アルレッキーノ、
または高貴なるイヴァン
2です。
とある時代の即興喜劇の劇団のお話。
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夜の酒場。昼間に腕を切ったせいでアルコールを止められたイヴァンは、ぶどうジュースを片手に上級キャストたちに囲まれていた。嘘やはったりが効かない雰囲気。ああ、面倒なことになっちゃった。
まぁ、いつまでも黙秘が通るとは、思ってなかったけどね。いつかは話さないと、とは、分かっていたのだけれど。
「さてイヴァン、昼間のアレは一体どういう事なんだ」
口火を切ったのはあの無口不愛想が売りなドナテッロだ。人のことになど興味なさげな「博士殿」が自ら物を尋ねてくる、というのは本当に珍しい。それだけ気になるのか気味が悪いのか、そんなもの知ったところで何の意味もないのだが。
「アレ・・・えっとね、何が気になるのかな。全部話すつってもどの範囲で全部なのか分からないから、そちらからの質問を受け付けるよ」
答えるかどうかは別だけどね。この一言は、呑み込んでおく。
一瞬流れる沈黙。やがて、マルチェロが軽く咳払いをして口を開いた。
「じゃあ、聞かせてもらうが・・・訪ねてきたのは弟君だったな。その時お前は『俺を殺しに来たんでしょ』、といったようなことを言っていたが、あれはどういうことだ」
「あー、やっぱりそこからくるよね。うん、まぁ、でしょうね」
想定の範囲内ではある。が、どう答えるかまでは範囲外。さて、どこまで話すか。
先ほどからちらちらと気になるクリスティーナの視線。そちらを向かないよう視野の端に映すと、彼女の顔からは少しの恐怖、それによこしまな意味ではない好奇心―――知識欲と言うのが正しいのか、そんなものが見受けられた。好きな相手の事だから知りたい、おおよそそんなところだとは思うが、困ったものだ。
「うーんと、最初に言った気がするんだけど、俺結構腕が良かったのよ。というかまぁ、稀代のセンスを持った天才だった訳ね。自分で言うのもなんなんだけど」
「だから弟さんがよこされてキレてたんだもんな」
「その通り、ライモンド。まぁ・・・あれは俺も正直ちょっと理性飛ばしてたから言いすぎたかなって思ったけど、つまりそういうこと。向こうは何も考えずに俺を外に追い出しちゃったけど、結局それだとマズいってことに今更気が付いたんだよ」
どういうことだ、とジローラモが眉を寄せる。ピエルに一撃やられたからか、あれから今まで、いつもほど突っかかってこないのがおかしかった。・・・可笑しがってる時点でいろいろと狂っているのは勿論自覚している。
「それが何故マズいんだ」
「じゃあさ、もし俺がさ、他の家に召し抱えられちゃったたらどう?」
「あ・・・・っ」
フランカは気づいたらしい。やはり賢い女性だ。
「あんたがあんたの家を倒してしまったら、ってことだね」
「そう。つまり本家―――親父やその周辺はそれを恐れたんだ。もしここで俺が他の貴族の家に召し抱えられたら、その家はサウダーティより強くなってしまうから。俺がいる以上ね、勢力で勝てなくても片っ端から物理的に潰してしまえば―――端的に言うと、俺を使ってサウダーティの人間を皆殺しにしちゃえば勝てるんだもの。今この国の中でうちの一族と同等にやりあえるだけの殺し屋はいない。だから俺の暗殺の腕ならどこの家だって欲しがる。ならば、他家に流れて厄介になる前に殺してしまえ、と。そう思ったんだろうね。にしてもピエルをよこしてくるのは人選ミスだったかなーとは思うけど」
「明らかにお前のほうが強そうだったもんな、弟より」
「ピエルも十分な腕は持ってるよ。ただ、俺には到底敵わないってだけでね」
自慢したってどうしようもない分野の話だ、それならば、と思いっきり自嘲的に語ってみる。聡いライモンドはその意図に気が付いたららしく苦々しげに顔を背けた。
「あの・・・あんまり関係ないかもしれないんだけど」
続いて、恐る恐るといった感じでクリスティーナが発言。ん?と顔を向けてやると、昼間の自分の顔を思いだして怖いのか、目を伏せた。
「弟さんとの会話で、何人か別の名前が出てきたでしょう?教師たち、って言ってたかしら、あれは一体・・・・」
「あーはいはい、アレはね、そんな堅苦しい話じゃないんだ。血なまぐさい訳でも無いんだけど、聞きたいなら話すよ。ちょっと面倒なんだけどね」
妙なところ聞いてくるんだな、と思いつつ、イヴァンはジュースに口付ける。そっぽを向いていたライモンドが戻ってきた。気になるらしい。
さて、とイヴァンは話し始める。これはあんまり話しすぎると、隠して生きてる人たちに迷惑掛かるからな、あんまり詳しくは言えないや。
「普通貴族の子って小さいときから各方面の―――剣術とか語学とかのね、家庭教師がつくんだけど、うちの場合はそれが全員親族なんだよ。ちょっと長いけど、聞いてね。
うちは今の当主、つまり俺の親父で七代目なんだけど、初代がすごい子だくさんでさ。長男から六男まで子供がいたんですよ。で、長男は当然サウダーティの本家を継いだんだけど、問題はその下五人。まさか全員本家に置いておくわけにもいかなくて、結局もめた末にばらばらの家を興すことで決着したんだよね。そんでそれぞれの家の末裔っていうか、本家と一緒に平行に続いてった当主たちが、その家ごとに代々決まった内容を本家の後次に指南していくんだ。それが弟が「教師たち」って呼んでた人たち。何て呼んだらいいかいまいち分からないから、対面するときは普通に名前で呼んでるよ」
一通り語り終わって、まぁ、こんな感じ?と笑んでみる。一息にかなり喋ったから、きっと相当話を聞いた気になっているだろう。深く突っ込まれたくないからはぐらかさせていただく。いくら市井の劇団の中のとはいえど、自分の発した言葉が対立貴族の耳に入らないとも限らないのだ。出奔した身ではあるが、付け狙われないためにもあまり派手なことはしたくない。
納得したような顔の中で不意に、あ、とライモンドが声を上げた。
「そういやお前、さっき自分で腕切ってたけど、アレなんだよ。ていうかこれから舞台に支障は出ないのか?」
「平気だよ。止血はしてあるし、最悪傷口塞がんなくても包帯巻けば衣装汚れないもの。一度布に付くと血は落ちづらいからね、気を付けるさ」
「いや、そうじゃなくて」
「へ?」
てっきり血で汚れるから、とそういう事だと思ったのだが違うらしい。何だろう。
お前こそ何言ってんだ、とでも言いたげな表情で、ライモンドが聞いてきた。
「衣装なんてどうでもいいけどよ、お前宙返りしたりするときに腕使うじゃん。痛いだろ」
・・・・・。刺さった。胸に。すっかりそんな事忘れていたのだ。
痛みか。痛み・・・・。そうか、普通はそっちなのか。
いつもけがをしたときは服を汚してしまうとかそんな事しか考えていなかったものだから、痛みで動きに支障が出る、なんていう選択肢が浮かばなかったのだ。
思わず、素で苦笑いする。
「いや、俺痛みには強いから、平気」
「強いったって・・・それで着地し損ねたなんつったら一大事だぞ」
ライモンドの言葉に、キャストたちに静かに動揺が広がったのが分かった。確か、この一座の前任の「アルレッキーノ」はケガのせいで引退をやむなくされたとか言ってたな。心配というよりは、二度目は御免なのだろう。
ふぅ、とイヴァンは息を吐く。その拍子に、昔の記憶が氾濫してきた。
気絶するほどの痛み。まだ10歳にも満たなかった自分にも容赦なく課せられた訓練。最初の頃は叫びすぎて二日で声が出なくなり、三日目には喉が切れて血を吐いたんだったか。
別に、あの日々がトラウマになっている訳ではない。むしろ懐かしさの方が先行するが、決して思いだして楽しい出来事だった訳でもなく。
・・・でも、これは話さざるを得ないのかな。普通に考えたら可笑しいもんね。
仕方ない、と腹をくくる。
「俺さ、拷問の訓練のおかげで熱とか痛みとか毒とかさ、あんまり効かない体してるんだよね。いや、痛いし熱いとは思うけど、それだけ。別に動けなくなったりはしないから――――――」
っと。一度イヴァンは口をつぐんだ。もとからあった「心配」の雰囲気の中に、少しずつ「気味が悪い」が混ざり始めた感じがしたのだ。恐らく、これ以上は何も言わぬほうが得策。マズいな。裏を見せてはいけなかったか、と反省する。弟を窘める時のようなノリでやってはいけないらしい。
ぱん、と手を打ち、イヴァンは空気を変える。明るい表情を心掛け、すべてを消し去るような演技がかった声音で。
「ま、そういうことで!何一つ心配はいらないよ。それより悪かったね、いきなり弟が飛び込んできて。今度ああいうことするんだったら先に手紙寄越せって言っとくからさ、とりあえず今日は飲もうよ。もう皆舞台から降りたんだから」
若干の嫌悪感をやり過ごしながらどこかの誰かのようにあざとさを強調して言うと、各々何かを感じ取ったらしく、強ばった笑顔でそうだな、そうね、と頷き合ってくれた。そう、これは茶番なのだ。舞台の上で陽気に舞うアルレッキーノ――道化師。演技らしさを前面に押し出したことで、今さっきのえげつない言葉さえ「これもアルレッキーノの大げさな演技だ」と片づけてくれる。全くもって便利なキャラクターだ。
全く以って。そういう俺も大概だよ。
湧いた薄暗い感情を心の奥に押し込み、イヴァンは笑う。
「ほぉら飲んで飲んで!言ったでしょ、今日は俺の奢りだよ。こんなチャンス二度と無いんだからね、しっかり楽しんで!」
かんぱーい、と雰囲気に酔ったふりでグラスを振り上げる。いい時間になってだんだん盛り上がってきた酒場で、誰かが歌いだし、誰かが楽器を持ち出し、そしてオッサンたちが踊り始めた。さぁほらみんなも。そう促して、皆がようやくほっと息をついたような笑顔になる。
「まぁ、気を付けてくれよな。お前は銀の薔薇座のトップスターなんだから」
「アルレッキーノからアクロバット取ったら何も残らないもんな」
「わ、ジローラモひっどい!いつにもまして嫌な事言うんだから!ねぇフランカ、何か言ってよ!」
「そうだねぇ、じゃあ明日の洗濯係はジルにしようかね」
「何だフランカ、ハンサムばっか優遇するんじゃねぇよ」
心から拗ねたようなジローラモに、笑いが弾ける。そうそう。これでいいの。余計なものを忍び込ませてしまったお詫びに、何もかも忘れるまで楽しんでよ。
ふと。
遠い戸口の方から、何やら視線を感じた。
目をやると、立っていた黒ずくめの男と目が合った。
闇に溶ける黒。自分より色の明るい髪だけが、どこか頼りなさげに揺れている。
「大丈夫、だよ」
そう小さく口に出すと、黒は少し表情を歪ませ、それから何か振り切るように名残惜しげに頷き、そのまま夜へと消えていった。
「おいイヴァン、どうした?」
ライモンドが怪訝そうな顔でこちらを見てくる。
イヴァンは、ふ、と笑った。
お前も大切な可愛い弟だけど。
ごめん。もう少しだけ、ここにいさせて。
この平和で暖かい、一座に。
「んーん、何でもないよ」
「そうか?あっち見てたからよ」
「うん。何でもない」
もうちょっとだけ、我がまま言わせておいて。
Fin.