暑い
珍妙に鈍感な藤孝に、初心な光秀が困る話。ギャグなのでカップリング要素は考えてません。
「藤孝どのー、いらっしゃらないんですかー?勝手に上がってますよー」
暑い暑い、夏の盛り。八月、明智光秀は、近所の農家から貰った瓜を携え、友人というか元上司というか部下というか非常に微妙な関係の、ともかく従五位下兵部大輔・細川藤孝の屋敷を訪ねていた。
数年前、義兄の三淵藤英と殺し合いレベルの兄弟喧嘩を繰り広げた末に足利陣営から離脱した藤孝は、今は光秀の与力という形で織田軍に属している。それ以前、藤孝が幕臣だった時代は、光秀が、主であった朝倉と幕府との間の連絡係となっていて、自然と藤孝に一度話を通してから将軍に謁見する構図になっていた為藤孝のほうが格が上だったのだが、それが今では逆。普通の人間ならここで得意になるのだろうが、謙虚と忍耐を地で行くような性格の光秀からしてみると、当初はこの状態が恐縮というかぶっちゃけ気まずい以外の何物でもなかった。
だが、案外普通にただの人として接してみると、細川藤孝というのは大変興味深く、親しみやすい人物だった。確かに、何か聞かれてもあいまいな笑顔で濁したりすることが多いせいか、周囲からの“腹黒い”という評価も理解はできたが、裏の顔を持つことは上流階級では必須である。藤孝は割とそう言う世界で生きてきた年数が長いというのは光秀も知っているので、あえて気にせず、最近では時々彼の家を訪ねて勝手に上がり込んでも許されるくらいには仲良くなっていた。
「おっかしいな・・・いつもなら大概このあたりにいるのに・・・。外出してるって話も聞いてないし」
藤孝の部屋に向かう途中に濡れ縁があるのだが、丁度いい場所に木があってそこが日陰になるのだ。暑さをしのぐためなのか、夏場に藤孝を訪ねると大概ここにいる。本人曰く、暑さ自体には耐えられますけど、汗かくとかダサいじゃないですか、とのことだ。いかにも名門一族出身の彼らしい考え方なのだが、さらに笑えることに、藤孝のその非常に高い美意識やらプライドやらがそっくりそのまま彼の嫡男・忠興に受け継がれているのだ。傍から見てもわかるほど藤孝と忠興の仲は険悪だが、そう言う面を見るたび光秀は、やはり瓜二つな親子だな、と心の中で微笑ましく見てしまうのだった。
とりあえず。いつもの濡れ縁にいないとなると、この屋敷の中で他に涼しそうな場所として考えられる、書庫か裏庭あたりにでもいるのだろう。両方とも光秀のいる濡れ縁からは少し離れたところにあるので、一度藤孝の居室を覗いてからそちらに向かうことにした。
で。結果、光秀は大層驚かされる羽目になる。
*****
濡れ縁を通りすぎ、廊下を折れた先。入り組んだ細川屋敷の奥の奥に藤孝の居室はある。
基本的にこの屋敷はどこも広いのだが、殊更空間に物を置くのを好まない藤孝の部屋は一層広く見えた。もはや、殺風景の域である。
「藤孝殿、いらっしゃいませんかー?開けますよ」
声をかけても物音一つしない。やっぱりここじゃないか、と少し諦めつつもそっと障子を開けた、その先。
「・・・・・!!!???」
何かが、倒れていた。いや、もちろん人だ。
え、なにこれ。
ていうか誰だこれ。
あの、うつぶせで倒れてるってヤバくないですか。
息大丈夫かよ。
「しかも・・・・」
何故だか女である。だが麝香殿ではない。まさか、側室でも抱えたのか、と光秀ははっとしたが、すぐに打ち消した。愛妻家で有名な藤孝が側室など持つわけがない。世継ぎがいないとかそういう訳じゃああるまいし。
しかし。現実、うつぶせで倒れている女の格好は乱れきっていた。小袖の裾は完全に畳の上で遊んでいて白い脚が覗いているし、襟元もだいぶ開いて肩口が見えそうになっている。それに、髪は下ろしたまま、しかも少し濡れているようで。
って。そんなこと考えている場合じゃない。当の藤孝はどこで何をしているんだ。とりあえず辺りを見回して部屋から立ち去ろうとしたその時、ごそ、と女が動いた。
「ひっ・・・・」
「その声・・・光秀殿・・・・?」
動いたああああ、と心中大絶叫しながら、光秀は女をゆっくりと振り返った。
もぞ、と女が身じろぎする。そして、唐突にばっと顔を上げた。
「うわ、光秀殿じゃないですか。どうしてこんな所に」
「ふ、ふふふふ藤孝殿―――――ッ!!???」
倒れていたのは女ではなく、細川藤孝その人だった。
******
たん、と盆が置かれた。皿には、切られた瓜が乗っている。光秀が持参したものだ。
それを座りながら一つ手に取った藤孝が、いや、すみませんね、と切り出した。場所を変えて、くだんの濡れ縁である。
「まさか、光秀殿が来るとは思っていなかったもので。あー、でもあのタイミングだと来てくれた方がありがたかったか」
「一体どうしてあんなところであんな恰好で倒れてたんですか。ってかありがたいって何で」
からっと笑う藤孝に、少々恨みがましい目を向ける。非常に心臓に悪かったんだぞこっちからしてみれば。
藤孝は瓜を切りに行くついでに着替えて来たらしい。髪はいつも通り凝った結び方をされていたが、服はいつものものではなく、涼しげな小袖のみだった。
「まず何故あんなところであんな恰好で、って話でしたっけ。大したことじゃない、あまりにも暑かったもので水浴びしたんですよ。そしたらそこで力尽きちゃって、何とか小袖だけ羽織って部屋になだれ込んだんです。真面目に服着る余裕もなくて、当然髪なんて結ってらんないし、でもまぁ、今日なんてどうせ来客もないだろうからいいか、とそのままの姿で畳に寝っ転がってました」
「どこぞの行き倒れの女性かと思いましたよ。で、どうしてタイミングが良かったって」
「・・・女性と間違われるとは」
若干顔を曇らせ気味に見間違いについてとがめた後、藤孝が肩をすくめた。
「いえ、あんな恰好を最初に見られたのがあなたでよかったな、と」
「どういうことです」
「いやぁ、私の部屋、時々興元が書物借りに来たりするんですよ。そうじゃなかったとしても、貴方が来なければ今日は夕餉で呼ばれるまできっとこのままだっただろうし、そうすればおのずと呼びに来るのは忠興になるだろうから、流石に息子たちにはあの恰好は見せられない・・・」
苦笑いしながら、藤孝が瓜をかじる。後ろ手に片手をついて脚を組んだとき、藤孝の小袖の裾がはらりとほどけ、膝から下が露わになった。
いや、分かってる。もう飽き飽きするほどこいつの性格は分かってる。適当だが執念深く、狙ってるのか、という場面で案外天然。この場面は、間違いなく天然だ。むしろ本人は足が出てたほうが涼しいくらいのことしか考えていないに違いない。
だから、その、ね、藤孝殿。
別に光秀は藤孝とは単なる親友であるつもりだから、それ以上もそれ以下もない。だが、流石にこの光景、誰が見たって目の毒である。
親友の姿見て煩悩ってどうなんだよ、と他人のせいで勝手に自己嫌悪に陥っている光秀は、げっそりとしながら瓜に口をつける。朝どりだといっていたか、とても新鮮だ。甘い。
「―――おい親父、もうちょっと脚隠せよ」
ふと、後ろから呆れかえった声が聞こえた。振り向くと、書物を抱えた藤孝の長子・忠興がこちらを見下ろしている。書庫に向かうのに通りかかったらしい。
「あぁ、忠興か。だって暑いだろう」
「光秀さんが思いっきり目のやり場に困ってんだろ。もう少し他人のこと考えろっての」
「は?・・・あ、光秀殿、そうでした?」
忠興くぅぅぅうううんん!!!と大絶叫の光秀である。無論脳内で。いや、確かに言ってほしかったけど、言えなかったけど!でもね、忠興君、そこは大人な対応でやり過ごそうとしてたんだって!
きょとんとこちらを見てくる藤孝に、あ、いや、その、はい、と言葉を濁しまくる光秀である。そんなうちに、まだ顔に幼さを残した忠興が瓜を見つけたらしく、光秀さん貰いますね、と声をかけて一つを手に取った。光秀が持ってきたものだと気づいていたらしい。
瓜を手に、忠興が光秀の隣に座った。つまり、細川親子に挟まれた構図である。この気まずさを理解できる程まだ忠興は大人ではないのだろうな、と光秀は溜息を吐きつつ、裾を直している藤孝を見た。
とある、平和な午後である。