Good morning,doctor.
山もオチも盛り上がりも無い残念な話。「アンデルセンの夜に」の翌日。
執事ごっこして遊ぶクラウスとテオドールの話。
ある晴れた昼下がり。ふふふ、と笑い、私は屋敷唯一のドクターの部屋の前に立った。手にはロイヤルコペンハーゲンのティーポットとソーサーにカップ、髪は束ねてついでに燕尾服を着込んでいる。どんな顔するんでしょうかねぇ、と左手でドアをノックするが予想通り返事はなかったので、そのまま中に入った。
「失礼いたします、ドクター。お目覚めの時間ですよ」
元々、このあたり一帯を治めていた地方領主の館、とだけあって各個人にあてがわれている私室も広い。その窓際、閉ざされたカーテンの隙間から漏れる光が差し込むベッドに、”女のように”細く白いからだが、横たわっていた。
腰から下に辛うじて薄いシーツが掛かってはいるものの、恐らくあの様子では何も服を身に付けてはいないだろう。声は掛けたものの全く動く気配が無いので、突然ナイフを投げつけられたりしないよう気を付けながら私はドクターに歩み寄る。ベッドサイドの小さなテーブルにティーセットを置き、しゃっとカーテンを開けた。
「さぁドクター、起きてください。本日の紅茶はハロッズのメルフォート・セイロンで御座います。昼過ぎの遅い目覚めには丁度いい清涼感かと」
前口上を述べつつ振り返ると、眩しいのか細い肩がぴくり、と動いた。その様子を見てあるものに気づき、私は思わず目を細める。首に、腰に。なるほど、起きるのが遅い訳ですね。ですがそろそろ起きないと、夜眠れなくなってしまいますよ。
「・・・・・、ん、いい匂い」
薄っすら漂う紅茶の匂いに反応したのか、ドクターが軽く身を起こした。まだ寝ぼけ眼なようなので、テーブルに置いてあった眼鏡を取って渡してやる。ポットからカップに紅茶を注ぎつつ様子を見ていると、ようやく目が覚めたようだった。
「あー・・・、クラウスか。今何時?」
目を擦りながら、ドクター・・テオドールが尋ねてく
る。相変わらず、すっぴんでも35には見えない童顔だ。羨ましい限りである。
「午後2時を回ったところです。いい加減起きて頂かないと、今夜眠れなくて結局明日の朝起こすのが大変になりますから」
「そりゃ申し訳ないね、にしても・・・何でお前、燕尾服なの。というかそんなの、持ってたっけ」
しかもパーティー用じゃないよね、と見上げてくるテオドールに、私はソーサーを添えてカップを手渡す。熱いのでお気をつけて、というと早速舌先をやけどしたようだった。もう少し冷ましてから持ってきた方が良かっただろうか。
「これですか。ほら、以前私ベリエスと1か月ほどイタリアで長期任務に当たっていたでしょう?あの・・ほら、アレです。最終日コカイン飲まされて、帰ったなり胃の中身全部戻した時の」
「いや、そこまで言わなくても分かるから。あの時ね、あれがどうしたって」
「ええ、あの時に一応私達、使用人、という形で潜入したんですけどね、その時予備のお仕着せ、結局着なかったもので。持って帰ってきたのがこれです。なかなか上等な生地なんですよ、仕立ても丁寧だし」
「うちのボス、潜入時の服なんてどうせ使い捨ても同然なのにやたら金かけたがるからね・・・アンダーボスもそうだけど、二人して金銭感覚おかしいから」
「シャツにベスト、タイ、靴下に手袋、ソックスガーターにジャケット。1着で大体私たちの月給が飛ぶそうです。ちなみに全部フルオーダー」
「おかしいだろ。・・・それでまぁ、執事ごっことしゃれ込んだわけ、か」
「ええ、だって着ないと勿体ないじゃないですか、私が着るために作られたものなんですから」
しっかりと突っ込みを入れられるくらいには目が覚めたようなので、ひとまずは安心だ。以前お茶を渡してしばらく置いておいたら、体が温まったのかそれで満足して二度寝されたことがある。
さて・・・、と辺りを見回すと、ソファーの上に着替えが畳まれて置いてあったので取りに行く。これは恋人さんが用意していったものなのだろうか、若いなりになかなかマメな人物だ。それか、あえてソファーの上に置いておいたということは、テオドールが自然と目を覚ますであろう頃には戻ってきて自分で着せるつもりだったのだろうか。だとしたら少し、悪いことをしたかもしれない。
が、風邪をひかれても困るので起こした以上は着せねばならない。まるでペパーミントティー飲んでるみたいだった、と空になったカップを差し出されたので受け取り、代わりに着替えを渡す。
「お手伝いいたしましょうか、ドクター」
「結構。・・・と言いたいところだけど、スラックスになったら手ぐらい借りるかも」
「んふふ、立てないんでしょう、今、貴方」
「・・・分かってるなら言わないでよ」
シャツに袖を通し、のたのたとボタンをはめ始めるテオドール。左利きの人間の動きというのは、見てて厭きないほどに不思議だ。
「アンダーウェアは?履けます?」
特に何の悪気もなく問いかけると、力無い足蹴が飛んできた。その拍子にシャツの裾がひらりと舞って、あら、絶景。
「まるでモーゼルの流れ。というか凄いですね彼、そんなところにまで痕つけるんだ。今度私もせがんでみようかな」
「やーーめーーてーー!つかおっさん臭いよお前!何だよモーゼルって!」
「前にやった舞台の台詞に、滑らかな女性の足をそう形容しているのがありましてね、あ、無論現代の脚本ですよ」
「お前そんな脚本もやるんだ・・・じゃなくて!」
あんまり見ないでよ、と真っ赤になって顔を伏せるテオドール。これはまぁ、確かにいじめがいのある表情だ。恋人さんの気持ちも分かる。
「ほら、文句言わずに貴方はシャツのボタンを留めて下さい。何も見やしませんから、下は私に任せて」
「うーーーー、介護じゃんもう、これ・・・」
ぶつぶつと赤い顔のまま呟きながらボタンを留めるテオドールの足元に膝をつく。下着を手に取りそっと足首から持ち上げ潜らせ、ほそっこい足を滑らせるように履かせる。腰、浮かせてくれます?と問いかけると、流石にそこからは自分でやります、と返ってきた。どうも、からだの辛さより羞恥心が勝ったようだ 。
それよりも。
「凄いですよね、その腰と首筋。どんな体位で何してたんだか一目瞭然ですよ」
「えっ!!?」
「えっ?」
今更。今更気づいたらしい。恐らく、後ろから強く保持されていたであろうことを物語る腰の手の痕と、これは出血レベルだろうな思うほどの首筋の噛み痕。歯形なんて可愛らしいものではない。だが、当の本人はというと。
明らかに、恥ずかしがっている。
「あー、まぁ、合意の上なら私何も言いませんけどね」
「あっ、ちょ、その」
「だってそうでしょう?怯えてる訳じゃないですもんねぇ、恥ずかしがってますもの、貴方。あー、あれだけ否定してたのにねぇ。貴方も立派なマゾヒストですよ☆私の仲間です」
「イヤーーーーーッ!!」
悲鳴を上げてベッドに倒れ込み、仰向けのまま嘘だ、違う、と呆然と呟き続けるテオドール。あらあら、面白くなってきたじゃないですか。
私は、そっと彼に覆い被さって、するっとその内腿を撫で上げた。
「ヒイッ!!!違うよ!!俺はMじゃない!!」
「んっふっふっふっふ♥️体はこんなにも素直だというのに、否定してしまっては可哀想ですよ?お認めなさい、SM好きはドイツ人の性です」
「それよく聞くけど出典がまるで分からない!分からないよ!!」
「あっははは!まぁ、確かにそうですねぇ」
もうやだぁ、と手で顔を覆い隠してしまったテオドール。私は、笑って彼の上から退いた。
「では確認してみます?私の質問にJaかNeinで答えてくださいね。一つ目、まず痛いのはお好き?」
「No!そんな訳ない!」
「英語の方が宜しかったでしょうか?まぁいいです、次。では、惨めな気分になるほど興奮したりする?」
「惨めなって、そんな、まさか」
・・・当たりだな。
「yesですね?はい次」
「待ってよ!!違う!ならない!」
「はいはい、では、優しく触られるだけだと物足りないときがある」
「そ、それは・・」
「明らかにマウントを取られるとドキドキする」
「・・・・っ、」
「例えば初めての体位や拘束プレイなんかでも、恐怖より快楽を求めがち」
「う・・・」
「悪い子、だなんて言葉にはごめんなさいって思っちゃう?」
「・・・・!」
「ラスト。でも、それでも彼のことが好きで仕方がない」
「・・・~~~~~ッ!」
はい、撃沈。完璧である。もう誰が何と言おうが彼は素晴らしいマゾヒストだ。
「胸を張っていいと思いますよテオドール、貴方、とても立派なマゾヒストです」
「嬉しくないよッ!!なにとても立派って!」
あーもーだから嫌お前と話すの、とぎゅうぎゅう枕に顔を押し付けているテオドールは相変わらず耳まで真っ赤だ。そんな彼の反応が面白くて、私は笑いながら横たわるテオドールのベッドの縁に腰掛ける。自罰的な傾向が恋人さんの趣味によって開花したか―――にしてもまぁ、以前までは病棟のナースに意地悪をして散々にもてあそんでいたというから、うなずけない話ではない。ノーマルの人間より、元々サディスティックな人間の方がマゾヒズムにも目覚めやすいのだ。
「すみませんねぇ、他人の心の機微には、こう見えてもかなり敏感な方なんですよ」
「知ってるよ、誰がお前の主治医だと思ってんのさ」
「はいドクター、ドクターローゼンベルグ、貴方です」
「ったくもう、可愛いげの無い」
睨み付けてくるその視線に凄みはなくて、ただただむくれた少女のようであるだけだ。きっと恋人さんに見せたらきゃあきゃあ言ってくれるはずだろうが、しかし。流石に油断が過ぎやしませんかねぇ。
「まぁでもそれ、ヨハンには見られない方がいいのでは?あの子そういうのに未だ割と潔癖ですし、やたら自分には過保護な兄のこんな乱れた姿、見たら発狂しかねませんよ」
今日初めて貴方を訪ねたのが私だったから良かったものの。まぁ、なかなかないとは思いますがね、あの子が兄の部屋を訪ねるなんてこと。そういうと、がばっとテオドールは起き上がった。
「・・・・、俺、・・・でも、うーん・・」
そしてまた、ぽすんと枕に沈む。何やらようやく考えるようになったらしい。恐らくいまなら抵抗もされまいと、私は、その隙をついてスラックスをはかせることにした。
脱がせることはあっても、逆というのはあまり無い。若干手間取りつつ、するすると履かせていく。腰を抱き上げるのも実は、身長差のほとんど無い私であっても苦な事ではなかった。
腰まで引き上げ、ベルトを締めてやる。今度、新しいものをプレゼントしてもいいかもしれないな。
「確かに、ヨハンには見られたくない、かなぁ・・」
「ええ、ですので。昼頃まで寝てる事は別にいいんですけどね、流石にそれすら察せないほどヨハンも子供ではないでしょうし。ただ、せめて服ぐらい着て寝たらどうでしょう。そこは恋人さんにお願いしても、いいと思いますよ」
起き上がろうとしていたので、手を貸す。よいしょ、と引っ張ると、ありがと、と言われた。
「まぁ、そうね。両方とも大事だし、うん」
「それが分かれば宜しいのです。さぁ・・・今日はヨハンとフロリアンのペアが深夜まで仕事、レオンハルトは泊まり、ライザップ君はご実家で一泊、ローザも仕事のようです。ついでにヴィルさんも本日はお忙しいようで、つまり屋敷にはオカン不在の中、インナモラーティにもフラれてしまった非番の残念な男3人がいるのみなのですが・・ともなれば、やることなんて決まってますよ、歌って、飲むんです」
「あー、今日全員いないんだ。その文脈だと残ってるのは・・ベリエスか。そりゃ飲むしかないね、にしても、歌うって?」
「新しい歌を練習しなくてはならないんですよ、次の舞台、半ばミュージカルだそうで。何と私、久々に娘役に抜擢されましてね。ということで、腰が痛くてもピアノは弾けるでしょう?伴奏を頼もうと思いまして」
「えー、いや、腰が痛いと言うかなんかこう、骨格が痛いと言うかだからあんまり動きたくないんだけど・・」
「だーめーでーすー、医者がそんなこと言ってどうするんですか。そんな、今から猪狩りに行こうとか言ってる訳じゃないんですから、こんなときばかり年寄りぶらないでちゃっちゃと起きてください」
「いや、年寄りじゃなくても痛いもんは痛いでしょ」
「私そんなでもないですよ、貴方の恋人さんがどれだけ激しいかは知りませんが」
「お前・・・の体力が化け物なだけだし、あとお前意外に下世話な事平気で口にするよね」
「あらー、下品な間男の役にも結構定評あるんですよ、私。寝取り寝取られはお手のものです」
「それ、口が裂けても恋人さんの前で言うなよ」
「勿論。彼には綺麗な私を・・とまではいいませんが、あまり人間のような低俗なことを口にする様子は見られたくありませんからね」
ありのままをさらけ出すには、私は色々と汚すぎる。過去も、血筋も、今も、何もかも。女性が男性の為に美しくなろうとするのと同じ。顔に化粧を施すように、私だって“クラウス・ローレンツ”に化粧を施すのだ。いつか、私の恋人のように、強くなりたいなぁ、なんて思いながら。それは眼の前のこの男だって、同じことだろう。
「さて、昼食の用意もとうにできているんですよ。私が起こしに行って30分経っても帰ってこなかったら全部食べちゃっていいとベリエスに言ってあるんですから、老体ぶってると昼ご飯がなくなりますよ」
「えっ、待ってそれを早く言えっての、お茶飲んで冷静になったら俺相当おなかすいてるんだって」
「でしょうねぇ、夕食後からあれだけ激しい運動をしたのであれば・・♡」
「お・・・っ、ま、え、ちょっと待って、まさか隣!?聞こえてたの!?」
「いーえ、想像の話ですのでご心配召されませぬよう。私も昨日は恋人さんと一緒でしたから、ゲストルームの方にいましたし。それに隣の部屋の音が筒抜ける程この屋敷、安普請じゃありませんよ」
「・・・・本当?本当に?」
「本当ですってばー♡」
「怪しい!!怪しいよ!!」
ふふふ、と私はベッドから降り、手早くティーセットを片付ける。そして全部右手に乗せたり持ったりして空けた左手でマゾヒスト疑惑のドクターを立ち上がらせ、ふと、歌の練習なら配役に合わせてワンピースに着替えなおすべきだろうか、と頭の中でクローゼットの中の服を思い返すのだった。