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In Each Case

Case2 黒川聡の場合

「昇進・・自体に然程興味は無いな。ただ、その過程は愉快だよ。誰しもに支配欲・制圧欲なんてものは宿っているものだと思うし」

​某大企業に勤める会社員、黒川聡の場合。

 命と言えるほど大切なものを失うというのは、どういう気分なのだろうか。よく分からないが、いつでも、だれでも、その瞬間の顔は傑作としか言いようのないものだ。

 さらに言えば、自分の身に降りかかる心配のない他人の地獄というのも、見ている分には大変愉快である。そう。思わず。

 口元を覆わずには、いられないほどに。

「あ・・・、あ、これは、その、違うんだ、俺じゃない!!・・そう、そうだ、このUSBメモリを落としたとき、多分誰かが仕込んだんだッ!!」

 本社最上階の会議室。午前10時から始まったこのプレゼン会議は、単なる来年度の経営戦略の方針決定の場というだけではなく、来年度の課長昇進を掛けた秘密裏な試験のようなものだった。つまりは、同じ場に統括本部長、常務、専務と年寄の重役が目白押しという訳で。

「ああっ、もう、消えろっ!消えろっての!どういうことだ、タスクマネージャーは、何で開けないんだ!」

 清水総一郎。6つ上の先輩社員であり、俺の課長昇進を年齢という面で阻む最後のライバルだ。同期との世争いや若手潰しでもえげつない手を使ってくると有名な男だったが、そんな人間ほど潰し甲斐もあるというもの。余裕の仮面を一つずつ剥いでいき、現れた狼狽え、必死になるその顔は、ある意味尤も人間の人間らしい瞬間と言えるかもしれない。

 自信のある資料だったのだろう。清水が意気揚々とプレゼンソフトを立ち上げたその瞬間、異変は起こった。スクリーンに全画面表示された、個人撮影と思わしきブレブレの動画。やがてレンズは焦点を結び、突然スピーカーから苦鳴が聞こえたと思ったら、映し出されたのは鼻血を出し、青あざを作った女の裸だったのだ。

 合意があるだとか無いだとか、そういう次元ではなかった。そういう性癖の人間でもなければ誰でも吐き気を催すような、一方的な暴行。カメラを持っているであろう男は殆ど映らないが、一瞬笑ったような声が入った。

 上役たちは最初こそ固まっていたが、やがてパニックの余り叫びだした清水につられて声を荒げ始めた。けれど専務はそこに紛れながらもちらちらとスクリーンで流れ続ける動画に目をやっていて、もはや失笑するしかない。まぁ、これもまたいつか使えるネタになるだろう。俺は、気分を悪くしたフリをして、そっと会議室を抜け出した。

 

 

 あの動画は、ひとしきり再生された後USBメモリ内の全てのデータと共に消えるようになっている。それまではパソコン自体何の操作も受け付けないようにしてもらってあるから、いくらあの場で清水が騒いだところで無駄だ。あの動画、中身を全て確認したわけではないが、確か6,7分ほどあったはずだ。途中で秘書課の女性がコーヒーを配りに来たりなんかしたら、さぞ面白いことになるだろうな。けれどその場でそれを目撃するには、あまりに表情筋が緩み過ぎてしまっていた。俺もまだまだ、未熟だな。

 広い全面ガラスの廊下に、寄りかかる。確か、今朝雅人が出勤に使っている電車の路線で人身事故が起こりかけたとかいうニュースが流れていたっけ。今日は何故か雅人も早く出勤していたようだから、巻き込まれてなければいいけれど。

 

 当然だが組織の人事とは何も能力の高さだけで決まる訳ではなく、コミュニケーション能力や人柄、年齢なども大きく評価に関わってくる。つまり、仮にそれが“どんな事故によるものであろうが”、あんな暴力的な趣味を持っている可能性があると判断された時点で清水の昇進の見込みは絶たれたに等しいのだ。特にあんな・・・バレたら告訴間違いなしな“趣味”、出世してからやられようものなら会社への影響は計り知れないものとなるだろうし。隠蔽するよりは、最初に根絶やしにしてしまった方が早い。合理的な組織の判断だ。

 昨日。既に資料の作成を終えていたらしい清水の社内用USBをそっと拾った俺は、盗まれたなどとなったら大変だと判断し、それをそのまま自宅に持ち帰った。既に清水は退社済みだったため、翌日返そうと思ったのだ。だが、そのまま渡すのも少し惜しいと思い、俺は同居人の瞭と誠に頼んで少しUSBに細工をすることにした。自信過剰なタイプの清水が、一度完成させた資料の見直しなどするはずもない事は把握済みであるからプレゼン本番前に細工が発覚する恐れはまず無い。帰り道に考えた構想を二人に話すと、喜んで協力を申し出てくれた。やはり持つべきものは、優秀な友である。

 繁華街の裏でバーを営む誠には、「多少バイオレンスな感じのハメ撮り映像」のデータを依頼。そして、フリーのプログラマーである瞭には「開いた瞬間動画を再生し、終わったらUSB内部のデータが全て完全消去されるプレゼンソフトを改造したプログラムの作成」を依頼したのだ。あとは、当日朝は7時半には出社し、廊下の端の植木鉢の陰にUSBメモリを放るだけ。月末のこの日、朝8時に社内全ての防犯カメラの映像が消去されることを考えれば、プレゼンの日が今日であったことは素晴らしい幸運だったと言えよう。始業まで自分の席で自身のプレゼン資料の手直しをしていれば、俺の仕事はおしまいだ。そして8時半、清掃員の男性が落とし物を見つけて声をかけて来たところに清水本人が出社し、彼の自滅へのカウントダウンはスタートする。

 

 

 さて。そろそろ終わったころかな、と“少し清水に怯えた顔”を意識して会議室に戻ると、やはり室内には重苦しい空気が充満していた。ここでの出方を間違えてはいけない。俺は会釈してそっと自分の席に着くと、まずは“何か言いたいが、言葉が出ない”というように息を吐いて見せた。・・・口元が笑いそうになるのは咳払いでごまかす。

 まさに、公開処刑。日頃から上々だった高いプライドも粉砕されたのか、データが綺麗に消えたフォルダをスクリーンに大きく映しながら、清水はただ呆けたように俺じゃない、俺は知らない、と繰り返している。まぁ、妻子持ちじゃなかったのが幸いかもな、これが浮気問題なんかに発展されたんだとしたら、ちょっとトリックが甘くて工作がバレる心配もあるし。

 重々しい沈黙を破って、専務が口を開いた。

「黒川君の案は、これから別の会議室を用意するからそちらで見せてくれ。清水君はもういい、その代わり後で詳しく話を聞かせなさい。今日はもう退勤してもらっても構わんよ」

 黒川君、一緒に来なさい、と常務が言う。哀れだな、人を嵌める事にばかりかまけていると、意外と自分が罠に掛けられていることには気が付けないものだが。抜け殻のようになってしまった清水に今更反撃してくる気力などないだろうが、仮に何をつつかれたとしても、恐らく何の問題もないはずだ。例のUSBは瞭には一切触れさせないようにしたし、プログラム自体も、何か手を加えた証拠すら残らないよう全部消えるように設計してもらっているから。

 まぁ、所詮は他人の書類を勝手にシュレッダーにかけたりパワハラまがいの陰湿なデマをばらまいたり程度の嫌がらせしかできない男だ。2時間足らずで上場企業のシステムを破壊した瞭のプログラムに最初から勝てる訳などないのだけれど。撮影のミスなのか、動画の序盤が無音なのも不気味さが増長されていてよかった。流石、作り物と違って本物は恐怖のクオリティが違う。被写体の女性には申し訳ないが、これもこのゲームのためだ。・・・いや、ゲームなんて言ったら、敗者に失礼か。

 さっさと出て行ってしまった上役一同を横目に、俺は資料とパソコンを手早く片付ける。来年度の課長職はこれで決まりだろうが、あまり派手な追撃は止した方がいいとは理解しているので、一言だけ、俺はあらぬ疑いをかぶせられた清水に忠告した。

 

「蹴落とすなら、蹴落とされることも覚悟しないと駄目ですよ、清水先輩」

 

 とはいえ貴方、この会社にもう居場所があるかは分かりませんがね。えてしてこの国では、異常とみなされた者はとことん迫害される文化がある訳ですから。

 人のこと言えないだろ、って?まぁ、確かに自分が至って常識の地平で生きているとは決して主張するつもりは無いけれど。要は、バレなければ問題ないのだから。ねぇ?

 俺は、これから哀れな先輩社員に訪れるであろう悲劇を思い、敬意を込めて笑顔で一礼した。

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