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イカロスの翼は

​如何にして折れたか

今まで触れてこなかった瑞希の話。「ビスコ」と合わせて読んでもらうとその後も分かりやすいかも。

『ワタクシの名は3年7組芸術科、波多野瑞希。“我が校が誇りし演劇倶楽部”の部長を務めル、通称“水浦第一学院高の変人四天王”の末席を汚す者で御座いますれバ。普段は少し変わった普通の高校生なれド、ひとたび舞台に上がれば世界はもうワタクシの物。その実力は県どころか日ノ本中にも轟く程にて――――』

 

 私は、波多野瑞希。身長174㎝、体重62kg。長身を生かした男役に定評がある、歴代演劇部長の中でもトップクラスの役者。

 私、みんなの王子様なの。

 

 

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 保育園の頃からお芝居は好きだったが、本格的に自分の才能を認められるようになったのは中学に入ってからだ。たまたま覗いた演劇部の体験入部の短いセッションの後、頼むから入部してくれと顧問に頭を下げられた。私は、ただ思うままに、台本上の人物に息を吹き込んだだけ。単なるセリフを生き物にする、私にはどうやらその才能があるようだった。

 しかし、序列を気にする中学生。1年目、顧問に入部そうそう気に入られていたことで上級生たちのやっかみを買って以来、演技を加減する、という事を覚えた。あえて間違え、わざと読み間違い。ごめんね、本当はもっと上手に貴方を生かしてあげられるはずなのに、と登場人物にひそかに謝る日々が続き、やがて県大会で審査員に名指しで称賛を浴びてからは私を中心に部が回り出した。その頃から平均を超えて身長が伸びていた私は、王子様と呼ばれるようになった。

 男らしく振舞っていたつもりはない。可愛いものだって大好きだ。けれど、あの県大会で私が息を吹き込んだ準主役の王子様が、私の印象の決定打となったのだ。母さんが亡くなって以来、適当に毎月渡される生活費の中から、遠征費なんかは工面すればどうとでもなった。現実を忘れ、脚本のなかで生きる。中学2年、全国大会の主演を喉から血を吐く程に叫び上げ、地元でも演劇強豪校として知られていた水浦第一学院の芸術科から推薦状が来たのは、ある意味取り巻き以外に友達がいなかった私にとっては、運命のようなものだったのかもしれない。

 

 中学までがまるでお遊びだったと思えるほどに、高校での演劇生活はハードだった。部活動だけではなく、演劇専門の授業では、本格な発声練習、演劇理論の学習、視線誘導、光の入れ方、舞台裏の大道具や小道具の作成、照明や音響の事まで、全部実地で勉強した。役者の裏で何が動いているのか。誰が、どのくらい動いて、一つの物語が出来ているのか。本能に理論が備わった私は、さらに成長し、同時に孤独を深め、やがてひそやかに化け物と呼ばれるようになった。

演じれば演じるほど称賛を浴び、代わりに周囲からは誰もいなくなる。しかし、今度は演技に手を抜くことも禁じられた。ついてこれない方が努力が足りていないのだと―――私が水浦第一学院に特待で進学し、1年目の冬の大会で部長から主役を奪い取ったあの年、退部する生徒が両手の数を越えたという。それでも私は進むしかなかった。全ての苦痛を、演技にぶつけて。

 学内での公演を見て、私のファンが増えていった。普通科の女の子たちが、王子様だと私をもてはやす。その度に、あなたは王子様であるべきなんだ、と言い聞かせられているような気がして、やがて私は諦めた。いいじゃないか、専門誌に名前が載るほどまでに注目されて、誰もが私を褒めたたえるんだ。自分の理想や意志なんて関係ない。舞台の上は、脚本が全てなんだから。

 

 そう押し殺した感情をぶち破ってきたのは、私と同じ孤独を持つ、4人の男の子たちだった。

 

 

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 失声症の数学者。正体不明の小説家。記憶を呪う人嫌い。そして、悲しき万能博愛主義者。例の“小説家”さきちゃんに脚本の課題を手伝ってもらったことをきっかけに、私は、私と同じくらい才能にあふれながらも酷く歪んでいる彼らといつのまにか友達になっていた。彼らは、私を王子様扱いしなかった。というか、全員が“それぞれにどのようなレッテルが貼られているか”なんてことに欠片も興味を持たない人種だった。昼休み、集まって昼ご飯を食べているときだけは全員鎧を脱いだ。四方八方に専門用語が飛び交い、そのなかで他愛もない日常の話をする。喧嘩だってした。でも、必ず仲裁役がいる。皆一様に化け物のように扱われている分、この昼休みの屋上ではまるで普通の高校生のように、馬鹿な話で盛り上がれた。とってもとっても貴重な、いわゆる青春というものがそこにはあったように思える。

 いつだったか、こーちゃんの言った「馬鹿言うなよ、瑞希だって女の子なんだから」という言葉で、一つ私は自分に課せられた「王子様」という厚い殻を破れたようだった。確か2年目の春公演の後、毎年急増するファンの女の子たちにきゃあきゃあ取り囲まれていた時だった気がする。そう言って取り巻きの中から救出してくれた人嫌いのこーちゃんは、遥か昔に置いてきぼりにしていた私の“女の子”である部分を、きちんと思い出させてくれたのだ。以来、つい女の子たちの前でノリ気で脚本中のようにふるまってしまう癖をやめた。あーちゃんも、「確かに瑞希は女の子だし、単に王子様ってだけよりは女の子も王子様もできる、万能じゃん」と言ってくれた。ああ、そうか。私はただ王子様であらねばならないと、周りの期待に応えなければならないと、そうやって自分を縛っていただけだったんだ。その秋、文化祭公演で私は久々に女性役を演じた。そして、「性別を超越する天才高校生」と、雑誌に書かれたのだった。私に怖いものなんて、もうなくなった。

 

 

 

「農作業中の人々や羊飼いたちが二人の姿を見て、神々が空を飛んでいるのだと思った。」

 

「イカロスは調子に乗ってしまった。父の忠告を忘れ、高く、高く飛んでしまった。」

 

 結局私は、愚かなイカロスでしかなかったということも、知らずに。

 

 

 

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 嫌。

 

 助けて。

 

 声は、酩酊の中に消えてゆく。私は、王子様、だけれど、女の子でいてもいいんだって。

 そんなこと、思ったからだ。両方求めようとしたから、罰が下ったんだ。

 傲慢だと。演劇の才に驕ったから。蝋で固めた鳥の羽で、どこまでも飛べると過信したイカロスのように。

 

 動けない。届かない。

 

 

 声帯が?動かない。

 

 

 サイレンの音と、ドアの向こうから誰かが呼び掛けてくる声が、聞こえた。

 

 

 私、は。

 

 お父さん。

 

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 王の不興を買った職人のダイタロスは、息子のイカロスと共にある塔へと閉じ込められてしまった。ダイタロスは、塔から逃げ出すために、鳥の羽を集めて大きな翼を作った。

 蝋でつなげられた大きな翼。湿度に弱い為海に近づき過ぎぬよう、また太陽の熱で蝋が解ける為あまり高く飛ばぬよう、ダイタロスは息子に言い聞かせた。

                                          

 

 

 早朝の学校。運動部の朝練が始まるか始まらないかという朝焼けのなか、私は上履きを脱いで、屋上の柵の上を歩いていた。バランス感覚の訓練も、最初は平均台から落ちまくってたっけ。

 拘置所。聴取。救急搬送。私には今まで関係のなかった、現実が突然襲ってきた。結論から言えば、私には“何もなかった”が、それでも、母さんが死んでからの6年間があふれ出すには、それは十分な出来事だった。

 何より、声が出なくなってしまったのだ。多分、ゆーちゃんと同じ、失声症。ゆーちゃんとは違って“原因が現在進行形”な訳ではないから、訓練次第でまたすぐに話せるようになるだろうとは言われた。でも、あたしは、役者なんだ。声音が、わずかな息遣いが、全てを左右するんだ。それを、蔑ろにされた挙句、奪われた。みんなは、大げさだって笑うかもしれない。けれどね、もう、ね、あたしは、いいんだ。

 

 太陽神ヘリオスの元へと向かおうとしたイカロスだったが、彼の父が作った翼は熱に弱かった。人の身で許されぬ高みへと昇ろうとしたその傲慢さにまるで天罰が下ったかのように、その翼を留める蝋は溶け、そしてイカロスは。

 

 

『墜落、死。』

 

 

 

 あはは、ってね。その音は、ヘリオスへと届いたのだろうか。

 届きはしなくともきっと、朝焼けの向こうから私の笑顔を見届けてくれたはずだ。

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