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​虫の居所

いつも基本的に女の子大好きニコニコ眼鏡な湯浅も、たまには苛々することもあるんだよっていう話。倫理が無い。特別顔が良いわけじゃないけど、頭が良いからトークが上手いんだと思う。

昼休みは変人四天王でなんとなく屋上でご飯食べてます。

「あっ、湯浅ぁ!」

 後ろから呼ばれて、思わず立ち止まってしまった。昼休み、授業から解放されて騒々しい廊下。物理科の準備室に提出物を出しに行こうとして、普通科教室の前を突っ切ったのが運の尽きだった。俺理数科のはずなんだけどなぁ、どうして違う科の子にまで名前が知れ渡っちゃってるんだろ。・・単純に遊び過ぎたからか。自業自得っちゃ自業自得、なんだけどさ。

 女の子は可愛い。小さくて柔らかくって、きらきらしてるから。けれど、それだけ。だから何となく虫の居所の悪いような日には、少しイラっと来てしまうことだって、あるんだよね。

 ノート早く出して、屋上行かないと。昼飯まだなんだけどな・・それにあんまり女の子と一緒に居た後に戻ると、約一名機嫌が猛烈に悪くなるやつがいるから、結構勘弁してほしいんだけど。

「ねーえ、何してんの?てかどっか行くのー?」

「あー、ちょっとね。提出物あるから、特別棟に」

「ふーん、なにそれ、物理?」

「そ。昨日の授業で忘れちゃったから」

 なにちゃん、だったっけな。一回シた気もするけど、うーん、憶えてないや。なんて思っているうちに、また一人、一人と寄ってきてしまった。ああ、全く。見覚えのあるような無いような茶髪や編み込みが増えてきて、壁際であっという間に取り囲まれてしまった。とりあえず通行の邪魔にならないように女の子たちを端に寄せたらこの有様だ。・・・もちろん、笑顔はいつでも忘れないけれど。

 俺自身にはいまいち関係のあるような、無いようなお話が右往左往。たまに「でしょー?」だとか「でさー、酷いと思わない?」なんて突っ込まれるので、さも聞いていたかのような反応を返して、参加のフリなんて簡単なもんだ。ノートを持つ手にたまに触れる短いスカートの裾や太ももは、確信犯か、すっとぼけか。積極的な女の子は嫌いじゃないけど、群がられてもね。

 俺はお前らの玩具でもオカズでもねぇっつうの。

 ・・なんて、品のない事は心の中だけで押さえておくけれど。あー、駄目だ、今日凄く苛々する。笑顔が、引きつっちゃうや。こんなつもりじゃないんだけどな、いつもは耳触りの良い女の子たちの声が余計にチクチクする。

 仲のよさそうなお喋りの裏で繰り広げられる、駆け引きとマウントの取り合い。眩しい脚や黒タイツの間をすり抜けるあざとさと下心。およそ頭一つ分低い目線の世界が酷く汚れているように思えて、壁際にいるというのに思わず少し後ずさってしまった。

 気を引くかのように時折引っ張られる裾、腕を巻き付けられ、大胆な子はおふざけのフェイクのノリで一瞬抱き着いてきたりもする。下手に動くとこの子らの間でいじめ合いが起こりかねないから、拒絶も歓迎もしようがない、つまり俺に逃げ場はない。制汗剤やファンデーションの独特な女の子の香りがもろもろ混ざって良くも悪くもくらくらしてきちゃうね、ある意味男子が大半を占める理数科教室じゃ結構無縁な香りだけど成分は何なんだろ――

「マジ酷くない!?それでも彼氏ヅラしてくんのマジうざいってかさー、ね、湯浅ぁ、聞いてる?」

 なんて思考を飛ばしていたら完全に話の方向を見失っていた。あー、彼氏さん?と曖昧な笑顔で濁して、ついでに頭をぽんぽんしてやる。そうすれば大概の事は丸く収まるから・・ああ、君も?ずるいー!なんて声に応えて、一様に髪をそっと撫でてやれば、おおよそごまかせたようだった。はは、誠意なんてもの、あったもんじゃないね。何だか息苦しくて、首筋にまとわりつく髪をかき上げると、目線を誘導されたかのように斜め上を見たひとりの女の子がようやく窓越しに教室内の時計に気が付いたようだった。すでに昼休みが始まって結構経っている。

「やば、あたし購買行くんだった」

「あー、あたしも自販機ー」

「午後の授業とかマジ眠いからコーヒー無いと死ぬし」

「それな。まー化学はほら、先生が目の保養だからアレだけどさー、古典のデブとか最悪」

「樋口先生でしょ!リアルでロンヘアの男とかありえないと思ってたけど樋口Tは別だよね」

「なんかもう美しいってか」

「そーそー」

 ようやく解放される、なんて思ってたら、今度はとばっちりであの人の話だ。性格と倫理観念はともかく顔は良い人だから、女子に騒がれてるのは知ってる。でも君らは知らないだろうね、結構あの人そういうの鬱陶しがるタイプなんだよ、俺の前じゃそう言うの毒づいたりよくしてる――んな事でマウント取ろうとしてどうすんだって話だけど。購買混んじゃうんじゃない?とそれとなく水を向けると、女の子たちは何やら文句を言いながら、最後に何となく俺の脇腹をつついたりしてから、きゃあきゃあと去っていた。うーん、困った。・・・自分でも驚くくらい、多分今機嫌が悪い。

 誰に見られてるか分からないからまだ笑顔でいないとな、と思いながらネクタイを少し緩めていると、ふとさっきの女の子のうちの一人が何やら小走りに戻ってくるのが見えた。様子から察するに財布を忘れたらしい。笑顔を取り繕って忘れ物?と分かりきったことを聞くと、その割に妙に気取った笑みで誘うように手招きをしてきた。ああ、成程。他の子の前じゃできない話ね。

 どうしたの、と少し屈む。目算で身長は156㎝ってとこかな、俺より20㎝前後は小さい・・一番よく接する女子が瑞希なせいか、こういう気づかいを忘れがちになる。いつもつるんでるメンツの中で一番身長の小さい咲は、屈むと割と本気で怒るから。

 耳もとで囁かれた言葉に、少し目を見開いた。

「駅裏の新しくできたホテル、結構きれーでいい感じなんだって。志穂がカレシと行ったっておととい自慢してたからさ、あたしらも今度いこーよ」

 少女の皮をかぶった獣が、グロスでつやつやの唇をそっと頬に付けてくる。抱き込んだ俺の腕に胸をおしつけるようにしてさ、多分遠目で見てるお友達には大方、湯浅の髪にごみがついてたから取ってあげただけ、だとかあとで言い訳するんだろう。そしてお友達は騙されてあげるはずだ、そして後々俺に連絡を寄越してくるはず。あいつと何話してたの?だとか、人畜無害そうなメッセージで、裏では処刑のための証拠固めに走るのだ。メッセージアプリのIDを自分から教えた覚えはないが勝手にスマホいじって登録しちゃうんだもん、もう防御するのも諦めの領域。無視している通知は、とうに50を超えていた。

 は、と嘲りそうになるのを無理やり、食えない笑顔に変換する。目は笑えなかったかもしれないが、まぁいいだろう。危険なエロさ、だとか好き勝手解釈してくれるんだろうからさ、正直あの子らに俺の意志なんて必要も関係も無いんだし。軽薄な理数科のイケメン枠をいかに自分の彼氏にするか、もしくはセフレでもいいけど、だとかそんな程度にしか扱われてない訳で、その首筋にメスでも突き立ててやろうか、だなんて凶暴な欲求にふらつきそうになりながら、俺はそっとその子を引きはがした。

「抜け駆け、とかって言われちゃうんじゃない?お財布でしょ、早く行った方がいいよ」

 頬を拭いたい気持ちをとにかく今は切り離して、送り返す。じゃあ後でメッセするわ、という言葉にきつく言い返せない自分が嫌で、もう何を殺したいのか分からなかった。

 

:::

 

 

「遅かったじゃん、先生に説教でも食らった?」

「・・・まさか。そんなんじゃないよ」

 ようやく屋上に弁当を持って向かった頃には、既に昼休みも半分ほど過ぎていた。手を振ってきた瑞希に肩をすくめて返すと、他もこっちを振り向いた。いつも通り、変人四天王。多分そんな名前で俺達を括り始めたのも、さっきのような女の子たちなんだろう。

 物理科の菅野先生にはあの後普通に課題を提出してきたが、正直言って食欲がない。対照的にいつも大体まともに昼を食べてるようで食べていない孝介が今日に限ってちゃんと食べていて、そんな些細な事に意味も分からず神経を逆撫でられている自分に、一周回って呆れてしまっていた。

 とはいえ、ここのメンツには全く関係のない話である。何気に食べるのが早い悠理はとっくに片付け終わっているようだったし、咲も瑞希ももうちょっとで食べ終わる感じだった。タイミング逃したな、もう食べなくてもいっか。とりあえず精一杯笑顔で会話に参加し始めると、そのうち静かだけれど非難がましい目線が向けられているのに気づいた。・・・普段から口数はそんなに多くないくせに、あの色々と見透かしているような鋭い目が時々苦手だ。

「・・・孝介、何。あんま睨まないでよ」

 匂い、かな。女子独特の雰囲気やら匂いを極端に嫌う孝介のことだからそれだと思ったのだが、返ってきたのは舌打ちと溜息のコンボと、不意を突かれるような質問だった。

「へぇ、むしろそれで繕えてると思ってんだ。下らない茶番にしか見えないけどね、全然隠せてねぇよ、苛ついてんの」

「・・・・、や、あの、・・・俺、笑えてない?」

「笑ってるよ、超笑ってる。でもクソ不自然だから逆にモロバレだっつの。八つ当たりされても困るけど、笑顔で苛つかれてんのも対処に困るから、キレるか忘れるかどっちかにしてくんない」

「・・・ごめん」

 あーあ、気を付けてたってのに全部バレてた。というかこの様子見ると、多分みんな分かってんだろう。気を遣わせるなんて、らしくも無い。情けなくて、苛々というかもう悲しくなってきてしまった。

「いつから気づいてた?俺ちゃんと優しい声にしてたつもりだったんだけど」

「入ってきたときの動作がねぇ、なんかあーちゃん今日機嫌悪いなーとは思ったよ」

「僕も・・でも触れない方がいいのかなー、って。イライラすることくらい誰だってあると思ったし、というか董生君むしろいつも穏やかすぎるっていうか」

「いつもの奇妙な余裕みたいなのが無さそうなのがな。俺もまぁ、孝介に同意というか・・キレるならさっさとキレるなり愚痴るなりしてくれた方がこっちとしても楽なんだが」

「あーーーなんだよもーー、せっかく頑張ってへらへらしようとしたのにぃ!人の努力一瞬で虚仮にしやがって、特に孝介が手厳しいよぉ・・」

 全員最初から分かってたってさ、酷い話だ。でも、多分この程度なら、女の子たちならあしらえてた。もう隠すことなんてとうに諦めたけど、情けないと思う傍ら、こいつらは騙されないんだなぁ、見えちゃってんだなぁ、と変に嬉しいような、そんな気分になる。

「孝介は不機嫌な人間に委縮するんじゃなくて、逆にもっと不機嫌になるタイプだからな。お前たち二人とも機嫌が悪いと流石に俺もお手上げだ」

 悠理が少し咳払い交じりに言ってるのを見て、ああ、緊張させちゃったかなー、とかもうそんなことで更に凹んで、何もかもうまくいかない。ごめんよーと後ろから抱き着くと、離れろ暑苦しい、と押し返された。そのまま仰向けに転がって、あーーー!と叫ぶ。

「・・・いやね、教室出てそうそうに普通科の女の子たちに捕まっちゃってね・・大変だったんだよ、聞いてよもう・・」

 俺は、うだうだと、ぐじぐじと情けなさや不快感を吐き出しはじめる。ひとこと言い出せば、あとは出るに任せてただもう喋るだけだ。取り留めも無く、でもこの場じゃ集団心理も笑顔も身長も何もかも気にする必要はない。それ結構お前の自業自得だろ、なんていう厳しい意見にぎゃあぎゃあ反論しながら、ああ、おなかすいたなぁ、やっぱりお弁当たべよう、と、話し終わるころにはすっかり心も凪いでいた。まだ人付き合いはそんなに得意じゃないけれど、とりあえず、こいつらと友達でよかったな、とそうは思う。プチトマトを横から伸びてきた瑞希の手にかっさらわれたけど、もういらつかない。落ち着かなかった虫の居所もどうやら、無事に定まったようだった。

 もうじき昼休みも終わるからさっさと食べてしまえ、と悠理に促されて、そもそもご飯を口につめこむ。今日は雲量ゼロ、快晴だ。途中お茶で口の中のものを流し込みながら、帰ったらメッセージアプリの連絡先を大半消してやろうと、俺は心地よい晴天の清々しさにつられてそんなことを考えていた。

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