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錯綜してぐるぐるして

​時々青春。

ラノベみたいなタイトルを考え出すのが大変だった。平凡な高校生の1年半のお話。

​嵐を呼ぶ薫ちゃん登場回です。

   転入生。この言葉、高校生には結構な影響力がある。普段はつっぱってるようなヤツらだって先生の話をいい子に聞き始めるし、イヤホンをつけて机に突っ伏してるやつだって自然と顔が上がるのだ。

   そして、皆が考え始める。男子か女子か。女子なら、外見やクラスデビューの際のスカート丈、アクセサリーや香水はどうかなど。男子なら、身長や前の学校で入っていた部活なんかをだ。そしてちょっと可愛い女子が入ってきたときの、野郎の浮かれようと女子の冷たい嫉妬の目。ま、こういうのが高校生って奴だよな、と、登校中にこっそり付けていたブレスレットを外しながら、北村爽(きたむらそう)は転入生の存在を告げる教師に注目していた。

   だが、少し妙である。今はいい加減新しい教室にも馴染んできた6月、こんな中途半端な時期に普通転入生なんて入ってくるだろうか。多分何か相当な理由ーーポジティブなら親の急な転勤とか、悪けりゃいじめとかーーがあることはほぼ確定だが、災難なことに、爽の右隣、普段は空いているスペースには見知らぬ机が置いてある。成績は中の上、「アホっぽいクラスの人気者」の俺に転入生の世話させるつもりなんですね、先生。

   分かる。確かにクラスの雰囲気をまとめてるのは俺だ。でもなぁ、と爽は頭を掻く。恐らく元いじめられっ子と予想される子の扱いまでは、爽は知らない。しかも、もしその転入生が女子だったら?男子からの数パーセントの僻み入りの茶化しを受け流しながら女子たちをたしなめて・・・うん、考えなければならないことが非常に多い。あうあうあ。

   でも、これが「クラスの人気者」の役目なのだ。派手なギャルや金髪から端で読書に耽るおとなしいメガネちゃんまで。クラスの全員と会話して、誕生日の子には声をかけたりなんかもして、はみ出ものを作らないようにまとめる。39人のクラスメートに常に目を向けるのは大変だが、そっちの方がみんな気分よく過ごせるし、何より爽自身も周りの笑顔が好きだったから、そう苦でもなかった。

   いよぉし、頑張らねぇとな。軽く伸びをしたところで、それでは入ってもらいましょう、と担任が教師に出入り口の外に声をかけているのが見えた。いよいよ、お出ましになるらしい。


 


 


 

   思った以上に、教室は湧かなかった。だが湧くことは湧いた。何故って、その転入生は女子であり(これで湧いたのは主に男子だが)、またもう一つ理由が窺えのだ。その子の印象である。

   多分予想は大当たりだ。きっとこの子、いじめられていたに違いない。いかにもなオーラが出まくっている。学校という明るいように見せかけて陰湿な空間では、こういう物静かで――雰囲気が暗いような子が、意味もなくいじめの標的になりやすいのだ。

   短めのスカートから覗く脚は、病的なまでに白く細い。対照的に髪は黒く、特記すれば前髪がかなり長い。いや、かなりどころではないか。分け目はあるので顔は見えるがフェイスラインや耳は完全に覆われており、それでももさっとした印象を受けないのは、猫のようなするりとした癖っ毛のせいだろう。後ろは肩につくかつかないか。ちなみに黒縁の眼鏡を掛けている。

   教卓の横に立った転入生。担任が黒板に彼女の名前を書き付けた。


 

『黒澤 薫』


 

  うわぁ、と爽はのけぞる。名前からして既に重々しい。ちょっと、幾ら何でもこんな子の面倒を俺が?自信ないって。

「はい、ということで今日からここのクラスに入る黒澤薫さんです。みんな、仲良くしてあげてね。―――じゃあとりあえず席が隣だし、北村!」

「はい」

  一瞬、黒澤がこちらを見た。目が合い、しばらく見つめられたのち、ふいとそっぽを向かれる。何を考えているのかイマイチよくわからない無表情、開かれる気配のない口。

  あ、これは拒絶のシグナル?

「今日中に黒澤さんのこと学校案内してあげて」

  やっぱりか。ヒューヒューと誰かが茶化してくるのがウザい。

   ・・・・。ま、仕方がない。

「モッチーです、俺に任せてくださいよ」

  ま、当然だがビビる余裕など与えてもらえるはずもなく。爽は元気よく返事し、役得じゃん、などと笑いかけてくる級友をあしらって、教卓を降りてやってきた黒澤のために彼女の席の椅子を引いてやった。

 それを見越したかのようにチャイムがSHLの終わりを告げる。さて、どう話しかけたものか。そんなことを思案しながら、爽は1時間目の授業準備に取り掛かった。


 

 

#


 


 

  と、悩むこと3時間。つまりは昼休み。私立高校故なのか、常時立ち入りOKになっている屋上でパンをかじりながら、爽は空を眺めていた。

 結局、話しかけるタイミングが全く掴めなかった。なんせ一言も喋らないのだ。この年頃の女の子にしては薄い唇はずっと閉ざされたままで、加えて先生もわざわざ転入生1日目の子には指名などしないから、気がつくと今日半日で声すら聞いていないことになっている。流石に初めてだった。

 まぁ、仕方がないのかな。もし過去に何があったという訳じゃなくたって、普通に転入した初日なんてこんなもんか。

「にしても・・・」

 話し掛けようとして幾度か見た横顔。あれが白皙というのか、本当に肌が白い、というかもはや青白かった。あと睫毛。メイクはそんなに濃くなかったのに、睫毛は長い。ラクダみたいな、と言ったら言い過ぎだろうが、それも相まってか、表情のない瞳に睫毛がさらに影を落としていて、まるで人形のような美しささえ見せていた。

 黒澤薫。そう、ひどく謎めいていてともすれば不気味に美しい。同じ高校生かと思わず疑ってしまう。

「まるで猫じゃん。あー、いや、黒い孔雀と黒猫足して2で割った感じか?」

「何意味分からん事言うとんの、しかも一人で」

「一人だから言ってんだろ。人前で言ってたらそれこそおかしいじゃんーーーって、おおおおお!?」

 いきなり背後から会話が始まって、しかもそれが聞き覚えのない関西方言だったものだから、爽は驚いて後ろを振り向いた。全く人の気配なんて感じなかったのに、いつの間に。

「ここん学校は屋上開放してんのやね。前のガッコやとあかんかったし、新鮮やんなぁ」

  時の流れが違うかのように、ゆったりとした訛り。そこには―――当の本人、黒澤薫がいた。


 


 

 おおおおお。やべ、本人の名前出してなくて良かった。だってまさか、音もなく後ろにいると思わねぇだろ普通。

「いや、びっくりした・・」

「おどかしたつもりはおぉへんのやけどな。堪忍。ふらふらしとったら屋上に辿り着いてまって」

「あー、そういう事か・・・・」

 教室にいた時とはうって変わって、結構喋る。不思議なトーンだった。語尾が掠れるように切られる。

 黒澤は相変わらずの無表情のままこちらにやってきた。不意に顔を上げ、こちらを見上げてくる―――とは言っても黒澤自体かなり背が高いので、大して見上げるという構図にはならないのだが。とにかくその光の入らない瞳で見つめられて、思わず爽はたじろいだ。彼女の圧迫感というか、その気だるげな雰囲気に飲まれそうになる。

「案外、喋るんだ」

 辛うじて発することのできたのはその一言だけ。黒澤がふいと視線を外す。

「訛っとるから。あんまし目立ちとうないやろ、初っ端から」

「そういえばどこから来たとか先生も言ってなかったけど、西の方から?」

 ここは関東圏の、そこそこ名の知れてる私立だ。訛りから推測してとりあえずそう言えば外すことはないと考えたのだが。

「・・・ん、京都。生まれは東山。ついこないだまでおったんは冷泉大付属、名前くらい知ってはるんとちゃうん?」

「え、冷泉大付属って、あの!?」

 頓狂な声を上げると、さも可笑しげに黒澤が笑う。ちょっと待て、こいつ相当なエリートじゃないか。

 私立京都冷泉大付属高等学校。私大の中では早慶と並んで有名な、“官僚養成学校”の一つ京都冷泉大の附属校だ。そこから政界ではなく実業界に降りた若きイケメン実業家―――とか言って最近やたらニュースが持て囃してるリゾート経営だかのグループの御曹司もそういえば黒澤という苗字だったな。ひょっとして、親戚だったりするのだろうか。

「・・・すげぇじゃん」

「いんや、頭ええのだけが取り柄の金持ち学校やて。ま、制服はなかなか気に入っとったけどな」

「・・・結構辛辣だったりする?」

「んー?一応無自覚っちゅうことにしとくわ」

 黒澤はやはり目を笑わせないまま口角だけを上げる。ある意味器用だ。

 が、まあ良かった。会話は一応成り立つらしい。これならきっと大丈夫だろう、クラスに溶け込むのも時間の問題のは―――


 

「なぁ、あんたはん、北村ゆうたっけ」

「ん? おう、そうだけど」

「もし“俺”が男やゆうたらどないしぃはる?」

「え、・・・・は?」


 

 思考を遮ってさらりと流しこまれる声。

 振り返る。今こいつ、何言った?


 

「言い方変えよか」


 

 黒澤が一歩飛んで後ろに下がる。腕を広げ、にい、と笑った。


 

「“ウチ”が女やって、確証持てはる?」


 


 


 

 

 

 

 

「ちょっとタイム、飲み込めない」

 完全に神経途切れた。何言ってんだか分かるが、いや、そうだよ、分かってるんだって。

「いや、でも・・・は?」

「なんやさっきから、感動詞しか出て来へんな」

「当たり前だろ、だってそんなこといきなり・・・待って、つまり、お前が女子じゃないかもってこと?今の質問」

 黒澤の目が細められる。

「せやし、よう考えてみ?一般論としては男装より女装のが遥かに簡単やし、そんでなくともウチの声かてそうやろ。女のちぃと低い声かもしれんし、男の高いのかもしれへん」

 言われてみればそうかもしれない、が。でも、そんな事って現実にありかよ。確かに、男装した女子が男子校に入学した、なんていう設定のドラマが一時期流行ったりもしたけど、あれはあくまでフィクションの世界の話だ。

 だが。衣替えもとうに済んだというのに、黒澤はまだカーディガン―――しかも黒だ―――を着ていて、女子が知ったら大非難間違い無しだろうが、夏場の女子の象徴であろうブラウスから透けるキャミソールやらetcの有無を見るという手段は封じられている。

 となると。

 目の前で意地悪げに笑う黒澤の性別を確かめる術などどこにもなく。

「・・・その通りだな。分かんねぇよ」

 お手上げ、と腕を上げて見せた爽に、黒澤が満足げに頷く。

「さよか。まー、せやろなぁ、確かめようもあらしまへんし」

 そう言うと黒澤は。

 おもむろに。

「・・・え、あ? ちょっと何やって」

 カーディガンとブラウスのボタンを外し始め。

「黒澤、サン!?」

 一瞬妖艶な笑みを浮かべ。

  

 勢いよく脱ぎ捨てた。


 


 

 屋上、お天道様は今日もご機嫌だ。

 

 

 

***

 

 


 

「あっは、なんちゅう顔しとんねん」

 今日初めて、黒澤が目と口を同時に笑わせた。対して爽は、口を開きっぱなしである。

 やはり、というか驚いたことに、半裸の黒澤は確かに男だった。いや、女子がブラウス脱ぎ捨てる訳ねぇだろと言われればその通りなのだが、それにしてもだ。

 正直同じ男だとは思えない。程、細い、というか、もはや本当に血が通ってるのかと疑いたくなるくらいだ。

 筋肉らしきものは殆ど見られず、所々血管が青く浮いているレベルで肌が透きとおっている。これなら装束を変えただけで性別を偽るくらい訳もないのだろうが、自分や周囲の野郎と黒澤はあまりにも違い過ぎていて、爽は何も言葉を発せられずにいた。

「ついでに、なんで“俺”が喋らんかったかっちゅう話やけど」

 耳通りのいい声が通り抜け、我に返る。

「あ、はい」

「訛ってんのもある。でも、こっちが本命。俺、さっきも言うた通り声高いやろ?でももう変声期なんてとっくに来とんねんで。そんでもこれ」

「・・・はあ・・・・あ、え?マジで?」

「俺は流石に覚えてへんけど、親父に言わせればちっさい頃なんぞもっと甲高い声やったらしいし、親父自体もそないに低うないから、しゃあないんやろな。まー、そういう訳で声が最大のコンプレックスやから、喋らんかった」

 遺伝やて、と黒澤がシャツに袖を通しながら言う。疑問に思ったことを、気がついたらストレートにぶつけていた。

「何で女装?というか学校は何も言わないの?」

 黒澤のボタンを留める手が止まった。一瞬ののち、再び動き出す。

「・・・学校は何も言わへん。親父が金で解決したさかい」

「へ!?」

 黒澤がこちらを見た。感情の読めない表情のまま言い放つ。

「知ってはるかな、俺ん親父、そこそこ有名人なんやけど。黒澤誠って」

「黒澤、誠・・・・ちょ、タンマ、え、マジかよ・・・」

 ギャーギャー騒ごうとも思わなかった。先ほど考えていたことは、どうも奇な事ではなかったらしい。

「黒澤グループ、の」

「そ。若き跡継ぎーなんて世じゃ騒がれとるやろ。だから金はあんねん。その寄付で学校黙らせはってた。あ、せや、今のんオフレコな。親父が黒澤誠ゆうのも」

「・・・・」

 絶句した。ただ、黒澤が事もなげに、というよりむしろ興味なさげに終始語っていたのが気になった。

「なんや、引いたか」

「いや、そういう訳じゃないけど。あまりにも凄くて驚いただけ」

 ニヤニヤしながら(少なくとも爽にはそう見えた)顔を覗いてきた黒澤に手を振る。つまらん男やの、と呟く彼(女)をよそに、内心頭の混乱を整理するのに必死だった。

 父親が社長、しかも本社東京の上場企業。その息子が京都からいきなり転校してきた。しかも女装男子。

「俺、ラノベでも読んでるんだろうかな。ちょっと現実にいる気がしないんだけど」

「まー、せやろな。でもホンマやで、嘘ついてもしゃあない」

「知ってる。だから信じるしかない、とは思う・・・。でもさ、そうすると家族は?どこに住んでんの?」

「・・・親父は東京。俺は駅前のマンションで一人暮らし―――まぁ、お手伝いさんが来てはるけどな。母親は京都にいてる」

「お母様、残ったの?別に一緒に来れば良かったんじゃね?」

「あかんて、あの人入院しとるし。よう出て来ひんやろ・・・おっと」

 喋り過ぎてもうた、と黒澤が口に手を当てる。聞こえた入院という単語。

「・・病気?」

「喋りすぎた言うたんやから聞くなや。・・・まぁ、そんなとこやな。それ以上はまだ話せん」

「まぁ、そりゃそうだよな」

 事実上初対面の相手に、普通はそこまでは話せまい。話題を変える。

「服って女物しか持ってないの?私服もさ」

 黒澤が小さく首を振った。

「な訳ないやろ。制服は両方持っとるし、私服かてそうや。別にいつも女の格好しとるわけでも無いし、気分によってやて」

「あ、じゃあ性同一性障害とかじゃなくてね。・・・じゃあ、何で」

 納得しかけて、新たな疑問が湧いた。趣味だと言われれば理解できない訳でもないが、それにしたって親に学校黙らせてまでする事だろうか。

   黒澤が、伏せがちな目を一瞬見開いた。だがこちらを見つめて数秒、すぐに顔を逸らされる。

「言えん、な・・・。多分誰にも。今んところ知っとんの、家族だけやし、俺もそれ以上に話す気ぃはあらへんから」

「あ、そう・・・」

 本人が話したがらないなら―――しかも、こんなにデリケートな話題ならばなおさら、深入りして聞くべきじゃない。経験則というかなんというか、人の感情の動きに敏感な爽は、そういうタイミングがやけに自覚できるタチだった。今までもこの“経験則的勘”で全ての人間関係を乗り切ってきたのだが、今の黒澤からもなんとなく、その引き際を感じたのだ。

 フェンスに突っ伏したまま、黒澤がこちらを見上げてくる。チークを佩かない頬は、不健康な程に白い。

「何や、深う追求して来へんのやな」

「え・・・」

  それから、ふっと自嘲的に口元を歪めた。

「だいたいの奴は、ここでもっと追求してくるかキモい言うてどっか逃げてくのやけど。お前はそのどっちでもあらへん。むしろそっちのが気色悪いわ」

「人が嫌がることはしない、なんて保育園児レベルの問題でさ、別に普通だろ」

「世の中の人間の大概は、そないな保育園児レベルの事より、自分の好奇心が勝つもんや。せやからお前は気色悪い」

「気色悪いって・・・悪かったな」

 まるで人間でないかのような物言いをされて、流石に拗ねる。じゃあ気味悪がればいいのかってそういう問題でもなかろうし、訳が分からない。

 不意に、ぷはっ、と黒澤が笑い出した。しかも、爆笑レベルだ。

「ええよ、別に悪ぅは思ってへんのや」

「どっちだよ!」

「新鮮やった、っちゅうことやて。そういう目ぇで見られんのが。にしてもなぁ、あんたはんは拗ねるんか、新しいなぁ」

 笑い過ぎたのか、軽く咳き込みながら薫がこちらに向き直った。自分より少しだけ低い視線が、こちらを見上げてくる。

「せやな、気色悪いは流石に酷いわ。謝るし。堪忍」

「それはもう、散々に笑われた後だからいいけどさ・・・なぁ、やっぱりお前なんかあったの?前の学校とかでさ」

 答えてもらえるはずがないことを知りつつも、つい聞いてしまった。だってさっきの、あの人生を投げたような自嘲が気になったから。よく聞くと放たれる言葉にほとんど感情が込もっていないのが分かるから。

 勿論、それが対戦車級の地雷だっただろうというのは容易に予想がついた。だから身構えた。どんな罵倒が来てもいいように。


 

「・・・ふふっ」


 

「・・・・ッ」


 

 が。それを裏切り、黒澤は笑った。

 その笑みは何度も見せた空虚なものではなく、むしろ可憐とさえ言えた。


 

「・・・勘違いしとんのか。さっき俺が言うたんはあくまでも一般論や。前の高校――冷泉大付属には俺は幼稚舎の頃からおってん。せやからだいたいの職員が俺の格好については知っとるし、それはクラスメートも同じ。今までいじめられたことなんざあらへんよ」

「そうなの、か?」

 本当に?と念押しするのはやめた。仮に嘘だったとしても、自分にはどうすることもできないし、何よりいきなりそんな風に踏み込まれたら変というか不愉快だろう。

 それに。特にどころか全く根拠はないのだが、黒澤の言ったことが嘘だとは思えなかった。ホント勘だけど。当てずっぽうで人付き合いすんなよ、という批判は後でまとめて受け取っておく。とにかく色々話ができただけでも僥倖、詳しくはもっと親しくなったならば聞けばいいのだ。

 予鈴らしきチャイムが鳴った。戻らんとか、と黒澤が呟く。

「せや、北村爽てゆうたな。北村呼べばええか?」

「あ、爽でも北村でもどっちでも。女子からは爽だし、男子からはだいたい北村だから」

「せやったらウチも、なりに合わせて呼び方変えよか。今は爽やね」

 少し声のトーンが高くなった。ああだめだ、ホントマジで女子にしか見えない。


 

 あれ。


 

「なぁ、そういやお前いつ性別公表すんの?」

「え」

 スタスタと出入り口に歩いていく背中に問いかける。足を止め振り返った黒澤は、


 

 ニヤッと笑い、


 


 

 そのままくるっと背を向けて行ってしまった。


 

「え!?」


 

 無視はされてないし、気付かなかったわけもない。回答を拒否られた。


 

「・・・おい、黒澤!?」


 

 いや、それしかないけどさ。


 

 けどさ。


 


 

「えー・・・」


 


 

 あまりの突飛な黒澤の行動に一瞬途方に暮れかけたところで、本鈴が鳴った。

 仕方ないか、と全力で屋上を飛び出す。

  とりあえず走りながら、初っ端からずいぶん驚かせてくれた転入生のイメージを、黒猫+黒い孔雀から、黒猫+うさぎ+子鹿に下方(上方?)修正した。

なんとも不思議な、まるで台風が通過して行ったかのような昼休みだった。


 

 

**


 


 

 放課後の学校の案内は地図をもらったから必要ないと言われ、その日の黒澤との会話はそれで終了となってしまった。が、結局どうするのか聞けずじまいだったな、と思ったのも杞憂、次の日黒澤は男子の制服に身を包んで教室に現れた。朝、通学用のスクバを持ったまま教壇に立ち、主に騒いでる(というか唖然としている)野郎に向けて一言、

 

「昨日は女子の制服着とったけど、本来戸籍上やと俺は男や。これからもどっちの制服着るかはわからんし、割とコロコロ変わると思うけど、気にせんといてや」

 

 と、いともあっさりと言い放った。瞬時に教室は湧き、席に着いた黒澤の周りには人の壁ができたが、当の本人がジト目気味な表情を一切変えずに淡々と対応していた為かうちのクラスの人間のキャパが広いのかは分からないが、とにかくそれからの雰囲気が悪くなることは無く、むしろ女子なんかは積極的に話しかけたりしていたので、ひとまず爽は安心した。女装でも男装でもあまり感じに差は出た気がしなかったが、それはそれだけ黒澤が中性的な見た目をしているということなのだろう。


 


 

 高校2年の初夏、6月頭。変な時期に入ってきた転入生は、平凡な学校生活をかなり楽しませてくれそうな、そんな予感がしていた。

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