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ビスコ

錯綜青春シリーズ、番外編。変人四天王の一人、波多野瑞希とその後輩の話。

​後輩はモブっぽいようなそうじゃないような何か。「後味の悪い話」から改題。後味、割と悪くなくなったので。

俺は、目の前で首を吊ろうとしている人を見たことがある。

 

 

 

 

 

 

 

::: 春

 

 

 いつのころからか、一人で屋上で昼飯を食べることが日課となっていた俺は、その日もいつも通り昼休みが始まって10分後、屋上のドアを開けた。そこで、見かけたのである。

 なんだか嬉々として、給水塔から横に伸びる微妙な梁に括ったロープの輪に、今まさに首をかけようとしている女子生徒の姿を。

 

「あ・・・っ」

「あー、ごめん、これからここでご飯?ちょっくら首吊らせてほしいんだけど、いい?」

「いやいやいやいや、何言ってんすか」

「気にしなくていいからね、どうぞお構いなくって感じ?」

「お構いますよ、てか目の前で人が首吊ってるところで平然と飯食えるって何なんですか、俺そんなサイコパスじゃねぇ」

「えー、そうかなぁ。あ、じゃあ飛び降りようか、そうすればバイバ~イで終わるね!」

「俺の事一生トラウマで飯食えなくさせるつもりかよ」

 

 何なんだよこの会話。いや、でも目の前で首吊られようが飛び降りられようが、今後ここで飯食えなくなるのは必至だぞ。嫌だよ、俺の唯一の安寧の地を奪わないでくれ。

 そう説得?すると、その女はしょぼんと存外にもあっさりロープを片付け始めた。あ、やめるんだ。にしても、なんでいきなりそんな、そしてやめさせたらやめさせたでそんな、ファニーに悲しそうなんだよ・・そう、なんで、そんな滑稽な茶番みたいな雰囲気が、漂っているのだろうか。

「あんた、誰だよ。なんで学校の屋上でんッブ」

「ハァイご注目、まずはご挨拶。『ワタクシの名は3年7組芸術科、波多野瑞希。“我が校が誇りし演劇倶楽部”の部長を務めル、通称“水浦第一学院高の変人四天王”の末席を汚す者で御座いますれバ。普段は少し変わった普通の高校生なれド、ひとたび舞台に上がれば世界はもうワタクシの物。その実力は県どころか日ノ本中にも轟く程にて、』―――――あ、全国大会で評価されてるのはホントだからね?あと変人四天王とか言われてんのもホント。・・となると何一つ嘘は言ってないな、うん」

「何なんd・・・ですか、つか人の口にいきなりビスコを詰め込まないでください、地味に苦しい」

「そりゃすまなかったね、でもおいしいじゃない、ビスコ。私はいつも持ち歩いてるよ」

「そうですか・・・」

 そういったなり思いっきり怪訝な顔を向けたつもりの俺を華麗に無視して、ビスコは世界中誰にでも平等においしいから、と変な節をつけて歌いだした目の前の奇怪な人物は、確かに2年生の俺でさえその名を知っている「3学年・変人四天王」の一人と名高いあの波多野瑞希だった。

 中学時代から演劇の才能を発揮し始め、地味に演劇強豪校であるこの水浦第一学院高等学校芸術科の推薦入試も難なくトップで通過、勉強はからきしなものの入部した演劇部では1年生にして主役の座を奪い取り、その後も数々の大会でスタンディングオベーションを巻き起こすほどの演技をかましているのだという。

 そんな、卒業後の進路は芸能界からもお声がかかっていると噂の化け物役者が今、目の前で舞っていた。女性にしては高い身長だが、そのスカートから伸びる足は適度に筋肉がついていてとても綺麗だ。伸びた指先、よく通る声。歌っている内容は奇妙極まりないが、確かにこれが演劇部のスーパースターなのだと言われれば、うなずける。

 でも、なんでそんな、光り輝く未来を確約されているような人が、屋上で一人首など吊ろうとしていたのだろうか。はぁ疲れた、と座り込んでポケットから出したビスコをかじる姿には、一差しの影もないのに。

 あー、だるいー疲れたーとだるだるし出した先輩を疑問の目で見つめていると、首をぐりんと回して振り返ってきた。

「ん?どした?もう一個食べる?多分いちご味しか残ってないけど」

「いえ、もういいです・・・つか買ったパンあるんで、そっち食べますから」

「そっか。じゃあ、君、私と友達になろうか」

「はい、そのつもりで・・・・ッはい!?え、今なんて」

 突然の、爆弾発言。思わずパンの袋を開けようとしてたのを、取り落した。

 ぺしゃっと間抜けな音を立てる、クリームパンの袋。

 

 変人四天王の一人が、まだ時期の早い真夏の太陽のような笑顔で言った。

 

「君、私と友達になっておくれよ」

 

 

 

 

 

 

 

:::: 初夏

 

 

 

「なっははは、でさぁ、その時スティーブンが」

「スティーブンって誰すか」

「あ、スティーブンはねぇ、えっと・・そうそう、このイベントの後死ぬ人」

「何なんだよそれッ、唐突に出てきてその後死ぬとか可哀そうすぎるじゃないですか」

「ホラゲーの死亡フラグ役に感情移入したらいけないぞォ。彼らは死ぬことでこのシナリオを生かしてるんだからね!うんうん、脚本家の愛が見える・・・☆」

「いや、あんたの語る順序に文句言ってるだけですから!!」

 

 一か月もたたないうちに、なんだかんだ俺と波多野先輩は普通に友達になってしまっていた。毎日、昼休みの謎のダベリ大会。内容は大体、先輩の部活の事とか、ほかの変人四天王の人たちの事とか、先輩の趣味だというホラゲーの話だとかで、何にせよとにかく先輩はよく喋る。

 最近は廊下ですれ違ったりするときにもやたら絡んできたりするし(すると俺は『あの波多野瑞希と仲良しな男』と凄い目で見られる訳だが)、まぁ、気に入られているのだろう。この頃には最初に会ったときのことなどすっかり忘れ俺も結構楽しく先輩の話に付き合っていたし、一人で飯を食っていたころよりは余程、充実した日々を送っていたとは思う。・・・ちょっとこの日課が楽しみになってしまっているのは、内緒だ。

「にしても珍しいっすよね、あんまこういうゲームって女の人はやらないんだと思ってたんで」

 今日話していたのも、ハリウッドで映画化されてたりなんかもしている結構有名なホラゲーについてだった。数々のゾンビや生物兵器に立ち向かうのは勇猛果敢な女子大生――いや、でも主人公女だしな。今どきならありなんだろうか――と思ったが、そういえばこのゲームもう数年前のやつだぞ。コアなマニアでもなければ女子高生がこんなホラゲーやらねぇよな。まぁ、この変人四天王なら何をやっていようが今更驚きもしないが―――そんなことをちらほら考えていると、

「うん、まぁそうだろうねぇ。シリーズの最新作は比較的アクションゲー要素が強くなってきてるけど、ここらへんはまだまだホラゲー色強いし。あんまり女の子はしないと思うけど――え、知り合いでやってる子いるの?もしかして彼女?」

「いや、あんたの話ですよ。それで俺には彼女なんてもんいません。まぁ、なんつうか先輩ならやっててもおかしくはないとは思いますけど・・・」

「私の話かい?私、男だよ?」

「でしょ?だから・・・・ッ、はい!!?」

 相変わらず話通じねぇ人だな、などと言い換えようとした時、またしても爆弾が投下された。え、待てよ。この人今何言った?

「えっ、ちょ、え?」

「いや、だから。私、男だよ?最初に言わなかったっけ、あれ?」

「言ってねぇよ!!知らねぇよ!!!!!」

「えー、ちゃんと付いてるんだけどなぁ。見る?」

「見ねぇ!!!!!」

 ぼけっとした相変わらずな表情でスカートを捲って見せる波多野先輩。待って、いや、何か期待してたわけじゃないけどさぁ、なんかこう、その・・・。

「あの、うちのクラスにもいますよ、女装してる子。最近転校してきたんですけど、めっちゃ美人です。黒髪猫っ毛の京都弁男子」

「えっ、ホント?友達になりたいなぁ」

「それに相手があんただからもう別に何を見せられても驚きもしないですけど」

「え~?驚きと喜びがないと人間って早くボケるっていうよ?」

「でも!」

 へらっと笑ってかわそうとする先輩に、俺は掴みかかる。

 

「でも!!何かだめですからそういうの!!・・・いや、女装がじゃなくて、こう、適当に生きるのはだめだと思います!!」

 

 正直、自分でも最後の方なんて何が言いたいのか分からなくなってしまったが、とにかく、何かそういう適当なのはだめだと、それが伝わればよかった。先輩は、なっははははは、といつものように大笑いしながら、わかったわかったと、俺をいさめる。

「はいよ、悪かったね。でも誰も女装だって気づかないもんだからさぁ、一周回って面白くなっちゃってもうずっとこれ。にしてもいやぁ、後輩に怒鳴られるなんて初めてだよ、つか四天王を怒鳴れるなんてまぁ、湯浅の後輩くらいじゃない?奴はよく2-3の子に後ろから蹴っ飛ばされてるけどね」

「俺も2-3なんですけど・・・誰ですか、それ」

「えーっとね、何だったかな・・・笹・・・」

「笹沼?」

「そうそうその子。部活の子だって言ってたなぁ、うらやましいよね、私どうしても敬遠されちゃうからさぁ、後輩からって。なんでだろ、少なくともあいつよりよっぽどフレンドリーだと思うんだけどなー」

「その奇行とずば抜け過ぎた実力のせいだと思いますよ・・・」

 というか。それもそうだけど。

 なんか腹立つんだよな、そのヘラっとした顔に何もわかってない様子が。

 自分から、友達になろうか、だなんて言ってきたくせしてさ。

「・・・先輩にだって、俺がいるじゃないっすか・・・・」

「え?」

「あ」

 思わず、呟いてしまった。声に出してから、俺何言ってんだ、と口を押えても、もう遅い。

 きらっきらに目を輝かせた波多野先輩が、そこに。詰め寄ってきた。

「そうだね!君がいたね!私としたことがとんと失念して居りました、いやはやこれは失礼失礼!・・・にしても、友達になってから初めてそんなこと言ってくれたなぁ、嬉しいなぁ、貴重な初☆デレだよ初☆デレ!!いいねぇ、ぶっきらぼうな物言いに隠された熱き情熱と友情・・・ああああこりゃあ一本2時間級の脚本が書けそうだねぇぇぇええええええ」

「あーもう失言!うっさい!!ったくどこまで奇行種なんだ、てかあんた毎度思ってたけど昼飯は?食べないんですか、それとももう食べてから来てるんすか?」

 けらけら笑い続けているその横顔に問いかけると、笑いが激化した。いや、そんな腹抱えて笑わなくたっていいだろ、と大分拗ねたくなったが、それをやったら相手の思うつぼなのは目に見えて分かっているので、放置。にしてもなぁ・・・男性だとしたら身長は普通くらいか。まぁ、でもこの少し襟足の長い髪型と中性的な甘いマスク―――性別関係なく、黙ってればモテそうなものだが。

 うるせぇな、とにらみつけると流石にごめんよぉ、となんとも情けない声を出して先輩は静かになろうと努力し始めた。

「ふふっ・・えっと、何だっけ?お昼ご飯?食べてない食べてない、私別にそんなに食べるの早くないし、普通に食べてないよ」

「え・・・や、でも、おなかすきません?」

 もし付き合わせてしまっているなら悪いと、そういう意味で言ったのだが。いや、持ってきてもらえればいい話なのだけれども。

 先輩は、再びくひひひひひ、と何とも奇妙な声を立てて再び抱腹絶倒しだした。

「んっははははははwwもう限界wwwwwダメだこりゃwwいいねぇ、後輩ってもの舐めてたわ、そりゃあ私たち3年生だもんねぇ、疑いもしないよねぇwwwつか適応するの早すぎるよォwwww」

「はぁ!!!?」

 訳の分からないことを途切れ途切れに口にしながら、お世辞にも綺麗とは言えない屋上の床?をばしばしたたいて先輩は腹を抱える。あーもー嫌だ。これだから変人は。

 笑いすぎて力が抜けてしまったのか、涙を拭って先輩がせき込む。

「笑いすぎなんだよもー、だからそんな咳き込むんだろうに。・・・で?今の大笑いの理由は?」

 もう、この1か月ほどでこの人の奇行にも大分慣れた。ほら、なんだってんだよ。空に天狗でも見えたか?

 へにゃへにゃと軟体動物のように座り込んだ先輩が、言った。

 

 

「ごめん、嘘。私、普通に女の子です。ついてないです。胸はAAカップという結構な希少種で面倒だからブラはしてない」

 

 

 

・・・・・・・・。

 

 殴っていいかな。

 

 

 

 

 

 

::::晩夏

 

 

 抱腹絶倒が屋上に響き渡ってから2か月。夏休みを明けたあたりから、先輩はあまり屋上に姿を現さなくなった。結局先輩の性別はいまいち謎なままだが――どこまでが演技なのかよく分からないのだ―――、それにしても、何かがおかしい。あまりにも先輩が絡むもんだから俺の名前を覚えてしまったらしい先輩の隣のクラス・3年8組理数科の変人四天王の一人、湯浅先輩に聞くところによると、学校自体にもそもそもあまり来ていないようで、あの元気の塊のような波多野先輩が休み?といったら、やはり湯浅先輩も心配してはいるようだった。だから、俺は湯浅先輩に、波多野先輩が登校してきたら、必ず昼休み屋上に来るように伝えてください、とお願いしたのだが、―――今、久方ぶりに、俺は波多野先輩と向き合っている。残暑の生ぬるい風が吹きつける屋上で、変わらない真夏の太陽のような笑顔が、そこにあった。

 だが、一つ違うもの。先輩は、一冊のスケッチブックを持っていた。

 まず最初に、開いて見せてきたページ。

 

 

『ごめん、今声出ないんだ!筆談で頼むね!あ、でも耳は聞こえる』

 

 

 最高に訳が分からなくて、そして、最高に、胸騒ぎがした。

 

 

 

 

 あのお喋りが命、とでもいえるであろう先輩が、喋らない。そんな異常な事態だったが、あまりにも先輩の笑顔がいつも通りだったので、俺はいろいろ聞くことを躊躇ってしまった。でも、そうも言っていられない。どうして声が出なくなってしまったのか。どうして、学校に来なかったのか。尋ねたいことはいくらでもあるのだ。

「えっと。・・・まず、風邪とかじゃないんですよね、声、出なくなったっていうくらいだから、続いてるんでしょ?大丈夫、なんですか・・・・?」

 もし一時的に喉をやられてしまった、とかならそもそもマスクをしているはずだろう。いくら変人とはいえ、先輩は演劇強豪校の部長だ。喉と筋肉には気を使っているのだと、以前言っていたし。

 先輩はぱちくりと目を瞬かせ、おもむろにスケッチブックを捲った。指さきでとんとん、とたたいたのは、既に書いてある言葉。

『気が付いたら出なくなってた!』
「・・・・はぁ、そうですか、だったら仕方ないですね、次の質問行きますけど」

「!?」

 普通にスルーしようとしたら、目を見開いた先輩が何かだしだしと抗議してきた。無視するのも面倒なので嫌々何ですか、と水を向けると、何か慌てながら真っ白なページを出して何かを書き付けていく。

 暫くしてばん、と目の前に突き付けられた。

『酷いじゃないか!!いつからそんなにスルースキルが高くなったんだい!私悲しいよ、唯一まともに取り合って突っ込みいれてくれてたの君だけだったのに・・・!!』

「それって相手にされてなかったってことじゃないんですか?ほぼ全ての人に」

「!!!?」

 声は出なくてもモーションで分かる。ひどく悲嘆に暮れている先輩は不自然に見えるほどあまりにもいつも通りで、こう、何か見落としているような、何かを間違えているまま進んでしまっているような、そんな漠然とした焦燥感を俺に与えた。

 なんだ、何なんだ、この違和感の正体は。焦れて、俺は先輩の頬を両手で引き上げる。

 茶番は終わりだ。本題に、一気に攻め込む。

「どうして、突然休み始めたんですか。先輩に限ってサボりってことはないでしょう、案外そういうところ真面目じゃないですか。湯浅先輩にも聞きました。でも分からないって言われた。凡人の俺に分からないことでも、同じくらい変わってて、同じくらい凄いって噂の先輩の友達ならわかるって思ったのに。どうして、そんな大事な人にさえ黙ってたんですか。心配だったんですよ・・・ッ!!」

 手のひらで包んだ先輩の顔の骨格は、やはり自分と比べるとどこか華奢だった。そこに浮かべられる、晴れ晴れとした清々しい程のアホ面。なんだ悔しいような懐かしいようなそんな思いがこみ上げてきて、俺は、思わず顔をそむける。つってもどうせ。どうせさ。人のぐちゃぐちゃを一切通さないようなその年に似つかぬ幼児のように純粋な瞳は、不思議そうにこちらを見ているだけなのだろう。多少は身に沁みろ、この馬鹿。俺が一体どんな気持ちで、・・・あれ、どんな気持ちなんだこれ・・・・?ちょっと待て、よく分からない。これ、え?・・・いや、多分恋?とかではない、んだろうけど・・・え?E?

 俺、今めちゃくちゃ、顔赤い。と思う。

「・・・・ッ、いや、あの!これ違いますから、別にそういうんじゃ・・・!」

『・・・・』

 何を慌てたのか自分でもよく分からないが、とにかく、違うんだと先輩に力説する、俺。そんな俺を見て先輩は、

『・・・・・ッ』

 声を上げないまま、笑い転げだした。

「ああああだから、もう笑い転げないでほら服!!制服汚れますってこんなところで寝そべったら!!」

 声は出なくともヒーヒー息の漏れる音だけはするので、まんまいつもの様子そのものだ。最終的に横向けに腹を抱えて文字通り抱腹絶倒し始めた先輩を、俺はもう・・・・放置することにした。

「何なんだよもう・・・何で笑うんだよ・・・俺、本当にあんたの事心配で、ただそれだけなのに・・・俺説教するつもりで来たんですよ、分かってるんですか、そこんとこ」

 我ながら結構いじけていたので、それを隠さずそのまま文句を言うと、笑いながらも先輩はぐっとこぶしの親指を立てていい笑顔をして、またヒーヒーと身をよじらせ始める。
 そう、これがいつもの波多野先輩なのだ。でも。いつも通り正しいはずなのに。何かがおかしい。あまりにも完璧すぎる。まるで「すべてがシナリオ通りに進んでいる舞台」、のようで。
 脚本通りに進む舞台、現実から解離した世界。幕が降りれば一瞬の夢と化す―――なんて。 

そんなの、ごめんだ。
「・・・どこにも行かないでくださいね、あんた、なんだか消えてしまいそうで、怖いよ」
 思ったことを素直に口に出した後、なんだか照れ臭くなった俺は顔を先輩に向けないまま、先輩の頭をぽんぽんと撫でた。

 先輩が、こっちを見上げてくる。

「・・・・どうしました、反省してるんですか?」

「・・・・・」

 あ、り、が、と、う。

 先輩が、にっこりと大きく唇だけを動かして、言った。音はなくとも、伝わる言葉。

 さらっとしたその髪に指を通す。全く、顔だけはいいんだからさ、あんたは。

 

 (―――顔、だけじゃ、ない、かもだけど。)

 

でも言わない。絶対に言わない。言ったらいい気になるに決まってるから。・・・決して、悔しいとか意地張ってるとか、そういう訳じゃあないから。だから、だから。

 

「早く喉、治してくださいね。あんたが静かだと、何か調子が狂います」

 

 俺が言うと、先輩はうなずいた。それでも俺は、何度も、念を押すようにその髪を撫でた。

 

 俺がつなぎとめておかなくちゃ、この変人を。そう、心に決めた秋晴れの空だった。

 

 

 

 

 :::

 

 

 

 翌朝。ボーっと食卓でパンをかじりながらニュースを見ていると、突然速報が流れてきた。なんだろ、どこかの県知事選とかか?

 

 

『ここで番組の途中ですが、速報をお伝えいたします。今日午前6時頃、○○県の私立高校で―――――』

 

 

 聞こえてきた女性アナウンサーの声に、思わず耳を疑った。

 流れてくる、映像。

 

「あら、ねぇ、この学校あんたの学校よねぇ」

 

 キッチンで洗い物をしていた母が振り返る。俺は、おれは、それどころでは、なくて。

 

『発見されたのは、この学校に通う高校3年生の女子生徒で―――』

 

 嘘だ。

 

『女子生徒はすぐに救急車で搬送されましたが―――』

 

 切羽詰まったアナウンサーの声が。耳に、こびりつく。女子生徒。発見。救急車。

 昨日の胸騒ぎ。

 ずき、と胸に痛みが走る。

 

 

『意識不明の重体です』

 

 

 違う。違う。そんな訳ない。まだ決まった訳じゃない。3年生だって、女子生徒なんていくらでもいるんだし。まさか、先輩な訳、ない。ない、はず。

 

 真夏の太陽が、消えてしまうなんて。そんな、馬鹿な。

 

 

「まさか」

 

 

 俺は、スマートフォンを手に、唯一波多野先輩の知り合いの中で連絡先を知っている3年理数科の湯浅先輩に震える手でコールした。もう、朝早いからとかそんなこと、構っちゃいられない。

 嫌だ。嫌だ。嘘だって、俺の勘違いだって、誰か言って。

 お願い、誰か。

 

 

「おはよう・・・・ああ、今の速報のね。俺も見たけど、――――」

 

 

 続けられた言葉に、頭が真っ白になって、俺は手に持っていたスマートフォンを取り落した。

 

 

 

 

 

 

:::

 

 

 結論から言うと、あのニュースで報道されていたのは俺の予想通り、波多野先輩その人だった。前日、昼休みに語らったばかりだというのに、先輩は誰にも何も告げぬまま、朝早くの学校の屋上から一人、飛び降りたのだという。幸い、落ちた先の茂った広葉樹に引っかかって減速したため一命は取り留めたが、それにしても全身を強く打ち、意識を取り戻すのに5日、かかったという。

 動機は、湯浅先輩から薄っすらと聞いた。とんでもないものだった。何で相談してくれなかったんだ、どうして何も言わず、あんな阿呆みたいな顔で笑っていたんだ、と先輩を責め、そして何も知らなかった自分を責めた。だが、その事件以来先輩が再び学校に来ることはなく、連絡先も変わってしまった為、その理由を直接本人に問いただすことはできなかった。

 

 

 先輩は、父子家庭だった。そして、先輩は日々父親から暴力を受けていた。それを苦にした自殺未遂―――というより、もうずっと前から決めていたことだったらしい。だが、この高校の芸術科で演劇を専門に始めて以来、そちらにのめり込むことでしばらくは死を見て見ぬふりをする生活を送っていたようだが、あの夏、何か声が出なくなるほどの出来事があり、結果として飛び降りることを決断した、という。

 声は、役者の命。その声を一時的にでも失って、もうどうでもよくなっちゃったのかもしれないね、と会って話した時湯浅先輩は言っていた。元気づけてくれる素振りを見せてくれはしたものの、力なく笑う先輩も、疲れ切った顔をしていた。凡人の俺には、変人や天才たちの事情は分からない。でも、お世辞にも友達が多いとは言えなかった波多野先輩の数少ない友人が、こんなにも悲しんでいるというのに。・・・だが、一度死に取り憑かれた人間は、もう周りがどう思うかなどという理由では戻ってこれないのだろう。それはきっと、俺が仮に何かに気づいて止めていたとしても同じこと、だと思う。

 

 

 だから、俺は決めた。きっと先輩を探し出してみせる、と。そして次に見つけた暁には、絶対に俺がその手を取って、二度と離さない、と。もう、連れて行かせない。絶対に繋ぎとめる。高2の夏、秋、と二回ももうその手を離してしまったのだ。3回目は、絶対に。

 

 探す当てや手がかりは何もなかった。だから、待ち伏せすることにした。たとえ何年かかろうが。きっと、先回りして捕まえて見せる。この方向に進めばきっと貴女に会えるはずだから、と信じて。進路は捻じ曲げた。すでに決まっていた文理選択など気にもしなかった。受験期を経て、その信念だけを胸にただ突き進み、貴女を絶対に見つけ出すと、ただそれだけを想い続け、大学を卒業し、海外にも飛び、その世界で俺は着実に土台を固めていった。

 その道を駆け上がる中、先輩の名前が、間近で聞こえてくるようになった。それでも、何度もすれ違ってはまた近づいてを繰り返した。忙しなく過ぎる日常の中で、波長の合わない空中ブランコに揺られながら。

 

 とうとう、あの人を捕まえることができたのは27歳の秋。電話を受けたのは、街路樹の葉が風で散る、肌寒いパリの街でだった。仕事の最中、知らせを聞いて俺はそっと息を吐きだした。随分、長くかかったな、と。

 まだ会えない。だが、確実に道は交わった。あとは待ち構えるだけ。そう自分に言い聞かせ、ひたすらその日を思って仕事に打ち込んだ。あと半年。あと3か月。そうカレンダーを見上げるたびに、胸が、息が苦しくなった。仕事は、匿名で行っていた。もし俺が関わっていると知って、逃げられたりでもしたら困るから。3度目はないのだ、念には、念を入れた。

 

 

 そんな日々も、もう終わりだ。今、ステージには、役者たちが並んでいる。完成披露試写会。場内は満席だった。終わった後の女優・俳優たちの挨拶のそのあとに、サプライズ的に俺は登場することとなっていた。

 まだ、知らないのだ。あの人は。締めにマイクを手渡された、主演女優は。背格好、顔、髪型、何も変わっていない。あの無邪気な雰囲気も、何もかも。

 

『はい、えーっと、映画、どうだったでしょうか。私も映画は久しぶりだったので大分緊張してましたが―――あっと、名前か、すいません。波多野瑞希です』

 

 ああ、主演が挨拶でこけちゃだめだろう。もう、何も変わっていないんだから、太陽の下で俺の口にビスコを詰め込んだ、あの日から。役者たちの後ろに立ててある映画タイトルの書いてある巨大なボードの後ろに身をひそめ、俺は小さく笑った。

 

『―――ということで、個人的にも脚本も面白くて、というか演じやすくて、かなり気合が入った作品になりました。ので、何度でも見ていただけると嬉しいです―――のだけど、実は今回の脚本家の人、誰だかわかってないんですよね。プロデューサーさんと監督は知ってるみたいだけど、それ以外役者もスタッフも全員知らされてなくて―――』

 

 今だ、行け、と反対側の袖から監督が合図している。おちゃめなおっさんだよな、ここで“脚本家”のネタバラしさせるなんてさ。そもそも舞台袖ではなくこんなところで待機してろと言ってきたのも監督なのだ。俺たちの事、何も知りはしないのだろうけれど、パリで電話を受けたあの日から、起こり続けている事全てが運命なんだろうかな、と俺は思う。

 ジャケットの裾を整え、俺は手元のマイク片手に、ボードのかげからひょこっと客の前に姿を現した。

 

「・・・・」

 

 しん、とする場内。暫くののち、観客席から小さく声が上がった。俺の顔、知ってる人いるんだな。まぁ、もう結構作品、書いてきたしね。

 役者たちがようやく俺の存在に気づき、ゲストの若手芸人がオーバーリアクション気味に驚く。ふは、そんなのどうだっていいんだ。問題は、舞台中央の、晴れ晴れとした清々しい程の、アホ面。

 

「はい、今回脚本をやらせていただきました佐藤秋一です。今回俺がやらせてもらったというのは、多分今この瞬間まで監督とプロデューサーしか知らなかったかと思いますが、監督からのサプライズというか、おちゃめな悪戯ですね、はい」

 

 どうだ、驚いたか。見ると、波多野先輩は口をあけっぱなしでぱくぱくさせていた。それを見て、思わず笑ってしまう。ようやく、手の届く距離まで、追い付けた。

 先輩は、あんなことがあったとしてもきっと役者の道を歩むと思ったから。俺は、理系男子ならば安定である工学部志望を捨て、親の反対を熱意で押し切り芸術系大学の映像・演劇学科への進学を決め、脚本家を目指したのだ。そして、いつか波多野先輩が出演する映画の脚本を書くということを夢に、そしてその舞台挨拶の場で堂々と再会してやるんだということを目標に、何本も何本も、脚本を書いた。すべては今日という日の為に。

 大学時代、当然いくつか演劇もこなしはしたが役者になる気はなかった。それはあの人の領域だから。役者の対である脚本家、駆け出しのころは苦しい時期もあった。でももう、全部報われた。

 

「えー、個人的な話ですが。調べれば分かっちゃうので言っちゃいますけど、実は今回主演の波多野さんは、俺の高校時代の先輩にあたります。一つ上の変わり者として有名で、昼休みなんかよく下らない話で盛り上がったりしました。ですので―――――こういった場で再会できた、というのは、結構俺としちゃ嬉しいですが・・まぁ、今後ともどうぞよろしく、といった感じです。いい作品に仕上げていただいた役者陣の皆様に、大感謝しつつ締めさせてもらいます。今日はありがとうございました」

 

 観客席に向けて、ぺこりと頭を下げる。ちらと横目で見ると、先輩は何とも言えない、くすぐったそうな顔で笑っていた。MCの閉幕の挨拶が続き、退場。袖に捌けた先輩を、俺は追いかける。

 

「波多野さん!」

 

 スタッフやら役者やらでごった返す舞台袖で、一際無邪気な先輩がこちらを振り返った。何か言おうとする前にはぐれないよう手を取り、目の前に引きずり出す。

 

「・・・・」

「・・・・」

 

 懐かしい。ようやく、会えた。だから、言葉が出ないのなんて予想の範囲内だ。

 俺はジャケットのポッケを漁り、あらかじめ準備していたソレを、先輩に手渡す。

 

「・・・あんたには二度、何も言わずに消えられましたから。・・3度目はありません。俺は仏にはなれない、だからもう二度と、その手を離す気なんて、ないですからね。覚悟してください」

 

 指輪でもよかった。でも、あえて指輪にはしなかった。あんたと俺の間柄なら、指輪よりどんな愛の言葉より、こっちのほうがしっくりくるはずでしょう。

 先輩が、ふは、と笑った。

 

「あは、まだ根に持ってるのかい。あの時、これのこと君の口に突っ込んだこと」

 

 んふふ、懐かしいねぇ。もう10年か。そう言って、先輩は、俺が手渡したビスコの個包装を破って、その小さな一つを口に放り込んだ。そう、あの時、抑うつ状態のせいで常に体のだるさと食欲不振に苛まれていた先輩が、唯一口にしていたビスコ。毎度昼休みに会うたびに、一つくれた、ビスコだ。

 

「うん、おいしい。変わらず世界に平等に優しい味だねぇ」

「まさかこの場で食べだすと思ってませんでしたけど・・・まぁ、あんたらしいっちゃあんたらしいですね」

「君が私を追いかけてきてくれたことへの感謝の意味を込めてここで食べてる・・・訳じゃないけど、うん、うん。・・・やっぱり、嬉しいねぇ。君も一つ、どうだい」

 

 そう言って、ドレスのポケットから・・・ビスコ、出てきやがった。持ち歩く癖、変わっていないらしい。こみあげてくる泣きそうな衝動を抑え込み、俺はその小さな包みを受け取った。

 

「・・・もう、離しませんよ」

「あは、まるでプロポーズみたいだねぇ」

「まだ未婚でしたよね?だったらプロポーズどころか、もう交換済んでますしこれは結婚式でしょう」

「あれ、結婚式で交換するのって指輪じゃないの?ビスコじゃないよね?」

「あんたはビスコの方がいいでしょう。足りなければ大袋、プレゼントしますよ。ダースで行きますか」

「そりゃ一生ものだねぇ。ビスコの山で部屋が埋まるよ、私今普通に賃貸のワンルームマンションで一人暮らしだし」

「奇遇ですね、俺もです。というか最近パリから戻ったばっかりで、とりあえずホテル暮らしなんですよ、まだ。明日にでも二人暮らし用の物件見に行きましょう、ついでにビスコも注文します。寝室別にしても、3LDKは必須ですね。ビスコ用に一部屋」

「おおう、外堀から埋められてるよ、私」

「嫌ですか?」

「まさか」

 

 

 でも、賞味期限あるから、ダースで頼むなら三食ビスコになるね。

 そんな色気のないセリフを遮るように、俺は、10年越しの想い人を抱きしめた。

 

 

 

 

 

End.

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