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チョコレートサンタ

バレンタインデーに書き始めて2か月半が経ちました(白目)

​こいつらの関係性もまた微妙なもんだよな、ということで瑞希と孝介の話。あんまり空気は読めないけど、瑞希なりの気遣いというか・・にしても雑だよね。

描きたいこと書き殴っただけなので適当です。

 食べたいものを我慢しなきゃならない、って、結構しんどいことだと思う。好きなものなら、たくさん、美味しく食べたいじゃん。だからあたしは、うまくそういうのができない人のために、今日はサンタクロースみたいになるのだ。恋とか愛じゃない、ただ、チョコレートくらい何も気にせず食べてほしいから。

「失礼しまーす・・・」

 今日はそっちにいる、と聞いたからやって来てみたが、お目当てのこーちゃんはいつものソファにはいなかった。日のよく当たる、それでもって暖房でぬくぬくしてる保健室。床がクッション材なのもまたポイントが高い。あたし自身はそんなに用事はないけど、何かと入り浸りがちなこーちゃんを構いに、遊びに来る頻度は高かった。

 入り口の引き戸をからからと閉め、靴を脱ぐ。少し奥まった所にいる養護教諭の森永先生がひょこっと垂れ下がる仕切りカーテンの向こうから顔を出した。

「あら、波多野さん?どこか怪我でもしたの?」

 いつも通りの優しい森永先生。肩で切り揃えたボブカットは、校内の男子に可愛いと人気だ。靴を揃えて中にはいる。

「んーん、違うの。こーちゃん・・佐久間くん、いますか?今日は午前の間ずっと保健室だったって聞いたから」

 スプリングの緩いいつものソファに腰を下ろし、少し小さめの声で尋ねる。すると、まぁ波多野さんはいつも元気だものね、と笑ったあと、森永先生は少し困ったように首をかしげた。

「今日はいつにも増して具合悪いみたいでね。朝から来て一時間くらいソファで本読んでたと思ったら、ベッド借ります、ついでに水下さい、って言って、そのままお薬飲んで、以来ずっと起きないのよ。もうお昼休みだから、お腹空いてないか少し心配なんだけど」

「あー、具合悪い、感じかぁ。そりゃあ午後も多分だめだね」

「顔色もあまり良くなかったし、早退も勧めたんだけれどね、そこまでじゃない、って。だから静かに休ませてるのよ」

 こーちゃん語とでも言おうか、つまり具合が悪いというのは、体ではなくて心がいつもより不安定で機嫌が悪いということだ。それでなくても偏頭痛を持っているこーちゃんなので、付き合いの長いたーちゃんがそれと普通の体調不良を昔から使い分けて、こーちゃんがバランスを崩すたびに周りに伝えていたらしい。もっとも、あたしが初めて会ったときには、もうたーちゃんは声が出なくなっていたから、それを聞いたのはたーちゃんの手話を翻訳してくれるあーちゃんからなのだけど。

 みんな、色々難しく考えすぎだと思うんだよね。こーちゃんが今具合悪いのも、多分そのせいだ。皆自分が悪いと思って、自分を追い詰める。バレンタインデーくらい、自分用にチョコ買ったっていいじゃんね、と思いながら、あたしはすくっとソファから立ち上がった。

 プレゼントは板チョコ。包装紙に大きく、名前と一言を書いてある。こーちゃんお気に入りの一番端っこのベッドに、チョコサンタのお出ましだ。静かにね、と森永先生に注意を受けて、忍び足であたしは目的地に向かう。天井から吊り下げられたカーテンが閉まっているのは一ヶ所だけ、まだ眠っているかもしれないから、余計な場所にぶつかったりしないよう、注意してベッドの間を進んだ。

 女の子嫌いなこーちゃん。・・・もしかしたら嫌いなのは女の子自体じゃないのかもしれないけど、こうしたカップルたちが盛り上がるようなイベントをこーちゃんは毛嫌いしていた。それこそ、ろくに授業も受けずに寝込んでしまうくらい、特にバレンタインデーには何かトラウマがあるみたい。結構甘党な癖にチョコレートだけは絶対に要らないと言い張るからさ。だったら、何の面白味もない、しかも“あたし”からの板チョコなら、食べてくれるかなって。本当は、好きなんでしょう?

 静かにカーテンの中を覗くと、いつもよりもっと苦しそうな顔でこーちゃんは寝息を立てていた。ベッド脇の小さなテーブルには空のコップと大量の薬のシートが散らかっている。偏頭痛用といって度々飲んでいる量よりもそれは明らかに多くて、多分精神安定剤だとかそういうのも入ってるんだろう。顔色も悪いみたいだし、多分昨日はろくに寝てないはずだ。最初はそんなこと分からなかったけど、もうこの“変人四天王”とかいうあだ名をつけられ始めていい加減2年目になる。だからね、もう分かるんだ。きっとそうして現実から逃げた先の夢の中でも何かに、苦しめられてるんだろうな、って。

 結構身長はあるのに、睫毛が長くて鼻梁が細いせいか寝顔は綺麗な女性にも見える。けれど喉元や鎖骨の辺りはやっぱり男の子で、あたしみたいな偽の王子さまとは違うなー、なんて思っちゃったりするんだ。どうも悪い噂が多すぎて周りから怖がられているけど、本当は真逆。本人はこんなに繊細なのに、皆誰も気が付こうとしない。だからいつもこうして一人、保健室のカーテンの中で苦しんでるんだよね。好物さえトラウマのせいで、食べられないくらいにさ。

「・・・食べればいいんだよ、好きなものくらい、美味しく」

 あたしは、散らばった錠剤のシートを避けて板チョコを置いた。エネルギー源になるっていうし、あたしも舞台前にはよく食べる。だから、よく眠ったらチョコを食べて、明日は元気にまた悪態をついてよね。あーちゃんもたーちゃんも咲ちゃんも、みんな心配してるんだから。

 こーちゃんが小さく呻いて、寝返りを打つ。その姿が、何かから逃げようと縮こまっているようにしか見えなくて、あたしは微かな胸の痛みを感じながら、そっとカーテンを閉めた。

 

***

 目が覚めた。何の薬のせいか分からないが、頭はいまいちはっきりとせず、ふわふわと地に足がついていないような、そんな感覚だ。今何時だろ、と体を起こそうとして、腕に力が入らずによろける。ザマァねぇな、なんて自嘲しながらよいしょ、と起き上がると、ふと投げ散らかしっぱなしだったサイドテーブルの上の薬の山に埋もれて、見慣れない物を見つけた。

「何・・・」

 とりあえずスマホで時間を確認すると、大体5限の後半といったところだったが・・・何だこの、板チョコ?外側に何か書いてあるようにも見えたが、頓服薬漬けになった後の寝起きなのもあってかいまいち認識できなかったので、得体のしれない気味悪さを感じながら、俺はまず伸びをして鞄から眼鏡を取り出した。

 バレンタインデー。俺からしたらそんなもの、人生屈指のクソみたいな日でしかない。この“化け物”呼ばわりされる程の邪魔な記憶力のせいで忘れることもできず、俺の人生に致命的なレッテルを貼られた日でもあり。・・・要は消えない呪いのようなもんだ、自己解決なんてものとうに諦めてるからこそ、こうして薬漬けで眠りこけては暴力沙汰に自傷にピアスとやりたい放題して自滅するように生きている訳で。だから、気味が悪いのだ。こんな日に俺にチョコレートなんて、一体どこの誰からの嫌がらせだ。折角中等部時代の悪評のお陰で余計な人間に絡まれない快適な生活を送れてるンだってのに。

「あー、ったく、誰だよンなの寄越したの・・・」

 カーディガンを羽織りつつ眼鏡をかけて、適当に薬をポーチに突っ込む。とりあえずソファ戻るか、と全部鞄に放り込んで、俺は仕切りカーテンを開けた。

 

 

「あら。佐久間君起きたのね」

 保健室の入口から少し奥に入ったところにあるソファは、いい感じにスプリングが死んでいる。人がいなければそこで軽く居眠りしたりもするが、このやる気のない沈み込みを一周回って俺は気に入っていた。基本、調子が悪すぎてベッドで寝ている時以外はおおよそソファで過ごしているが、いつもの通りそこに向かおうとしたところで、俺の姿を認めたのか森永教諭がデスクから立ち上がった。董生は「あの清楚に見せかけたドジっ子気質が結構嫌いじゃないんだよね」だとか、馬鹿みたいなことほざいてたっけ。色々差し引いたとしても、奴の女の趣味は本当に謎だ。

「あの、誰か来てました?何か見知らぬ板チョコが置いてあったんだけど」

 鞄を投げだし、ぷらぷらと件の板チョコをかざすと、休憩中なのかマグカップを片手に森永教諭は笑った。そのいかにも女性的な仕草に目を背けたくなるが、ふとそれ繋がりで副任の樋口教諭の底の知れない笑みが脳裏に浮かび、ため息を吐く。これならまだこの女性の可憐な笑みの方が、余程マシかもしれない。

 ようやく視界のピントが合ってきたところで、板チョコの包装紙に何か書いてあった気がしたのを思い出した。わざわざ茶系の包装紙に黒マジックで書くなよ、しかも字が汚い。けれど、この筆跡を俺は確かに“知っていた”。いつも台本に書き殴られている、“奇怪な演劇部の王子様”の字だ。

「・・・あいつ、来たの?何のために?」

 ようやく字が認識できるようになってきたので、目を凝らしてその字を読んでみる。眼鏡も久々だから慣れないけど。ただ本当に字が汚いのも確かなので解読に時間がかかっているのだが、その様子がおかしかったのか、声を立てて森永教諭が笑い出した。

「波多野さんね、私もよく分からないけど、とにかくそのチョコレートを佐久間君に食べてほしかったみたいよ。「好きなものくらい何も気にせず食べればいいんだよ」って、帰り際そう言ってたわ」

「好きなもの、ね・・・」

 何言ってんだか、と変に湧いた生暖かい感情も、すぐに掻き消されるように哄笑が漏れる。いや・・・、まさかあの瑞希に、そんなこと考えられる訳ないだろ。分かってるんだけど・・頭、ごちゃごちゃする。

 包装紙には、「チョコサンタ参上、今日くらいチョコだって食べればいいんです、あたしのせいにしていいからね!」と書いてあった。何ともあいつらしいというか、あの阿呆の前じゃあ何を深く考えても無駄なんだろうなと、まず諦めが先に来た。チョコサンタ、ね。別に、あの音の鳴る箱とは違うんだし。瑞希が寄越した単なる板チョコに何を重ねてるんだっての。

 若干の躊躇いはあるけれど、俺は思い切って包装紙を破いた。そうでなくたって、板チョコをそのまま齧るなんて生まれて初めての経験かもしれない。すぐにちぎれる銀紙を剥ぐと、甘ったるい、久しく感じていない香りが、葬ったはずの記憶の奥底を刺激する。

 意を決して、かじる。

「・・・・うえ。」

 荒れた1Kの一室でかつて焦がれた味も、高校生ともなると単に甘いだけだった。でも、やっぱり好きで。口の中でゆっくり溶ける甘さが、余計なモノに変わって目から零れ落ちる。

「はは・・・ったく・・・。馬鹿だなァ、俺なんかに」

 半端に硬さを失ったぬるいチョコレートは、二欠片も口にすればもう十分だった。喉を焼くのは何だろう。包装紙の残骸に散らばる汚い字がまた無理やりに感情を引きずり出すようで、声を上げることも無く俺は、流れるがままに任せて暫く涙を放置していた。一瞬視界に差した影が残したティッシュボックスも、それを許してくれているかのようだった。

 残りはうちに持って帰って食べよう。とはいえ飽きるだろうから、ばーちゃんたちにも分けよう。だから、今だけはこの不安定な感情もそのまま垂れ流したままにしておく。好きなものくらい、何も気にせず食べたっていいんなら、ね。

 銀紙の先を折り返し、俺はチョコサンタからの贈り物をそっと鞄の中に仕舞った。

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