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髪と執着

細川親子の歪んだ愛情の話。ホントこの手のネタ書くの大好きだなぁと自分でも思う。

​設定は公式じゃなくて管理人の妄想です。

 朝。いつも通りの時間の起床。そして、やってくるいつも通りの足音。

 気配をあえて、殺している音。それでも廊下は木造、やはり多少は音が出てしまう。

 体を起こし、座った状態で足音を待つ。徐々に大きくなる。

「来た、な」

 起きているのが馬鹿馬鹿しくなって、忠興はころりと寝転んだ。いつも纏めている髪は毎晩解かれ、毎朝結ばれる。腰を越える長さになったそれを、正直、切る気はない。

 もうじき、足音は部屋の前に来るだろう。床を叩く音から人が歩く音に質が変わってきた。

 五、部屋の前。

四、障子に薄らと、

三、影が映る。

 

「にぃ」

 

 口を軽く開けて、ゆるやかに秒読み。夜着の襟が少し、乱れているかもしれない。怒られるだろうか。格子に手が伸びるのが見える。来たな。

 

「いち」

 

 すっ。

 

 細く、人が一人やっと通れるくらいの隙間が開いて、影の間から朝日が緩く差し込む。するりと「それ」は中に入り込むと、すぐに障子を閉めた。

 忠興は、何も言わない。「それ」も、ただ曖昧な笑みを浮かべるだけだ。手に櫛と髪紐を持って、毎朝恒例の意味不明な行事が始まる。

「相変わらず早いな、忠興よ」

「あんたの方が早いだろうが、親父」

 父が、ふふふ、と笑ってこっちに来た。

 

 

::::::

 

 いつ頃からだっただろうか、毎朝、父が寝室を訪れてくるようになったのは。

別に、普段のように厭味の応酬をする訳では無い。ただ、思い入れか呪いでも込めるように丁寧に髪を梳かされ、結われる。それだけだ。

 それに何の意味があるのかは一切分からないし、聞く気も無い。何故かって、こうされている分にはとりあえず無害だからだ。もしどこぞの姫のように櫛に毒でも仕込まれている、なんて言ったら間違いなく即座に首を刎ねるが、その様子も見受けられない。だから、身を任せる。ぼーっと髪を梳かされる、朝の奇妙な時間。

 そっと、髪に手が触れる。そのまま櫛を通る髪を先導するように、毛先に向かって指先が滑り落とされる。至近距離、しかも背後に人がいるのはなかなか緊張するもので、櫛が髪に絡んでいる間は、どうしても息を止めてしまっていた。

 後ろ髪の左から順に、右側へ移る。父親自身も髪は伸ばしていて割と凝った結び方をしているが、こうして人の髪も丁寧にいじっている事を考えると、やはりこいつは芸術家肌なんだろうな、と思う。

「こっち向いて」

「お前が動けよ」

「父親に命令しなさんな」

「けっ」

「相変わらず態度悪いなぁ、アホ息子が」

「俺がアホ息子ならその親のあんたはもっと強烈なアホだな」

 朝は互いに、低血圧が辛い。ぎゃんぎゃんとキレ合う事はなく、こんな皮肉も緩やかだ。

 面倒なので、仕方ねぇな、と回転。父の方に向き直る。

「早くしろよ」

「どうして?」

「そりゃあ、我が愛妻が僕の事待ってますので」

「へぇ、ホントかねぇ」

「本当だっての!」

「はいはい」

 ムキになって返したら、軽く笑ってあしらわれた。櫛が前髪に通されそうになっているので、目を閉じる。

「前髪も随分、伸びたな」

「・・・そう滅多に切らねぇからな」

 目の前を櫛が通っていく感覚。その瞬間だけ、きつく目をつぶってしまう。

 しばらくして、衣擦れの音がした。薄く目を開けると、少し引いた所から、父がこちらを眺めている。顎に手を当て、何か考えているらしい。

「うん、やっぱり切るべきだな」

「・・・・は?」

「前髪だよ前髪。もう少し右側軽くした方が、全体的に整って見えるんだよなぁよし切らせろ」

「ちょっと待ったぁ!!」

 颯爽と懐から鋏を取り出した父に、思わず忠興は叫んだ。父親に髪を切られるのは、正直嫌な思い出しかない。というか何故このタイミングだ。

「安心なさい忠興、私の散髪の腕はカリスマ美容師だ」

「そのセリフどっかで聞いたことあるぞ、つーか何で今だどうして今切らなきゃなんねぇんだよッ」

「気になるから」

「ふざけんな!」

しれっと返してきた父は、既に懐紙を取り出して準備中だ。怒鳴り過ぎたせいか、頭がふらふらする。

「くっそ・・・前髪だけだぞ」

「いくら天才のお父さんでも、朝っぱらから全力でお前の髪型チェックなんてしようとは思わないさ」

「天才が枕詞になってて、イラつきもしなくなってきたっつーの」

 再び近づいてきた父に毒づくと、まあそう言いなさんな、と懐紙を持たされた。

「動かすなよ。動かすと全部膝元に落ちるならな」

「知ってるわ」

 右側、自分から見て左側の前髪の一房を軽く持ち上げられる。何だか眩しい。こっちの方から光を見る事が無かったのは、前髪のせいだったのか。

 毛先を整えて、量を減らすのかな。そう思っていた矢先、

「サァッ!!」

「おぶふぉ――!?」

 目の前を刃が一閃した。はらはらと、舞いながら落ちる前髪。

「・・・・っ、テメェ・・・!いきなりぶった切る事ねぇだろアホが!」

「うん、良い感じだ。流石は天才幽斎」

「“サイ”で韻を踏むな!うぜぇ!」

「あ、後ろはまた今度な」

「誰が切らせるかクソ親父が!他のヤツでやれってんだ、いっぱい弟子いるんだろ」

「他人じゃな・・・今更だけどお前身内だし、まあいいかな、って」

「あーこれが嫁ぎ先だったら真っ先に離縁してもらうのに」

 父が懐紙を片づけている間は自由だ。座ったまま後ろに手を突いて、天井を仰ぐ。

 父親と瓜二つの自分。自分と瓜二つの父親。かつて黒田長政に羨ましがられたが、こんなのどこが、と忠興は心中で吐き捨てる。

自分の子供を平気で放置するような男と?似てるなんて言われて、嬉しい訳ないだろうが。

 ああ嫌だ。こんな自分が、父親が、周りが嫌なのに。

「ほら、仕上げ仕上げ。病んでないで体起こしなさい」

 背後に回ってきた父親に、そっと肩を押される。座りなおして、今度は言葉に出して吐き捨てた。

「・・・死ねよ」

 

 

 

 髪を結われる。普通はこんなの自分じゃやらないものだが、何でこの男はこう何でもできるんだろうか、と不思議に思う。

 得意技は茶道・歌道・剣術・料理・舞。挙句牛を片手で放り投げ、将軍の御落胤伝説までお持ちのこの男は、それらを得る代わりに何か大切な物を無くしてしまったのだろう。

 父親を愛してはいない。そして、父親に愛されていないのもよく分かっている。だから期待しないし求めない。その姿勢を、ずっと保ってきた。

 再度髪に櫛を通される。丁寧に一つにまとめ上げられ、いつも通りの位置、うなじの少し上あたりでくるくると紐で縛られた。

 ふわり、と香が薫る。略装にまできっちりと香を焚きしめている所なんか、相当の美意識の高さを感じさせるが、それが遺伝してしまっている、と言うのが馬鹿らしいし、悲しかった。忠興自身も香道を究めたいとまでは思わないが、やはり好きな事は否定できない。

 いっそ全く似てない親子だったらよかったのに。そうしたら、今より尚、血の繋がりなど感じずに済んだのに。

「ほい、できたぞ」

「毎朝どうも、ご苦労様」

「いっつもお父さんの事蔑にしてるんだから、こんな時くらい感謝し―――」

 藤孝が何か言うのも構わず、忠興は立ち上がる。障子の傍まで行ってから振り返り、一言。

 

「僕には愛妻が待っておりますので。失礼します」

 

ぴしゃん、と戸を閉める。一瞬、前髪の左側に触れ、すぐに振り払うように忠興は歩き出した。

 

 

*******

 

 

 朝。いつも通りの時間の朝餉。夫が、細川忠興がやってくる。今日は心無しか足音が荒い気がする。さてはお義父さまとまた何かあったか、と玉子は二杯目の飯を食べる箸を止めた。

 すぱぁん、と障子が開け放たれる。いつも以上にむすっとした顔をしている夫は、どことなく印象が違っていた。

 はて。何だろうか。

 乱れ一つなく結われた髪。不機嫌そうな顔はいつものことだ。何故か後ろ髪と色の違う前髪は・・・あら?

「前髪・・・お切りになったのですか」

 こちらから見て右側。目を半分ほど覆っていた部分が、少し軽くなっている。幾分か人相がマシになった気がするが。

「うるさいぞ、玉」

 なんと。睨まれてしまった。この程度で動じる玉子ではないが、多少、珍しいとは思う。このヤンデレ男は、朝一番から庭師の首を撥ねるほど私を愛しているというのに。

 なぜ怒ったのだろう。簡単なことだった。玉子であっても、この男には触れられると嫌がることがあるのだ。

 たぶん、お義父さまのとのこと。朝、義父の藤孝が忠興の寝室を訪ねているのは玉子も知っていた。綺麗に結われた髪。本人たちは互い、仲が悪いと思っているらしいが、はたから見れば謀ったのではないかと思うほど、二人ともそっくりだった。

 果てしない美意識。そして、強烈な独占欲。

 忠興が後ろに回り込んでくる。そっと抱き締めてくる腕を上から押さえながら、玉子は身を預ける。

「遅くなってしまったな。一人で待たせて悪かった。玉子、愛しい僕の玉子」

「別に、気にしてませんわ。忠興様は、朝がお辛いのですから」

 きっと、正面から指摘したら何も言えなくなってしまうのだろう。だから、気が付かないふりをする。もしかしたらそれすらも、もう見通されているのかもしれないが。

 ただ一つ。きっと忠興が気が付く由もないようなことに、玉子は気が付いている。

 藤孝が毎朝、忠興の髪を結いに行く理由だ。

「ああ、僕の事なら何でも分かってくれているんだね。それでこそ、僕の妻だ」

「ええ、そうですとも」

 そう、あなたの事なら、あなた自身が気付いていないことだって気が付いているのだ。

 その髪を結うという行為自体が、独占欲の表れだということに。

 忠興はよく、自分は父親に愛されていない、自分も愛してはいないのだ、と玉子に語る。さも嬉しそうに。さも悲しそうに。

 しかし、そんなことは欠片もないと思う。この異常なほどの独占欲は、完全な遺伝だ。

 わざわざ紐にまで、自分のものと同じ香を焚き染めているなんて。これを執着と呼ばずに何と呼ぶのだ。

 自分だけのものにしたい。自分のものだという印をつけておきたい。複雑すぎて分かりにくい、黒く澱んだ愛情は、父親から息子へと伝わる日は永久に来ないのだろう。

 玉子には、それをどうこうする権利はないし、義務も理由もない。だから、あえて放っておく。この哀れな親子を、傍から見守り続けるのだ。

「早くしないと、冷めてしまいますわよ」

「うん、わかってる」

 忠興が離れる。向かいに座って膳を前に、箸を取る仕草はまるで生霊が取りついたかのようだ。

 今日も細川家は、平和である。

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