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​素晴らしきこの世界を贄に、私は柵から飛び降りよう

クラウスがぐだぐだと悩んでいる話。フロリアン視点、未完。完結予定立たず。

素晴らしきこの世界を贄に、私は柵から飛び降りよう

 

 

 屋敷の2階中央のリビングダイニング。そのソファーの一角で僕は縫物をしていた。舞台での衣装の古着がまた手に入ったので、リメイクして着直しているのだ。別に貧乏だからだとかそう言う訳ではない。やはり舞台用の衣装となればコスプレ衣装なんかとはけた違いに上質な物だし(実際、町一番の仕立て屋に製作を依頼しているのだから)、一から作るなんて時の構造の参考にもなる。だから解体→メモ→修復→リメイク、を繰り返して女装時の服は全部自分でどうにかしているのだが、・・・・ふと大きい窓の外のバルコニーに、とんでもない厄介物を見つけてしまった。・・・あーー。見てるだけで気がおかしくなりそうだ。

 仕方がない、と僕は手元の道具を軽く片付けて立ち上がる。今日は裏も表も非番だから、女装ではなく男装だ。慣れないスラックスの履き心地もそろそろ退屈になってきたころだし。いっそ突き落としてやるか、なんて不穏な事を思いつつ、僕は窓を開け、“バルコニーの柵の上”に立っている“淑女”に話しかけた。

「またそんなところに立ってると、テオドールに怒られるよ」

 結い上げられた色素の薄い吹き曝しの銀髪を、凝った飾り編みが囲む。何故そんなに髪を伸ばしているのかは知らないが、こうしてみるとなかなか衣装にもあっているじゃないか。まぁ、ブラウスに黒のフレアスカートなんて、まるで喪服のようなのだけれども。

 “淑女”が振り向く。ヒールの高い靴を履いて、二階のバルコニーの柵の上に立つ淑女。淑女?いや、悪魔の間違いかもしれない。

 青い双眸が、光無くこちらを見てくる。

「“ご安心くださいませ、既に喪服は着用済みで御座いますれば”」

 死んだ笑顔。台詞めいた女の声。この稀代の役者のおふざけには、―――放置プレイが一番効く。

「ねぇ、そんなところから飛び降りたところで死ねないなんてのは知ってるんでしょ?馬鹿じゃないの?ってか馬鹿なの?何度目?」

 ベンチに足を組んで腰かけ、僕は無遠慮に言葉を投げつける。雰囲気をぶっ壊してやれば簡単に“青いの”は黙るのだ。・・・赤いのはそうもいかないが。

 予想通り、拍子抜けしたような顔をして、淑女、の恰好をしたクラウスが柵から飛び降りた。薄手のスカートの裾が、半端に冷たい風に舞う。無駄な物を一切そぎ落とした人形のように細長く不健康なほどに白い手足が喪服から覗いた。

「5度目、で御座いましょう。知っていますわ、このような高さから飛び降りたとて、死ねる訳などないという事。ですが最適な場所をわたくしは他に知らないのです」

「あそう。じゃあなんで今日は女装なの」

「・・・・・・。・・・・意地悪を言わないで下さいませ、御貴人。ただの趣味でございます」

 にっこり笑って、優雅にスカートをつまんで一礼してくる。・・・上背がありすぎるのがネックか。それ以外はまぁ、どこからどう見ても女だ。

 チークを刷いた頬。口紅を置いた唇。薄いアイシャドウ。マスカラはつけていないはず。そしてどこから出しているのか良く分からない女声は、よりクラウスの持つ独特の不気味さを増長させていた。

 それに、とクラウスが踊るように近づいて来る。

「本日は貴方様が男装してらすんですもの。ならばわたくしは女になりましょう。よいではありませぬか、たまには立場を交換してみるというのも。それにわたくしは演者で御座いますれば、元々性別などという定義は無意味。すべては観客様の為に。歌いましょう、踊りましょう、体の局所の構造など取るに足らぬ物は捨て置き、一期の夢にせいぜい狂いましょう・・・!」

「・・・・・・・。」

 屋敷の東棟・西棟に挟まれたテラス。背景は中庭、そして鬱蒼とした森。明るさは仄暗さに変わり、喜劇は狂言に変わる。噛まずに長台詞をつらつらと言ってのけるのは流石花形役者と言うべきか、―――そんな風に思考を少し寄り道させていたら、唐突に道化の顔から笑顔が消えた。ようやく本題に入る準備ができたか。

「・・・で。今日は一体どうしたの。普段そういう役回りはお前じゃなくてzweiがやるものじゃん」

 やれやれ、と僕はクラウスに話を振る。もうここまでが長いのなんの、まず一人芝居を終えなければまともに人と会話を成立させることすらままならない男なのだ。

 可哀そうに。そう小さく呟く。本当に可哀そうな男だ。世の中の陽気を全部引き受けたみたいな阿呆のような表情をしておいて、実際に押し付けられたのは途方もない狂気ばかり。

それでも、求められた役を演じ続けるこいつは、多分だけれど、もう20年近くは舞台から降りられないでいる。器用なのか不器用なのか・・・いや、それ以外の手段を知らないのか。“本来誰よりも正気でありながら、己を守るために誰よりも狂気を受け入れ続けている”だなどととある変態メディックはよく言ったものだが――いざ、こうして道化が舞台袖に捌けた瞬間というのは、舞台の上はとてもがらんどうになるものだ。役目を奪われ壇上に立ち尽くす哀れな道化・・・まぁ、どうせ数時間後にはまたいつもの様に薄い言葉をばら撒いているのだろうが。

 可哀そう、などと腫れもの扱いされるような時期はもうとっくに終わったのだ。笑い話にできなくてどうするんだって、ねぇ。面倒くさいが先行して、僕はクラウスをせっつく。

 

 虚ろな瞳から、ぼとり、と言葉が落とされた。

「・・・彼は、幸せなんでしょうか。」

 彼の気持ちが全く分からないのだ、と、クラウスは言った。

 

 

 

 

 彼。ああ、フォルの兄弟か。双子だと言っていたが正直性格があまり似ているとは思わないから、フォルに当てはめて考えてみるのは無理があるだろう。というか、あまりにも質問内容が抽象的過ぎて何をどう答えればいいのかさっぱりだ。

「・・・・どういうこと?」

「ですから。彼は私を好きだと言ってくれました。そして、私も彼のことが好き。でも、少なくとも毎日二人、彼は“私”と接しているじゃないですか。彼は一体、何を好いているんでしょうか。二人の別人を愛しているのでしょうか?普通、そんなのはあり得ないし恐らく不可能でしょう。でも彼はそうだと言いますし、私にはいまいちそれが分からない。見た目だけを愛してくれているのなら手っ取り早いのに、どうもそうでもないらしいですし。こんな不完全でバラバラな人間を愛していると言って彼は本当に幸せなんでしょうか。いえ、そもそもこんな不完全体を愛して彼は一体何が楽しいのか。あまり表情が豊かではない方ですし、その割にやたらと懐は深いから―――あの人の負担になっているのならば、今ここで飛び降りて死んだ方がすっきりするなと、そう思ったんです」

 うーん。まぁ、言いたいことは分かった、が。何と説明すべきか――僕もそんなにクラウスのような解離性同一性障害について詳しく知識を持っているわけではないから本人に諭せるかと言われたら微妙なのだが、とりあえず以前クラウス抜きでテオドールから同居人全員に説明があったとき、あのメディックはこう言っていた。

 

『別人格、とは言うけれど、あくまでもクラウスの中の人格は全て元のクラウスの性格の多面性が独立したものでしかないんだ。――役割をそれぞれ担ってね。だから、全く別の性格に見えはするけれど根本的にあれは全て一人の“クラウス”の別の側面な訳で――まぁ、その別の側面が記憶を切り離した上で表に出た結果、バラバラに成長していったから中身が完全に別に見えるし、そう扱った方が楽なんだけどもね。』

 

 そう、つまり語弊を恐れずに言えば、どんな人格が出ていようがそれはあくまでも“クラウスの一側面”でしかないのだ。だから余程フォルの兄弟のキャパが広いならば別にクラウスを愛しているといったところで全く矛盾はないはずなのだが――どうもそこが本人的には引っかかるらしい。あくまでも、人格間でもほぼ記憶は共有できないし趣味も嗜好も違うとなれば当人からしたら他人格は“別人”なのだろうが・・・・さて、どう説明すべきか。というかぶっちゃけ、そんなこと程度で死なれたら困るんだけど。

 迷いに迷った末に、僕は口を開く。

「・・・多分、お前の恋人さんはさ、お前の見た目のことも好いてると思うよ。中身もそうだけど―――外見も十分好意を持つ要素の中に入ってると思う。だから、難しいことは置いておくとしてもその外見が死んだら、恋人さんは悲しむんじゃない?」

「・・・外見」

「そう、外見」

 まぁ、容姿の問題で説き伏せるなんて酷かもしれないけどさ。難しいことを言って聞かせたところで理解してもらえないのは分かっているからそこらへんは割愛だ。

 ベンチから立ち上がり、僕は淑女の前に立った。巷じゃ僕はDOLLなどと呼ばれているらしいが、こいつも正直負けてはいない。人形、というよりは絵画の中の人物のようだ。不自然なほどに完全。

「綺麗だよ、お前は。それは僕が“男”としても認める。お前は綺麗だ。好かれてるならいいじゃない、確かにあの人がお前の何を好いているのかなんて知らないけどさ、嘘ついたり世辞や口説並べられるようなタイプじゃないでしょ、彼。愛されてるのは確かなんだから、そんな人の前から唐突に消えようとするのは、それはもう役者が上演途中の舞台放り出してどっか行っちゃうようなもんだろ」

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