
傷心
桐生朔真×本成寺進也。中学2年生の頃のお話。事後です。そしてほんわか暗い。
※本文中の小説は新堂冬樹「摂氏零度の少女」より
学校をさぼった、中二、まだ肌寒い春の昼下がり。中1の三学期が終わったと同時に退寮して一人暮らしを始めた本成寺進也は、従兄弟の桐生朔真と、ベッドに二人、転がっていた。
覚えたての快楽に溺れた後。まだ息が整わず、体はだるい。でもそんなことすら何か嬉しくて、二人でどちらからともなく顔を見合わせ、くすくす笑った。
相変わらず朔真の体からはあざが消えることはない。・・・が、この腕の真新しい切り傷。そっと手首を捕まえて指先でなぞると、むずがるように振り払われた。
「くすぐったい」
「そっちなの?」
数か月前、朔真は壊れた。・・いや、もともと壊れていたとは思うけれど、目を付けてきた上級生の男子たちに集団で強姦されたあの夜から、朔真は何かが変わってしまった、と思う。
放課後、暗い倉庫に引きずり込まれた朔真は容易に錯乱状態に陥った。・・御存じの通り、朔真は暗いところが駄目だ。しかも密室なんてもってのほか。電気を付けたままでも眠れない有様なのに、あんなところに、しかも鍵まで閉められて。無駄に訓練させられていたせいか能力を使うことすらできず、なすがままされるがままだったらしい。夜8時ごろに巡回に来ていた警備員が異変に気付いて、通報した。発見されたときには、抵抗を防ぐために斬り付けられたりもしたのだろう、上から下まで血と誰かの精液に塗れて、朔真は文字通り死んだように横たわっていた、という。
進也は、翌朝になって初めてそれを知らされた。本気で、相手の集団を殺しに行こうと思った。でも、芳成に止められて、お前じゃ無理だといわれ、泣いて泣いて、・・・結局芳成と美桜と伊織、それに睦月がお礼参りに行ったらしい。美桜に、お前の仕事は朔真の側に居てやることでしょ、と言われて、放課後朔真が入院した病院に毎日のように通った。そのうち、学校に行かずそのまま一日朔真の側に居るようになった。どうせ、朔真のいない学校になど行ったところで意味はないから。この事件があった直前に自分の両親も死んでいたから、多分朔真と同じように、自分もその時壊れていたのだろう、と思う。意識はあるものの窓の外を見つめるばかりで何も言わない朔真と一緒に、進也もまた何も言わずに一日を過ごしていた。
やがてそんな解離状態から復帰した朔真は、無事に体の中の怪我も治って退院することができた。その直後は流石に朔真の親も朔真を殴ったりはしなかったようだけれど、結局退院から2週間もしないうちに、また朔真の体はあざだらけになり、朔真は一人暮らしをする進也の部屋によく訪れるようになった。小学生の頃の、箱庭と全く同じ。祖父母が手続きをして家を売り払うとき、部屋にあった家財道具はすべて回収して新しい2LDKのマンションの一室に運び込んだから、あの部屋の再現は完璧だった。
学校や外では無表情な朔真が、二人きりになると途端に表情が豊かになる。でもそれはたぶん、自分も同じ。人前での笑い方などとうに忘れてしまっていたけれど、別にそれでも全く問題はなかった。進也は何も変わらない。でも、あの一件があって以来、少し朔真は艶めかしくなった。乱暴にたたき起こされてしまったせいなのか、それとも行き過ぎた恐怖が生んだ反動なのか。今まで、躊躇いと恥じらいが混ざったようなキスまでしかしてこなかった自分たちの関係を、一歩、戻れない道に踏み出させたのは朔真だ。最初は一歩だけ。そのうち、二歩、三歩と道を進み、今ではもう、とっぷりと浸かり込んでしまっている。後悔なんてものはなかった。あるのは未知への好奇心と、快楽だけ。元から高かった二人の依存度は、体を繋げて以来、加速度的に奈落へと落ちていった。
どうせ授業なんて聞かなくても分かる。どうせあんな人間しかいない学校なんて行っても仕方がない。一度ついた不登校癖はなかなか抜けず、今でもたまにこうして学校を休み、二人で一日を過ごしている。朔真はまたそれで両親に怒られるようだけれど、アレの事なんてもうどうでもいいんだ、と前笑って言っていた。生々しい腹部の青あざをそっと指先で触れると、いたずらするな、と額にキスされた。
薄い布団を一枚だけ。裸のままベッドの上で、ぼーっとする。やがて、朔真がふと、ある小説の一節を口にした。
『地面に落ちた雛鳥を助けるためにあなたは、蟻を踏み潰しながら駆けつけるでしょう。』
「・・・“摂氏零度の少女”。あれ、僕好き」
「死こそ救い・・・、分からないでも、ない」
「一番よく分かってる、の間違いでしょ。僕も、お前も」
「だな」
くだらない、と笑いあう。続き、覚えてるか、と促され、進也はうなずき、口を開いた。
『地面に落ちた雛鳥を見殺しにするけれど、私は蟻を踏み潰したりはしない。』
青い綺麗な髪をゆすって、朔真が少女のようにあどけない笑みを浮かべる。
『虐待された動物のニュースに胸を痛め憤るあなたは、鼻歌を歌いながら魚を捌くでしょう。』
『虐待された動物のニュースに胸を痛めないけれど、私は魚を捌いたりはしない。』
『悲劇をみて涙を流すあなたは、喜劇をみて笑うでしょう。』
『悲劇をみて涙を流さないけれど、私は喜劇をみて笑いはしない。』
『私は、あなたのように誰かを愛したこともなければ、あなたのように誰かを恨んだこともない。』
『私は、あなたのように誰かを尊敬したこともなければ、あなたのように誰かを軽蔑したこともない。』
『私は、あなたのように誰かに手を差し延べたこともなければ、あなたのように誰かを突き放したこともない。』
進也が言い切り、ひとしきり笑う。朔真が息を吸って、声を響かせた。
『あなたを、恨んだわけではない。』
進也も、少しだけ大きな声で、言う。高鳴る。胸が。
『あなたを、軽蔑したわけではない。』
朔真がそっと目を閉じた。
『あなたを、突き放したわけではない。』
ふっと目が開かれる。さぁ、最後のセリフだ、と青い瞳が進也に告げてきた。
ぞくり、と歓喜に沸く心。ああ、こんなもの、まだ僕にも、あったのか。
『ただ、リトルの待つ楽園に続く道を遮る石を取り除くだけ。』
「・・・・ッ」
まるで、達した後のような、緩い倦怠感と高揚感。何なんだろう、これは。朔真も、同様のようだった。
そっと手をつなぐ。ふと、とてつもなくいい考えが浮かんだ。
「そうだ、朔真」
「・・・何だ」
「あの、さ、僕思いついたんだけど、さ」
「・・・なに。言って」
少し、朔真の口調が砕ける。早く、早く教えなきゃ。えっと、何だっけ。なんていう一文だっけ。小学六年生のころ二人で暗記するまで読んだこの本を頭の中ではぐる。どこに書いてあったっけ。そう、たしか、こうだ。
『リトルの世界に、一緒に行こうか?』
弾むように、声に出す。ねぇ、朔真。そうすれば僕たち、あの本に書いてあった通り、死は悲しいどころか、祝福すべき現象なのだ。すべてが終わった後には、きっと素晴らしい世界が僕らを待っている。親が目の前で踊り狂って死んだとか。生きてる限り疎まれ呪われ暴力を振るわれ続けるとか。今感じている苦しみは幻。その世界ではそんな事ある訳がなくて、ねぇ、だったらさ。舌足らずに、言葉足らずに、そう言うと、一瞬目を見開いた朔真は、やがてふふ、と細かく華奢な肩を震わせた。
「ふふっ、しー、お前、凄いな。というか、俺たち、が凄いのか」
「何?どういうこと、さく」
ここまで朔真が笑うことは滅多になかったので、少し進也は驚いた。俺たちが、凄い。俺たちってなあに?何が、凄いの?
やがて、笑いを収めた朔真が、目元に溜まった涙を指先でぬぐい、言った。
「俺も同じことを、言おうと思ってた」
「・・・・・!!」
「そう、もう仕方がないんだ。自分たちだけ助かったっていいじゃないか。もう、俺たちは頑張ったんだから。それでも底に叩き落されたのなら、逃げたって、いいと思うんだ」
「そう・・・だよね、だよね!やっぱりさくも僕と同じ考えだ。嬉しい。嬉しいよ。一緒にリトルの世界に行こう。もう僕たちを引き留める奴なんて、誰もいないんだから!」
飛びつくようなキスを仕掛け、しばらくもつれ合う。たまに顔を上げては笑いあい、またキスをした。本の主人公は、幼いころに病気で弱った愛犬リトルを安楽死によって失った経験を持つ。リトルの世界。死後の、幸せな世界。16歳になった彼女は、自らの手で母親を「リトルの世界」へと導いてやろうとした――タリウムによって。でも本のように、服毒はしたくない。じゃあ練炭でも燃やそうか。一酸化炭素中毒は、綺麗な死体になるというから。綺麗なままで、リトルの世界に行く。そうすれば、これ以上ない幸せが進也たちを待っているはずなのだ。
「いつにする?」
「今週末、道具をそろえよう」
「練炭」
「七輪?」
「流石に中学生が日中にホームセンターをうろついてたら不審だもんな」
「しかも買ってるものが練炭、なんてね。直前で止められたら意味がないし」
「土曜の午前。バーベキューの準備かもしれない、ぞ」
「発見されるときさ、ドア開けたら二次被害が出るよ」
「出してやればいいじゃないか。お前をここまで傷つけた社会への報いだと思えば」
「お前も、ね。・・・楽しみ、だ」
「そうだな。・・・失敗しないように、しないと」
「うん。絶対に、リトルの世界に、行くんだ」
「そうだな。絶対に、行こう」
手を握って、うなずき合う。少し眠くなってきてしまった。そりゃそうか、さっきまでたくさん動いていたんだもの。微睡に任せて、進也は目を閉じた。
土曜日に買いに行くなら、その日の夜には実行したいところだが、今日は火曜日、まだ日がある。その日を指折り数えて今週は過ごそう。きっと、文字通り人生で最高に楽しい日々になるに違いない。冷えた心に少しずつ熱がこもっていくのを感じながら、意識は闇へと落ちていった。
Fin.