In Each Case
Case3 水谷瞭の場合
「他人の手段を非難する必要なんてないよ、手段は手段でしかないんだし。だから、躊躇う必要も無いと思うんだけどね、俺は」
フリーランスのプログラマー、水谷瞭の場合。
小鳥は、手の中で温かく震えている。雀の雛だろうか、まだ産毛が生えそろっていない所を見ると、巣立ち前の雛だろう。爪で傷つけないよう指先でそっと腹をくすぐると、小さく掠れた鳴き声を上げた。
例えば、スーパーで精肉コーナーに立っているときなんかに思う。この、親しげに話しかけてくる店員の女性とこのパックに詰められた牛ひれ肉は、一体何が違うんだろう。まぁ、人間の肉には興味は無いし、ただ捕食者と被食者という、それだけの話なんだろうけど。
牛・・・より豚の方がいいか。ヒレカツでも作ろうかと思ったけど、昨日何かいいことがあったようで聡が二日酔いになるまで飲んでたから、もっとさっぱりしたメニューの方が食べてくれるかもしれない。白ワイン蒸し・・いや、ハーブを多めにしてローストの方がいいだろうか。サラダ用には隣のおばちゃんからもらったクレソンとトマトがあるし・・・ああ、暇だからジャガイモでガレットも作ってしまおうかな。
昼下がり、セールの時間帯のスーパーに若い男が一人、なんてまぁ、目立つんだろう。一応同居人たちがそうしているように、俺もある程度近隣住民たちには愛想よく振舞うように心がけてはいた。ただ、それも訳も分からずマネをしているに過ぎないだけ。所詮、刺せば血の流れる人間でしかないのにね・・・なんてことを口にしてしまうから、比較的正義を大事にする奴らから頭をぺしっとやられるんだろう。つい喧嘩になると刃物を持ってしまうのだって、明らか相手の方が俺より力が強いの分かってるからってだけなのに、言動だけで人間性を判断するのはやめてほしいものだ。
朝食を食べてからベッドにもぐって、午後2時過ぎに起きる。おやつを食べながらまとめて家事をこなして、みんなで夕食を取る。そんで夜10時ごろから仕事を始めて、また明け方に寝る。他の大人4人と違って通勤時間がある仕事ではないからこれくらいやって当然だとは思っているが、実は家事や掃除が結構好きなんだなぁと知らない自分を発見したり(梓にはよく“瞭くんならいいお嫁さんになれるよ”なんて言われたりするが)、のんびり生きるには丁度いい空間だ。
ストックの切れていた醤油とみりんをついでにかごに放り込み、レジに並ぶと早速壮年女性の軍団に取り囲まれた。別に俺、誠さんみたいに口が上手い訳でもないし、雅人みたいに人当りが良いタイプでもない筈なんだけど。順番待ちの間のたわいないお喋りを軽く流しながら、俺はある女性が口にした言葉を耳に留めた。
「そういえば・・・なんだったっけねぇ、あの○○コーポレーションだかっていうの?大変みたいじゃない、システムの故障、だとかで」
ほー、もうニュースになってるんだ。流石、マスコミは嗅ぎ付けるのが早いというか・・。まかれたのはマルウェアの中でも比較的対処が面倒なワーム。取材の時点じゃ故障と説明もできただろうが、明日の朝には多分もっと愉快なことになっているはずだ。
例の会社、然程規模が大きく無かった割に依頼内容も報酬も大きかったんで何だろうと思ったら、どうも彼、非常に相手の社長に恨みを抱いていたらしい。確か、お気に入りの愛人を奪われたんだとかなんだとか言ってたかな。それもまぁ、俺からしたらかごの中のヒレ肉とあまり変わりがないようにしか思えないのだけれど。
何にせよ、人間の怨恨が発露するきっかけなんていうのは、とてもとても些細なものなのだ。まさか、自慢のクラウドサービスにサイバー攻撃を仕掛けられるだなんて、相手の社長も思ってもみなかっただろう。人間同士の感情のやり取りに興味は無い。俺はただ、注文通りのプログラムを書いてそっと忍ばせただけだ。
俺はフリーランスのプログラマーだ。取引相手の信用度と報酬額次第で、中小企業のシステム構築から同人エロゲのデバッグまで基本何でも引き受ける。・・・とはいえ基本報酬をフリーの割にはかなり高額に設定している上、現存顧客の紹介以外で新規の客は受け付けていないため「それでも水谷瞭に頼みたい」という人間しか寄ってこないが、先程レジの並びで女性が言っていた例の○○コーポレーションの商品のシステム破壊も俺が2週間ほど前にこなした依頼だった。
女の一人や二人取られたくらいで相手の会社ぶっ潰そうだとか馬鹿じゃねぇの、とは思うが、依頼主は学生時代から大枚叩いて俺を(色んな意味で)買っていた古い常連客の一人だ。実際、現在の会社の立ち上げの際の大体のシステムの構築も俺がメインでやったし、アップデートやデバッグなどの定期的なメンテナンスも全部俺に丸投げしてくれるくらいには信用されている。そんな40も半ばを過ぎた男が大人げも無く怒りの電話を掛けてきたのが、大体1か月前くらいの話だ。
今回仕掛けたのはゼロデイアタックと呼ばれる、システムの脆弱性を狙った攻撃だ。要は制作側がサービスの脆弱性に気が付く前にこちらが隙を見つけてやり、そこにそっと“お手紙”を差し込むのだが、元々、構築よりデバッグを好んでいるこちらからすれば、攻撃対象の提供するサービスにちょっと忍び込んで粗探しをすることなど容易なものだった。
よくあるサイバー攻撃のように、ランサムウェアを使った金儲けが目的な訳ではないし、情報漏洩や情報搾取が求められているわけではない。ただただ、単純な商品の破壊―――ああいう実体のない商品を扱う会社って、エンジニアが相当優秀じゃないと大変だろうなと思う。俺?・・・そもそも日中起きてられないようなドメンヘラに会社勤めなんてできる訳ないでしょ。
セキュリティは流石しっかりしていたのでバレないよう突破するのが若干面倒だったが、そこさえすり抜けることができれば“お手紙”の配達は簡単だ。ただひたすら増殖して誤作動を引き起こさせる、単純で面倒なワームを。キルスイッチだってあるんだからあとはセキュリティ担当が気が付くかどうかだけれど、まぁ・・あの規模の会社じゃ、2週間程度では難しいだろう。ヒントを残すのは趣味じゃないし万が一責任の受け皿からこぼれてしまうような事になってしまったら、こちらにも分が悪い。あんまり高度な事をやりすぎると、依頼元の用意した“もしものときの身代わりさん”が警察相手に説明できなくなったら大変だしね。ある程度そこら辺は弁えた上で最大限嫌がらせしてくれ、と札束を5本も握らせてきた男のためにも、興味と趣味で余計な事はしないようにした。
元々、このシェアハウス自体「違法行為は禁止」というルールがあるため(よく考えればそれも不自然な文言だけど)、大家からもこの手の依頼については受諾を控えるよう言われてはいる。とはいえ、今回はまぁ、昔馴染みだし・・。申告はするし怒られるだろうが、仕方ないという事にさせてもらおう。大家の言う、「被害者の事を考えろ」というのは正直どうでもいいしよく分からない。俺は俺で、ある程度選りすぐった仕事をただこなすだけだ。
手に、まばらな産毛がついた。巣立ち前の雛は、木から落ちたらまず間違いなく死ぬんだって。食物連鎖の一環で、肉食の鳥なんかに食べられてしまうらしい。やだよね、生きたまま喰い千切られるなんて、絶対に痛いじゃん。だからね、先にこうして殺してやるのも優しさだと思うんだよ。
対して年も変わらないくせに自分が正しいみたいな面をしている大家に、いつか聞いてみたいことがあるんだ。この場合、この小鳥を殺すのは悪い事なの?って。結局のところ、暴力も脅しも殺人だって、物事を達成するための手段の一つでしかないんだから。
地面に置いていた買い物袋を持って、俺は手を払う。首のへし折れた雛鳥をそっと地面に横たえ、平和なスーパーマーケットの駐車場を後にした。