまりに、残酷だ、こんな世界。

 

 だが、抱き締めたその体は、確かに暖かくて、心臓は確かに拍を、打っていて。

 

 自分の腕の中で、震えるこの暗殺者だって。人間、なんだ。

 

「・・・嫌われる、どころじゃ、すまないよ」

「・・否定はしない。どうなるかは、分からないからな。でも・・・」

 ライモンドは、パン、と強くイヴァンの背を叩いた。

 

「信用は、積み上げるものだ。他人に崩されたとしたって、そんなもん、簡単に積みなおせる。お前が不誠実なことをしたのならば、それは同志に、自分の事を黙ってことくらいなもんだろ。俺は、許すぞ」

 

 イヴァンを引き離し、顔を近づけ、はっきりと言い放った。俺は許す。これが、ライモンドの答えだ。仮に過去、数えきれないほど人を殺していたとしても。それが家の命令だろうが、本人の意思だろうが、自分たちがイヴァンと、いや、アルレッキーノと過ごした4年間は変わらないし、なくなったことにはならないのだ。ともに稽古に励み、本番ではセリフを度忘れしてはマルチェロに怒られ、劇団が危機に即した時だって力を合わせて乗り越えた。その時のイヴァンの笑顔や涙までもが嘘だったとは、思えない。まぎれもない、宝物のような日々だったのだ。

 だから、許す。俺は、受け入れる。合わせた瞳に、はっきりとそう語り掛けた。

 じわりと、イヴァンの瞳から涙がこぼれる。

 

「ライモンド、俺、俺は――――――・・・ッ」

 

 悲痛な慟哭が、夕暮れの石畳に響き渡った。まるで、幼い子供のような泣き声だった。きっとこいつは、こんな風に泣くこともできないような日々を過ごしてきたのだろう。

 悪いのはこいつじゃない。時代や、生まれや、そういった自分では動かしようのない、世の不条理のせいなのだ。

 泣きじゃくるイヴァンの髪をするりと撫でる。

 

「お前の居場所、ここでいいんだよ。お前がここでいいと思ってるなら、ここでいいんだ。家族と一緒に居られないのはまぁ、辛いかもしんないけどよ。お前がちょっとでも楽しいとか、そういう風に思ってくれたんだとしてたら・・・ここを、居場所にしてほしいんだ」

 

 実の父親や兄からあんなことを言われて、見放されて、その上さらに知られたくなかったであろう過去を全員の前で暴かれて。そんなの、誰だって辛いはずだ。気にするな、だなんて言わない。でも、それを負い目にしてこの場所を、捨ててほしくは、ない。

 空を見上げれば、もう日は沈みかけ、見下ろす町のドゥオーモの尖塔の先には気の早い三日月が姿を現していた。帰ろう。俺たちの家に。夜がやってくれば家々には明かりが灯り、酒場が賑わうのだ。そうして宵は更け、また朝日が昇る。終わりはない。いつまでも夜な訳ではない。歩みは止められないのだ。自ら、進む力がまだ、残っているのなら。

 

 立ち上がった。見上げてくる瞳は、高貴なサファイアのように深く青い。手を差し伸べ、ライモンドは言う。

 

「んな不細工な泣き顔、似合わないぜ、なぁ、アルレッキーノ。お前は銀の薔薇座のトリックスターなんだろ」

 

「・・・一座の看板二枚目役者に、不細工なんて酷いじゃない。」

 

 掴まれた手は、力強かった。そうさ、今更なのだ。もうお前は仲間なんだ。

 腕をを引っ張り立ち上がらせる。涙を拭ったアルレッキーノの肩を一つ叩き、互いに小さく笑いあった。きっとあいつらなら分かってくれるはずだ、と、分かってくれないのなら意地でも俺が説得してやる、と、決意を固めたライモンドは、うら若い暗殺者と並んで帰路をゆっくりと歩きだした。

 

 

 

 

:::

 

 そのあと劇場へ戻ったイヴァン・サウダーティは、ライモンドに支えられながらゆっくりと自分の事を話した。家の事。暗殺の事。そして家出の経緯や、そこに至るまでの悲しみなどを、途中泣きながら、それでもしっかりと語った。

 ドナテッロやジローラモは眼を見開いたまま固まっていたし、クリスティーナも相当なショックを受けていたようだった。その反応に、ライモンドの胸も痛んだ。だが、フランカが、床にうずくまるイヴァンを何も言わずに抱き締めたことで、全ての決着がついた。

 フランカは、確か昔息子を亡くしていて、それが丁度生きていればイヴァンと同い年くらいだそうで、何かしら思うことがあったのだろう。恐らく、それは愛情であり、慈愛であり、親心のようなものだった。

 マルチェロは、今まで通り、お前は俺たちの仲間さ、と言った。また明日からの稽古練習も皆頼むぞ、と、驚きを隠さなかった者たちを諫める様に温かく、だがはっきりと言った。イヴァンは、それを聞いてまた泣いた。ライモンドもまた、泣いた。

 

 宿舎の相部屋に戻ってすぐ、イヴァンは小さくライモンドに礼を述べ、その日は特に何か話すこともなく、互いにすぐにベッドにもぐった。背を向け眠るイヴァンは何を思うのだろうか、と思ったが、窓から差す冷えた月光を見つめているうち、ライモンドもすぐに眠りに落ちた。嵐は待てば凪ぐ。今はただ、待つ時だ。

 

 

 

 

 ドゥオーモの街の夜は、静かに更けていった。

bottom of page