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言霊の話 2

​モブの運命や如何に。

 

 

 

 

 

 放課後。

 目の前に、黒澤さん。とうとう、この瞬間が来てしまった。

 

 

 葉山の取り計らいのおかげでかの黒澤さんに告白するチャンスを得た俺は、午後の授業を緊張ですべて頭から吹っ飛ばし、ホームルームが終わった後ちらちら時計を確認しながら5分後きっかりに教室を飛び出した。途中、何度もこけた。何度も何もないところでつまずいた。でも、今屋上にあの黒澤さんを待たせているのだと思ったら、周りからの大丈夫かアレ的な視線だって痛くなかった。

 今、皐月の空のもと、彼女は俺を待っている。俺のためだけに時間を割いて、きっと一人でいつものように遠い目でどこかを見つめているのだろう。その事実だけで、1000回は死んでもいい。もう、あの子のことを考えると動悸に眩暈に食欲不振・・・・これってもしかして・・・・っ

 

 癌☆

 

「ちゃうわァッ!!」

 

 息切れする肉体を蹴り上げ、屋上への階段を上った。そして素っ気ないアルミのドアを開けると。

 

 そこには、黒澤さんがいた。

 

 青い空に吹きさらされる猫っ毛の黒髪。短いスカート。紺色のブレザー。

 

「中村君、ウチのこと、呼んだか?」

 

 眼鏡の奥の静かな瞳は、確かにこの時だけは俺を見ていたと思う。

 そして、今に至る。

 

 

 

 

 :

 

 

 

「あ、あの・・・・」

 チャンス。だが、言葉までもがつらつらと出てくるわけではないらしい。あ、でも、ダメだやっぱ俺モブだ、よくある主人公のように、言葉が出てこない。

「さっき、プリント拾ってくれてありがとう」

「へっ?」

 窒息しそうな空気の中で音を探しているうち、黒澤さんの方からさっと話題を出してくれた。窓が開いたように、息ができるようになる。

「あ、そんな、大したことやないから・・・風、強いな」

「せやね。台風なんて時期やないやろし、天神様が怒っとるんやろか」

 くすくすと笑いだす黒澤さん。あまり見ない、ほころんだ表情に。

 自然と、言葉が滑り出した。

 

 

「好きです」

 

 

「え?」

 きょとんと見返してくる黒澤さん。彼女の目を見て、俺はもう一度言った。

「好きです。入学したときからずっと。今日、笑ってくれたのを見て、告白しようと思った。・・・葉山君みたいに俺はキラキラしてへんけど、俺の方が何倍も、黒澤さんの事好きです。やから・・・、やから、付き合ってください」

 存外、冷静に言えた。つるんと、出た。言いたいこと、全部。伝えたかった想い、全部。

 きっと黒澤さんは告白されるのなんか手馴れてるだろうけど。それでも、過去の有象無象と一緒にはされたくないと、そう思うくらいの小さな傲慢くらいは許してくれよ。

 モブにだって、誇りはあるのだ。

「・・・・・」

 黒澤さんは目を見開いていた。微妙な沈黙に思わず逃げたくなったが、俺はそうしなかった。彼女を、見つめ続けた。

「あー、えっと・・・・・」

 やがて小さく口を開いた彼女の声音は、困惑が混じったものだった。ああ、だめなのか。そうだよな、名も知らなかったであろうモブから唐突に告白なんてされたって、困るだけだよな。身の程、という冷水をぶっかけられて一気に現実に引き戻された俺を、まるで目の前で大きなダムが決壊していくのをただ見守るしかないような、そんな絶望感が襲う。

 

 だが、続いて彼女の口から発せられた言葉の破壊力は、そんなダムの決壊如きで形容できるほど生ぬるいものではなかった。

 

 耳を疑った。本気で、自分がボケたかと思った。

 

 

「えっと、告白してくれたんは嬉しいんやけど・・・・“俺”、“男”なんよ」

 

 

 え?

 頭を背後からぶん殴られたかと思った。え、ええ?ええええ?えっ、え?

 

「えええええええええええッ!!!!!???」

 

 いやもうそりゃあ叫んだ。と同時に、昼休みの葉山の言葉に一気に納得がいった。

 

『な訳あるか、なんで俺と薫が付き合わんとならんのや』

 

 あっ、え?そりゃそうか、え!?ええ!?やだやだやだやだええええええええええ信じたくないんだけどええええええええええええ!?待って、ええええええええええ!?

 ホンマ堪忍なぁ、と黒澤さんがすまなさそうに謝る。

「そういえば中村君、高等部からの編入組やってんなぁ、周り内部生ばっかやったからみんな知ってる気でおったわ」

「えっ、あの、じゃあ待って、いつも黒澤・・・クン?が一緒にいる女の子たちって、まさか」

「ああ、美咲とか玲奈か?あいつら初等部のころから一緒やからな、俺が男やゆーのも知っとった上でつるんどるんよ。生徒手帳見るか?」

 すい、と綺麗な細い手で差し出された生徒手帳、性別欄には確かに、男、と書かれていた。でも写真、女の子じゃないかよ。これで男は詐欺だろぉぉぉおおおおおッ!!!

「でも、声、高いし」

「言わんといてやそれ、気にしとるんよ。変声期終わってるはずなんやけどなぁ、背もそないに伸びんかったし。・・・・でもま、嬉しかったで。これからは普通に男友達として、よろしゅうな」

「ああ、あぁ、あああ・・・・」

 放心している俺をよそに、あ、提出物出さんといかんのやった、すまん、先生のとこ行かんとやし帰るな、と軽やかに黒澤は帰ってしまった。去り際、とても可愛らしく手を振ってくれたのがとても嬉しくてとても悲しくて、ああ、人生最初の初恋がまさかこんな、こんな、こんな理由で破れることになるとは・・・・・ッ!!!

 

 

 

 

 

 

 泣いた。流石に。本気でこの日ばかりは泣いた。屋上で泣き、家に戻って自室で泣き、夕食時どうしたの?と母親に問われ、常日頃の微妙な反抗期も忘れて盛大に泣いた。この日以来多分俺の反抗期も終わったが、その他にももう、色々と終わった(ちなみに、そのあと6月ごろに唐突に“彼”が転校してしまうまでは、短い間だったが黒澤さんとは放課後遊びに行ったりとても仲良くすることができた)。

 

 そして、例の言霊の力も、6枚目の紙にあった『きっかけを掴んでも失敗したら、そこで終了。お前はまたモブだ』の言葉の通り、それ以降使えることはなかった。フラれた?日、部屋に戻ったら朝テーブルの上に並べておいたはずのお告げの紙が全てなくなっていたのに驚いたが、普通にゴミ箱に捨ててあったので多分母親が入って掃除をしたのだろう。そんな非日常、そうそうあってたまるかってんだ。

 

 モブ。世界の人口の九十数パーセントを占める、人類を分類するうえでの大きなパラメータ。こうして、モブを一瞬脱出したかに思えた一日は終わり、再び俺はモブによるモブのためのモブのポジションへと、戻っていったのだった。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 夕日を背にした、帰り道。東山の社寺仏閣を縫うように続く小道を、俺は“姫君”と並んで歩く。

 

「凛、お前なんで中村君のこと止めへんかったん。俺が帰った後めっさ泣いとったで、可哀そうに」

「えー?だってなぁ、あないに盛り上がっとるとこ盛り下げたら可哀そうやん?廊下、お前も見てへんかったとは言わせんで」

「いや、確かになんか暑苦しいなぁとは思っとったけど俺の事やとか思えへんかったもん。フツーにあの時教えてやれば無駄足踏まんと良かったのに・・・」

「それはお前がか?それとも、中村クンがか?」

「阿呆、両方や。まぁ、お前のニヤケ面見たら何や企んでんのやろなぁゆうくらいはおおよそ見当付いたけどな」

「せやっておもろいやん、お前が男と知らずに告白しに行って玉砕する野郎って絶えんし?」

「いやぁん、凛くんってば相変わらず京都人の鑑のようなお人やねぇ。流石腹黒で名高い葉山の御曹司やわぁ」

「それ黒澤家の“御令嬢”たるお前が言うか?つか、何代か前にさかのぼれば葉山も黒澤も同じ血やん、腹黒はお前も一緒やぞ」

「あーあーあーもうええわ、理屈っぽくてかなん。ほらもう帰り、親御さんと世話係がお待ちかねやろ」

「ざんねーん、今日は薫んちで沖本センセの和箏の稽古やろ。夕飯まで一緒や、ってか薫のお父上に泊ってけ言われとったから明日の教科書も持って来とるし」

「あーーーもううっざい!!!」

 

 はい仲直りー、と黙らせるように、俺は姫君に遊ぶような触れるだけのキスをする。姫君は黙った。

 まぁ、誰が告ろうが渡す気はまだないけどな。もう暫くおひいさんは俺のもんや。

 

 

「ふんふんふ~ん♪」

「えらいご機嫌やな。学校でよくあるクールでミステリアスな葉山君は一体どこへ行ったのやら」

「んー?おひいさんはほんにかいらしくってええなぁて思うてな」

「かいらし言うな、茶化しとんのが見え見えや」

「んあ、おひいさんはええのやな。否定せんかったもんなぁ、今度からそう呼ぼ」

「阿呆!!」

 

 

 

 どこぞの寺の塔に、陽が落ちる。

 京の都に、夜が来る。

 

 

 

 

 

End.

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