top of page

​タイトル未定

・タイトルは思いつきませんでした。

 クラウス・ベリエスの長期潜入任務の話。ギャグなんだかシリアスなんだかよく分からなくなりました。ヴィルさんのお名前をお借りしています。

​ 一応R-18ですが大したことはない。

 その部屋は、一言で言えば「豪華な部屋」だった。調度も絵画も置物も敷物も。流石屋敷の主の私室・・・そしてその部屋の入口付近で控えている俺は、目の前で繰り広げられている光景に、向かいに立つ男に思わずそっと目配せした。アレ、本当に大丈夫なの。なんかこう、見てられないんだけど。すると「ガッツリ見てやれよ」と返された。いや、そんなこと言われてもねぇ。

 殺害の依頼を受けて1か月。長かった潜入任務も、今日が最終日だ。大がかりな下準備を経た計画の実行―――これから数分の後に殺されるであろう中年の屋敷の主人は、今ベリエス達の目の前で椅子に座らせたクラウスに絡み付くように触れようとしていた。

 

 俺の向かいに立つ微妙に上品なんだか下品なんだか分からない執事服の男は、組織のなかでも暗殺部隊ではなく諜報部に属する人間だった。何でも、俺たちが潜入するよりも更に三ヶ月は前からここで執事として『働いていた』らしい。実行係の暗殺部隊を中に引き入れ、やり易いように環境を整えるのが今回の彼の役目なんだそうだが、これがまぁ実に助かった。というのも、この屋敷の使用人としてのルールや屋敷の見取り図等、事前に頭に叩き込まされた情報はほぼほぼこの男が潜入後に一人で掴んで流したものなのだ。

 3か月間、たった一人異国の地でひたすらスパイ活動を続けるなんて正直自分には無理。・・・顔合わせ初日にそう言うと、仕事とはいえ表では一般人として生きてるくせに裏では人を殺し、なんて二重生活の方がよっぽどイカレてると思うけどな、と男に笑われてしまった。確かに、反論はできない。

 閑話休題。

 気を抜いているときでも襲われれば反射で殺すくらいの事は一応できるつもりでいるが、現在椅子に座らされているクラウス程使用人の演技に自信があるわけではないので、ベリエスは軽く咳払いして気を引き締めた。広い屋敷とはいえあまり余計な騒ぎにはしたくないため今回の手段は刃物による刺殺と決めたのだが―――なんせ目の前の光景が、目の毒なのである。分かってる、相手はクラウス。10も年下の同居人。もう15年以上も一緒に暮らしてれば互いに結構色んなものも見ちゃうし、見えちゃうし見せちゃってきた。だからそんなのなんてこと無いはずなのだ。そう、分かってる。でもねぇ、でもねぇ!!

哀れなアラフォーは一人、同居人のあられもない姿に、顔に全く何も出さないまま一人で悶々とするしかなかった。

 

 

:::

 

 

「“アドリアン”・・・君は本当に、美しい・・・。今まで抱いてきた女は何だったんだというくらいだ、本当に、男だというのに君は綺麗だ」

「旦那様・・・」

 部屋の中央では、屋敷の主人――ターゲットが、クラウスの長い銀髪をさらっと掬い上げ、耳元に唇を寄せていた。アドリアン、というのは今回の任務でクラウスが与えられた偽名だ。フランス人ともドイツ人ともとれる、欧州ではさほど珍しくない名前。煩悩(?)に頭を悩ませているアウトサイダーのベリエスとは対照的に、元来役者であるクラウスは見事、“アドリアン”というキャラクターを作り上げ、演じて切ってしまっていた。

 普段の快活で――というか正直騒がしかったりいきなりアンニュイになったりと喜怒哀楽のはっきりしたクラウスの性格からは考えられないほど、“アドリアン”は内気でシャイな青年だった。なかなかに目立つ銀の長髪でさえもオールバックにして軽くまとめてしまえば、使用人としてはまだまだ新人で慣れていない若者、に見事に変身する。細い声、返事なんかたまに緊張のあまりひっくり返ってしまう有様で――ベリエスにはそこまでの演技は無理なので、変にぼろが出ないよう素のままで潜入をしているが、本人曰くこれも「仕事の楽しみの一つ」なんだそうだ。役者として、元の自分とは正反対の役を1か月もぶっ通しで演じるなんてそうそうできることじゃないですから楽しまないと、とのことだが。・・・この光景、もし恋人さんに見られたら絶対怒られるじゃすまない、だろ。

 膝の上で固く握られた手に、そっと主人の手が重なる。ぴくん、と震えて小さく声を漏らした“アドリアン”が、ぱっと手で口元を覆った。すみません、と謝るその姿は、まだ穢れを知らない小娘のようで、主人からの惜しげもない・・ついでに恥も外聞もないあけすけな愛の言葉に、気恥ずかし気に、困惑交じりに身を固くしている。何故ベッドではなく椅子に座らせているのかは謎だが、椅子の背もたれにさらさらと流れるクラウスの銀糸は確かに、内に秘めた熱を覆い隠すレースカーテンのようだった。

 

「いいんだよ、その小鳥のさえずりのような声をもっと聴かせておくれ、アドリアン」

「ですが・・・っ、僕は、単なる使用人で、旦那様は・・・、ァっ・・」

 

 ベリエスと諜報員が息を殺して状況を見守る中、押しとどめるような声を遮るように、主人がクラウスのシャツのボタンに手を掛けた。黒のクロスタイはとうに床に投げ捨てられており、ぐいと押し開いた襟から覗く鎖骨に、そっと主人が口付ける。

 はぁっ、と、やたらクラウスの顔が赤い。間違いなく素面ではないな、一時間ほど前、主人の晩餐の給仕の途中に何か飲まされていたが、赤い色からしてワインか、もしくはその風味に隠して結構な薬を盛られたかのどっちかだろう。だから興奮剤系統の耐性訓練も受けとけって言ってたのにもう、みすみす引っかかりに行ってるんだからどうしようもない。任務の為、とはいえもう少し自分の体を大事にしなさいよ、と思う訳なのだが。

 

「ァ、あ、旦那様、・・ッ、痕付けちゃ、やです・・・!」

「いいじゃないか、いつもボタンは上まで閉めるんだろう、見えやしないさ」

「でも、っあ、あ、・・・ぅ、は、旦那様、・・・あぁ・・・!!」

 

 鎖骨に噛みつかれ、吸われ。クラウスの声がだんだん甘ったるくなってくる。そういえばこいつ、首回りが弱いんだとか言ってたけど本当に大丈夫なのか?心配になってきた。だってほら気が付けば、青い目が、完全に薬に呑まれてるんだもの。

 自分でもわかるくらいこめかみの下あたりがどくどくいっている。割とこういう場には慣れているつもりだったが、もう動悸と緊張でどうにかなりそうになってしまいそうだ。張り詰めた空気の中、スローモーションのように主人の唇はさらに下に。押し開かれたしわ一つない白いシャツ、それに負けないくらい日に焼けていない白い肌。そこに静かに存在を主張するうっすら桜色の乳首に主人が吸い付いた、その瞬間。

 

「っ、あ、は・・・・ッあ、ァ・・・!!」

 

 座ったまま小さくクラウスが仰け反り、その口からは押し殺しきれなかった嬌声が漏れる。

 

「ッ!!!??」

「ちょっ・・・・!!!?」

 思わず保っていた直立姿勢が崩れた。ターゲットはこちら――入口に背を向けているとはいえ、本来迂闊に使用人が主人の許可なしに動いちゃまずい訳だが、これは動いた。流石に動いた。いや、だって。今の演技、確実にイったでしょ、フリに見えないもん。あーーもうこりゃ、すげぇや、流石稀代の天才役者だ。じゃねぇよそうじゃない、いやそうなんだけど!緊張Maxだったところを唐突に驚かされたような、冷や汗交じりの動悸が凄い。なんかもう、脈がとんでもない速度になってる。

 声を上げてびくびくと体を震わせた“アドリアン”は、脱力した様子でくたり、と主人の肩口にもたれかかった。顔が赤い。息も乱れて、目が、うるんでいる。その紛れもなく達した直後のような反応を、思わずベリエスは向かいの諜報員とガン見してしまっていた。

 もうだめだ、俺がやらなきゃ。そっと、主人がクラウスを椅子から抱き上げてベッドに運ぶのを見計らって、いつでも引き抜けるようベルトに忍ばせたナイフに手を伸ばした。豪華、天蓋付きだよ。暗赤色の緞子、まっさらな繻子のシーツ。そして横たえられたクラウスの瞳は、もう完全に快楽に落ちて焦点が合っていない。どうする、どこを狙う。正直道具を使わず首をひねる方が簡単だが、相手がクラウスにのしかかっている姿勢だと若干やりづらいから却下だ。でもナイフだろうが腎臓もみぞおちも狙いづらいカッコしやがって、ああ、無理だ考えがまとまらない、でもこのままだとクラウスが――――

 その間に。

 

 ドサッ。

 

 

 男が、クラウスに襲い掛かった。

 

 

 クソッ、これだから理性の飛んだ獣は。クラウスの首筋に顔を埋め、喰らいつくす勢いでむしゃぶりついたように見えた中年の男めがけて、もう考えることを放棄したベリエスは、暗殺者としての本能のままに音を消してベルトのナイフを引き抜き、

 

 あれ?

 

 その瞬間、ベッド際の壁に、盛大に赤いものが噴き出した。

 

 え?

 

 天蓋から下がる赤の緞子の縁の金モールから、赤い血が、ぼたぼたと垂れ落ちる。

 

 ベッドの奥、覆いかぶさった男の下から、真っ赤に濡れたピースサインが上がった。

 殺害完了、の合図だ。

 

 

 

 思わず、ベリエスは向かいの男と顔を見合わせた。互い、鳩が素で豆鉄砲を食らったような顔。すっごく、間抜けな声が漏れる。

 

「えええ・・・・っ、え、えええ・・・」

 

 

 何とクラウスは、この状況でターゲットを殺害してのけたのだ。

 

 

 

 

::::

 

 

 

 とりあえず、後ろ手で寝室の施錠を確認してからベッドに駆け寄る。

「クラウス、大丈夫?」

「エェ、平気ですよ。ただちょっと、この人重いのでどかしてほしい・・出られませーん」

「えっ、あ、うん」

 いけない。あまりに“衝撃的”な光景に、思わずボーっとしてた。よっこいしょ、とクラウスの上にうつ伏せになっていた男の脇に腕を差し入れて男を転がす。・・・この年にしちゃ体は引き締まってる方か、結構重たい。まだちょっと自分自身驚いたままだが、当事者のクラウスはふはぁ、とベッドにだらっと倒れたまま笑ってこっちに視線を流してきた。

「椅子に座らされるとは。ベルトに暗器仕込んでおいたのは間違いでしたねぇ、ベッドに運ばれるまで手が伸ばせませんでしたよ」

「あ、そう、だから、そうなの」

「大丈夫なのかこいつ、何かやばかったぞさっき」

 思わず片言になったベリエスの後ろからひょこり、と諜報部の男が顔をのぞかせる。うえ、と男の死体を見て顔をしかめているのを見て、そうか普通は顔をしかめるのか、とちょっと新鮮な気分になったのはさておき、とりあえずだ。深呼吸して、はい。ようやくちょっと落ち着いてきた。

「・・・そうそう、お前さっき何か盛られてたでしょ。俺無理だと思ったから構えてたのに、まさか殺しちゃうと思わなかったや」

「一服盛られたくらいで殺せなくなるほど弱くありませんよ、私。それに一番のクライマックスを取られるなんて、そんな興醒めな仕事嫌です」

「あ、そう・・」

 よいしょ、と身を起こして立ち上がったクラウスは、髪からシャツからターゲットの動脈血で真っ赤だった。首搔き切ったんだもん、そりゃそうか。どことなく足元がふらついている。

「あー、でも気持ち悪い。ここの部屋、シャワールームありましたよね。ピックアップまであと10分ちょっとありますし、ちょっと使ってきてもいいですか?」

「え、10分で終わる?それ」

「終わります、というか終わらせます。今回片付けいらない筈ですよね?最後どこぞの部隊が全部屋敷ごと燃やすって話ですし、だったら終わりますって。ドライヤーは諦めます」

「あー、戦闘部が。まぁ、証拠なんて残ったところでどうせ逮捕なんかされないけど・・」

 そんだけ血だるまになりゃまぁ、シャワーくらいはな、と諜報部の男が肩をすくめたので、まぁ、それもそうかと思い直す。身支度なんて並の暗殺者ならば3分あれば整えられる、訳だし。

 が。

 クラウスは失敗がばれた子供のような困り顔で笑って、とんでもないことを口にした。

「まぁ、血もそうなんですけど、・・・下着、ぐちゃぐちゃなので」

 きゅ、と下腹の辺りを手で押さえるクラウス。上質なウールのスラックス。

 はい?

「あー、血が・・・いや、え?待て待て何で下着?お前首だよね?切ったの。余計に腎臓とかやってないでしょ?なんで汚れて」

「ええ、ですのでさっき、椅子で。見てたでしょ、というか二人とも思いっきりガン見してたじゃないですか。全部言わせないでください、結構恥ずかしかったんですから」

「・・・・・」

 さっきの。椅子で。下着、汚れる。・・・・え、

 

『えええええええええええッ!!!!!???』

 

 叫んだ。思わず叫んだ。諜報部の男も叫んだ。二人で素っ頓狂な声を上げて叫んだ。

「えっ、待て待て待て待て、え、アレ演技じゃなくて!!??演技じゃないの!!??」

「嘘だろ・・・マジで、イってた、ってことか・・・・?」

 驚愕。いや、何か演技にしては生々しいと思ったけど!!だって、ねぇ!?まさか、まさかさ、ええええええ。

「お前・・・大丈夫なの、恋人さんに殺されるよ・・・、そんな、任務中とはいえ他の・・」

「えっ、こいつ恋人いんのかよ」

「いますよー、とっても素敵で嫉妬深い二つ下の麗人です」

「彼の性格考えれば間違いなくお前殺されるよ!!!!!!!????」

 ちょっと待て、お前今までいったい何回彼の事怒らせて、というか任務だったからと言って割り切ってくれるような人じゃないよね?あーーー、もーーー、いあああああ知らないよ俺ぇぇぇぇえええ。

 人の恋愛事情だというのに頭を抱えるベリエスと諜報員に、クラウスはお仕着せの黒いジャケットを脱ぎ捨て、ついでに赤く染まったシャツも脱ぎ捨てつつ何とも意味深なことを言った。

「いえ、これ実は仕掛けがありましてね、彼のおかげでもあるんです。詳しくはピックアップの車内で話しますから、とりあえずシャワー浴びさせて下さいね」

 可愛らしくウィンクをして室内のバスルーム(確かバスタブは大理石だ)に去って行った25歳暗殺者を見送り、アラフォー二人は床に伏してだあああああもおおおおとひたすらこぶしをカーペットに叩き付けて悶えるしかなかった。

 

 

 

 

::::

 

 

 車が発進する。どこにでもいる4人乗りの乗用車だ。ただちょっと普通の車と違うのは、窓が全面防弾ガラスで、しかも表面がやたら光を反射するように塗装してあること。たかが一構成員たちのピックアップと言えど乗り合わせているのが貴重な暗殺部隊の人間なので(数が少ない割に育成に時間がかかるため)、ここまで厳重に守られた帰社となった訳である。

 運転手は初老の穏やかそうなおじいさんだった――確か輸送部隊の古株だと言ったか。たまに首領たちの談合の送り迎えをすることもあるようで、まぁつまりはこの道のりくらいは安心してくつろいでくれ、という首領からの配慮なのだった。ありがたい。

 さて。問題の男は、ちゃっかり屋敷からちょろまかしてきたであろう触り心地抜群のバスタオルで長い髪を乾かしている。見覚えのないドレスシャツを着ているが、こころなしかいつもより元気がないように見えた。

「・・・んで、さっきのアレ。何だったの」

 毛先をぱふぱふとタオルで叩くクラウスに、ベリエスは問いかける。助手席の諜報員もついでに振り向いた。顔を上げたクラウスが、にへ、とだるそうに笑う。

「アレ、と言われましても、というところですが。・・・脳イキって、御存じありません?」

 のう、いき。突然放り出された言葉に一瞬?が浮かぶが、・・・知ってた。何で俺そんなこと知ってんだろ。

「脳・・ってあの、トリップしちまった奴とかがよくやるっつう、催眠状態でイキっぱになるってやつだろ。それが何だよ・・・・って、まさか、それか?」

 諜報員が凄い顔をした。まさにとんでもないものを見た顔。・・・俺もです。

「ねぇちょっと、待って。どういうことかもうちょい説明して、お前いつの間にそんなもの覚えてきたの、俺聞いてないよ」

 無理、もう詰め寄った。あんまり揺らさないでくださいよ、とクラウスが肩をすくめる。

「いえね、ベリエスなら覚えてるでしょうけど、以前同居人のメンツで夜通し飲んだことがありまして。その時私も自制無しで飲みまくって、翌朝何故か全裸でベランダで寝てたんですよ」

 そういえばあったな、そんなこと。確かあの時はベリエスも、目が覚めたらウォッカの空き瓶を枕に床で転がっていた。

「あー。全裸で外に転がされてたことは俺も何度かあるな」

「あるんだ」

「みんなやりますよねぇ、一度は」

 何となく理解を示す諜報員。でも、とクラウスが続ける。

「そこにたまたま朝、私の恋人が訪ねて来ましてね。発見されて、まぁ・・・怒られるどころじゃ済みませんでしたね。ざっくりと言えば朝日が昇って沈んで夜になって、翌朝また朝日が昇りきるまで抱かれ続けました。マジで休憩ゼロで。」

「ひぃっ」

「・・・・マジか」

「マジです。ホント怒らせてしまって・・・というか、怒らせてしまったのは確かですしそれは全面的に私が悪いので申し訳ないんですけど、その時、その彼が原因で事故的に私が媚薬の類のものを飲んじゃいましてね、それがかなり強かったもので。彼、どうも責任を感じたらしく・・・残りを全部自分で飲み干したんですよ。男前ですよねぇ」

「・・・ええええ」

「男前っていうか、あの子そんなタイプだったんだ・・・」

 まぁ、ぼかして述べられてはいるものの、状況の悲惨さというかダイナミックさ?は容易に想像がつく。

「それで、一昼夜」

「はい。互いに気を失うまで・・・というか私は最初から抜けてなかったアルコールと薬で頭ふらふらでしたし、正確には彼がダウンするまで、ですね」

「若い・・・若いよ二人とも・・・」

 アラフォー、見事な陥落である。あと10歳若かったらそれもできただろうが・・そういった欲は強まってはいるものの、体力の限界は20代のころから比べると確かに下がっている。

 はぁー、とため息を吐くアラフォーをよそに、クラウスが話を戻す。

「でまぁ本題はそれじゃないんですけど・・・・さっきの脳イキの話に戻りますとね、あれってつまり無意識の領域への刷り込みなんです。快楽とともに特定の言葉や接触を刷り込むことで、あとあとトランス状態にあるときにその言葉や愛撫だけで容易に達することができるようになると、そういうことなんですけど、・・・先ほどの私は、つまりそれの状態にあった訳で。普段ならあの程度じゃ呼吸一つ乱しませんがね、どうも飲まされたもののタチが大層悪かったらしく、触られ始めた時点でほぼ完全にトリップしてました」

「なるほど、それであんなに・・・」

 美しい。綺麗だ。そういう言葉をきっと、クラウスは恋人さんとのベッドの中で薬に頭を侵されながら幾度となく吹き込まれたのだろう。その結果が・・・いや、原因に対して結果が残念というか、あまりに美しく無さ過ぎる。

 言いたいことが分かったのか、クラウスはけだるげに笑った。

「ええ、ベリエスが思っている通り・・・私が飲まされたのは恐らくコカインです。でなきゃドラッグでもない媚薬しか使ってない中、アルコールと過ぎた快楽のなかでようやく刷り込まれたような言葉が、あんな簡単に他の男に引きずり出される訳が無い。彼の口から出た彼の言葉だからこそ・・・それを一瞬で引っ掻き回せるような薬、あのターゲットが非合法に売りさばいていたコカインのほかに、無いんですよ」

 吐き捨てたクラウスは、どこか苛立っているようにも見えた。その怒り、分からなくもない。今回ベリエス達が殺害命令を下された男は、個人で仕入れたコカインを大量に歓楽街に売りさばいていた「ドラッグ成金」だったのだ。

 

 

:::

 

 

はじめは少量だったのが、あまりの儲けに目がくらんだのだろう。ある程度で手を引けばよかったのに、彼の手を介したコカインの取引量とそれに伴って動く札束は、しまいには欧州のマフィア達の注意を惹くほどに膨れ上がっていた。

 マフィアに目を付けられるというのは、つまりは暗殺対象者のブラックリストにその名が記載されたということである。欧州に拠点を構えるいくつかの大きい組織は、数か月前イタリアで一堂に会し、彼の“処遇”について話し合った。そこでその“入札”に一番に手を上げたのが、我らが首領・クイーンだったのだ。

 コカインを始めとする麻薬の取引は、マフィアの一大収入源となる。だからか、あまり関わりのない東に拠点を持つ組織の長は、「こんな若造の組織に大役を任せるのか」と反対の声を上げたらしいが、クイーンはいつも通りの腹の読めない微笑で、ただ“明らかにこの世界の並の人間では考えられないスピードで”反対する小太りの首領の背後を取り、その首に小さなナイフの刃をそっと添えたそうだ。

 

『暗殺の腕には少々覚えが御座いますれば。我が組織は麻薬取引にはあまり関わってはおりませぬが、親愛なる皆様方の為ならばいくらでも手を汚しましょう。オメルタに誓って』

 

 この時、長が引き連れいていたボディーガードは一瞬ののちに昏倒して倒れていたそうだ。早い話が、「こっちは麻薬取引の利益などに頼らずとも、暗殺等の依頼を引き受けることで十分組織を回せるくらいには殺しに定評があるのだから口を出すな」と言い放ったのである。結局、顔なじみのイタリアの巨大マフィアの首領が「若造だからと舐めてかかると、明日には組織が消えてるぞ」と小太り男を冗談交じりにいさめたことで無事に場は収まったのだそうだが――、一歩間違えれば文字通り大戦争になっていたであろう。ともかく、そんな状況で取ってきた大きな仕事なのだから間違っても失敗したりはしないようにね、とクラウスと二人で呼び出されたなり笑いながら愚痴られたのが、丁度1か月前の話だったのだ。

 

 

:::

 

 

「量は大したことなかったと思うんですけどね、なんせ強いので、コカインは。シャワー浴びた後すぐに鎮静剤を静注しましたが・・・頭がガンガンするし、ホント吐かないのが奇跡ってくらい気持ち悪いです。内臓出そう」

 例えるなら、口に苦いものを詰め込まれた後に砂糖を詰め込まれるようなものである。だからやたらぐったりしてるのか。帰ったらとりあえずテオドールに診せないとだな、とベリエスはそっとクラウスの背を撫でた。すると、バスタオルを丸めてベリエスの膝の上に置き、そのまま寝転がって来る。

「着くまで少し寝ます。まぁ、今回の事がヴィルさんにバレた時の言い訳は後で考えましょう・・・無事成功して、よかったですよ」

 シャワーを浴びてから化粧をし直す暇まではなかったのか、すっぴんのクラウスは大分顔色が悪いようだった。潜入任務中は夜もしっかり眠る訳にはいかないので仕方がない事だが―――まあ、今日1日だけでも相当ハードだったし、当然のことだろう。流石運転手も首領を乗せるだけある人物だ、全然車も揺れないし、眠るには丁度いい。本部まではアウトバーンを飛ばして3時間ほどだ、せめてその間だけでも休んでほしい。

 しばらくして寝息を立て始めたクラウスの横顔を見ていると、助手席から諜報員がブランケットを投げて寄越した。ありがと、と小さく返して、膝の上に横たわるクラウスの肩にそっと掛けてやる。ピックアップから33分、既にあの屋敷では火の手が上がっている頃だろう。妻、メイド、使用人―――いったいどれほどの人間が死ぬんだろうか、まるで想像もつかないが、悪いのはあの男だけだ。できるだけ、関係のない市井の住人達には助かってほしいが、どうだろう。

 明日の新聞じゃ一面トップかな。流れる窓の外の景色を見送りながら、ベリエス達を乗せた車は帰途の旅路を進むのだった。

bottom of page