阿呆ですかあんた
店主様にめちゃくちゃ萌えた管理人が大暴走した結果、病院内で盛大なセクハラが起きました。
ここしばらく、左手の薬指にわざとらしくブライダルリングを嵌め続けていたらちょっかいを出されなくなっていたので、正直油断していた。というか何なんだ、俺は35の中年差し掛かりの男だし、今俺を後ろから抱きすくめているのはじき定年の男はずだ。なのにどうして。
「って待て待て待て可笑しいだろうがよ!!?なんだこの深刻なプロローグはギャグだよギャグ、誰かギャグに落とし込めッ!!」
「なーにを一人で騒いでるんだい、大人しくしなさい」
「嫌だッ、っつってんでしょ!離せ、って・・・!!」
どこから湧いてるんだというほど押さえてくる力が強い・・というか、関節の押え方が上手く、動けない。その間にも首筋に滑らされた普段はメスを握る繊細な指先が、するりと顎関節から胸鎖乳突筋を這うように撫で、やめろと身じろぎしたその瞬間にはネクタイが解かれていた。
「あっ、ちょっ」
「相も変わらず薄い体だねぇ。肌質も男のものとはやっぱり違う。どことなく柔らかい」
手が伸びるのが、身体を暴くスピードが、ちょっと冗談じゃないだろってくらいとんでもなく早い。あるはずもない胸をまさぐられ先端を強めにつままれればもう腰が立たなくなった。
「はっ・・ぁ、んっ、駄目ですって、だか、っあん・・!」
振り払わないと。逃げなくちゃ。そんなの分かってはいるのだが。
俺がこの時すぐに振り払わなかったのは、ある疑念があったからだ。なんだかやたら院長の動きに、いやらしさが無いのである。
この人には何度か、どころか何度も抱かれたが(無論非合意だが)、何かもっとこう嬲るようないやらしさがあったというか、挙句そこに「女性に近い体と遺伝子を持つ男」に対しての学術的な興味も相まって、生きながら解剖されるんじゃないかとか真剣に思ったものだ。しかし、今こうして身体を暴かれていても、今院長からはそういった感じはせず、もっと言えば、どこか心ここにあらず、といった有様で・・・とにかく何か変なのだ。だからとりあえず様子を見て意図を探っているのだが(無論全部脱がされるまでにメスでも何でもぶっ刺して逃げるつもりではある)、それにしても分からない。なんてこと思っていたら、ふと、視界の端で何かがきらめいた。
刃物。じゃない、持針器だ。どうしてこんなものがするっと出てくるんだよ。
「・・・院長、あの」
「流石に上の空でいられると私も悲しいのだけれど」
「・・・一応、俺暗殺者なんですけれども。尖ってるもの向ける意味わかってます?」
「んー、気を引きたいだけ・・・」
「はぁ」
再び、動きが再開される。ベルトはまだ外されていないものの、ぐっと腰まで下げられたスラックスから下腹部に手を伸ばされ、流石に偵察もここまでだと俺は見切りをつけた。喉元に突き付けられた持針器を手ごと掴んで捻り上げ、足払いを掛けて拘束を振り切る。ここ何日か恋人は多忙なようで姿を見せておらず、その間触られていなかった体が無駄に熱くなってしまったのはとりあえず無視だ。立ち上がって、床にねじ伏せた定年間近の変態に手を差し出し、同じく立ち上がらせる。
「何ですか、何を迷ってるんです。俺の恋人、貴方の悩みの捌け口になるために俺が抱かれること許すほど心広くないですよ」
「・・・・、君にバレるとは私も堕ちたものだね」
「馬鹿言わないで下さい、俺だって貴方ほどキャリアはないけど、精神科医やって10年目ですよ。人の言動くらい見りゃ分かります」
その伏せた瞳、微妙にアンニュイな顔。バッと見抜いた限り、悩みごとは対人・・そんで恋愛関係かな。と、思いついて、待てよ、と頭の思考がどこかでストップした。恋愛?・・・この変態ジジイが?
「・・・・嘘でしょう、貴方が?」
「何でだから見抜くんだい、ローゼンベルグ君」
「そりゃ・・、そりゃ、ずっと貴方の元で勉強してきましたし、貴方の思考なんて正答例貰ってるようなもんですから簡単に読めますけど、それにしても嘘、でしょ・・」
「嘘だと思いたかったからこうして思いあぐねてるんだろう、君のパートナーには何度か縁があって接しているがね、その彼の持ち物にうっかり手を出してしまうくらいには私だって参ってるんだ」
「貴方が、恋愛沙汰だなんて・・・」
なんだかもう、話のあといい加減始末してやろうかとか思っていたがそんな気も失せてしまった。決着を自分でつけられないような条件での恋、だから悶々とした結果それを俺にぶつけようとしたということか。いや、許せないけど。意外と、可愛らしい理由だったもので正直俺は、拍子抜けしていた。
院長が、色素の薄い瞳をこちらに向けてくる。
「・・・この年で、と笑うかい」
「なるほど、相手は年下ですか。しかもかなりの」
「今の私の発言で何をどうしたらそう行きつくんだ」
「だって貴方ほどの遊び人が恋愛に躊躇する理由なんてそれくらいしかないでしょうが」
「・・・・君は本当に出来のいい私の教え子だな」
「おかげさまでね」
微妙な皮肉の応酬のあと、これまた微妙な沈黙が流れる。俺は、そっと口を開いた。
「まずは誠意を見せるところからじゃないですか。貴方の事だ、どうせ全部冗談で片付けてたんでしょう。百パーセント信用されてませんよ、しかも駆け引きを楽しめてる段階を越えたのに貴方が悩んでいるとなると、お相手は経験があまりないんでしょうし」
「分かった、私が悪かったから。もう何も言わなくれ、頼む」
「貴方が仕掛けて来たんでしょうが」
「君の口からそこまで分析されてバツが悪くなると思わなかったんだ」
自業自得、と言いつつ、俺は院長に背を向け、乱されたシャツや白衣を整えていく。ったく、無理に引き下ろそうとして・・ベルトのバックルが痛むじゃないか。とはいえ、このベルトもそろそろ替えたいんだよな、医者は清潔感が命の職業だし。
「っと・・・院長、あの」
「・・・いいだろ、何もしないさ」
と、そっと背中にくっついてくる体温があった。脇から腕が差し込まれ、腰を抱き寄せられる。
こんな老獪の塊のような人間でも、恋に落ちるとこうなってしまうのか。
弱って、悩んでる。こんな男でさえ。
「・・・あと10分だけ、ですよ。あと素直になるなら俺の前じゃなくて、お相手さんの前でね」
「・・・それが出来たら、苦労してないんだよ」
もごもごと、肩に埋められた顔が弱音を吐いている。いつもみたいな憎らしい程の余裕はここではグダグダか。全く、それでも気に入った相手の前では格好をつけたくて仕方がないだなんて。
俺と、同じか。
いつも散々な扱いをされている分本当は冷たくあしらってやりたいところだが、何となく今の院長の状態は分からないでもなかったから、やめておいた。まぁ、しばらくすればどうせ元に戻るのだ、あえてそれをせかす必要もないだろう。
あと10分だけだから。これは不貞にはカウント、しないでほしいなぁ。とはいえ別にこちらから言わなければ職場でのことなど俺の恋人だって勘付く理由もないだろうから、バレもしないとは思うけれど。もうちょっと好きにさせてやろうと、俺は体に回された院長の腕を、ぽんぽんと叩いたのだった。