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​狂人の会話

クラウスとベリエスが、眠れない夜にココアを飲みながら語る話。鴇鼠さん宅の真守君のお名前をお借りしています。

 ことり、と目の前にカップが置かれる。俯き加減だった顔を上げると、何とも感情のこもっていないニヤニヤ顔が向かいに座った。カップは同じ柄。中身もたぶん同じ、ココア。甘いもの好きなこいつらしい、と思いつつ、俺は何かあったのか、とニヤニヤ顔に話を振った。

 

「聞きましたよ、今日結構な大立ち回りをやって見せたそうじゃないですか。スマートなやり方を好む貴方らしくもない」

「・・・・それ、ほんの2、3時間前のことのはずなんだけどな。どこ情報、それ」

「決まってるでしょう、一人しかいないじゃないですか」

「・・・レオンか。何でだろうね、アイツの情報網ホント怖い」

「よく諜報部隊に出入りしているようですからねぇ・・ボスも何でそれを許しているんだか分かりませんが、ともかく。どうしたんですか、あんな乱暴な殺し方。しかもターゲットでもない、裏路地で出くわしただけの相手でしょう?いつもの貴方なら間違いなくスルーだろうに」

「・・・・・。それが、たまたま、でもなかったというかなんというか。俺からしたら偶然なんだけど、向こうはずっと狙ってたみたいで」

「つけられてたんですか。へぇ、珍しい失態ですね」

「それこそ、今お前が言っていた通りスルーしてたんだよ。何もしてこなければ問題はないだろう?無駄に街中で騒ぎを起こしたくなかったし」

「流石、平和主義の裁判官様。私だったら多分、視界にちらちらしてた時点で殺してますよ」

「役者がそう簡単に町で人殺しをしてもいいのかい」

「私はそんな常識には囚われませんから」

「・・・・・、そうだったな。特に今のお前はそうだろうな」

「訳分からないこと言ってないで。ねぇ、死体の状況聞いたんですけど、もしかしてアレ使ったんですか。貴方の奥義、滅多に見せないアレ」

「その好奇心爛々な目をやめなさい。話すから、その目をやめて」

「・・・・はーい。で、結局のところ何だったんですか、貴方が襲われたの」

「よくある復讐。俺が前引き受けた案件の相手組織が俺に逆恨みしてきたみたいで、それで」

「へー、まぁそれ逆恨みというよりは普通に順接通りの恨みだと思いますけどね。・・・で、じゃあ何故アレを?そこまで貴方が逆上する理由もないでしょう、その程度の相手じゃ」

「・・・・・」

「なんで黙るんです」

「・・・・・真守君の写真を、出してきた」

「!ライザップ君の?何故」

「二人でいたところを、撮られてたみたい。街角で、雑踏でカメラの音にまで一々注意を払ってなかったんだ。それで、ハッタリだとは分かっていたけれども、彼の事について言われて・・・」

「頭が真っ白になった、と。大方、大人しく殺されないなら屋敷にいるこいつを襲う、だとかそんなことでしょう?今日はローザとヨハンとテオドールという思いつく限り最悪の組み合わせが在宅してた訳ですから、冷静になれば真守君の無事など当たり前とすぐに思い至れるだろうに」

「・・・・それが至らなかったからこうなったんだろうが。あまり傷口を抉らないでおくれ」

「驚きのぞっこんさ加減ですね。元はと言えば貴方の不養生が原因で知り合った子でしょうに、今や夫婦。もはや夫婦。そして貴方の殺しのスタイルまで変えてしまうとなると、もうそれは単なる危険因子―――」

「―――真守に何かしたらただじゃ置かないぞ」

「・・・。・・・・分かってますよ。ただ、見境がなくなる貴方を周りは心配しているという事、くれぐれもお忘れなく。私とて一応気にしてはいるんですから―――“タナトスの審判場”などよりも遥かに重い、“死神の処刑場”をそう簡単に使ってしまえば、貴方の体がもたないでしょうが。それではあの子にとっての事を考えても、本末転倒なのでは?」

「お前の“棺の中のお茶会”も相当じゃないか。使うたびに定期的なものに加えてさらに人格が分裂しているの、俺は知ってるよ。寿命が削られることと正気を保てなくなること、ここにそんな大きな違いがあるとは思えないけどね。特に、“本来誰よりも正気でありつつ誰よりも狂っている”お前なんだから」

「・・・・・それは言わぬお約束ですよ。というか、私の事などどうでもいい、問題は貴方です。あの子を置いて逝くなんて、責任放棄もいいところですよ。秘密主義の貴方の事だ、別にこの二つ目の魔法についてだってどうせ話してある訳でもないんでしょうから」

「・・・・・」

 

 思わず黙って、ココアをすする。純ココアと砂糖、水を小鍋に入れて弱火になったら加熱、ペースト状になったら少しずつ牛乳を加えて沸騰直前まで煮立てる。あとは温めたカップに注いで、ブランデーを少しだけ加えて完成。ここで牛乳を減らして代わりに生クリームを入れるのがこだわり、なんだそうだが、ここの屋敷で何気に一番料理が上手いのは実はこいつだ。尤も、彼のその気まぐれすぎる性格――いや、人格のせいで滅多に彼がキッチンに立つ姿は目撃できないのだが、こうして誰かがダイニングに一人でいると、必ず彼はやってきてココアを淹れる。恐らくそれが“最も正気であるが故に正気であることを捨てた”彼なりのコミュニケーションの方法なのだろう。

 だから、無下にはしない。今対面している“彼”は元来世話焼きな性格らしく、捕まると相当痛い指摘をばしばしと決め込んでくるが、決して無下にはしない。こうして面と向かって落ち度を指摘されるのは、実は不快なだけでもないのだ。銀色の長い睫毛に縁どられた“今は”青い瞳が、ぱちりと見開かれる。

 

「どうしました?」

「いや、真守君可愛いなぁ、って」

「・・・・、貴方の唐突な惚気にもいい加減慣れてきましたよ」

「やーだってさー、ねー、可愛くない?エプロン姿とかさ、可愛いよねぇ」

「そりゃあ私たちからしたら大分年下な訳ですから、まだまだ可愛い、と呼ばれるに値する年頃でしょうよ。特に貴方とは親子ほども年が離れているんですから」

「そうじゃなくてねぇ、や、でも彼夜は凄いんだよ。びっくりするくらい豹変するの。鼻血不可避ってくらいで」

「生々しい性事情は結構ですよ。特に貴方のなんて想像が付きすぎて面白くもなんともないです」

「お前の趣味がアブノーマルなんだろうが。背中の傷の事、テオドールから聞いたよ?」

「・・・・いいじゃないですか、人の勝手でしょう。それにアレは私がやったんじゃないですから、知りませんよ。というかむしろ気が付いたら勝手に背中血塗れにされてた私の身にもなって下さい」

「あ、そうなんだ。“お前”じゃなかったんだ。そりゃあ悪かったね」

「失礼しちゃいますよ。あれは私じゃない、“2番目”がやったことですから。・・・それはそうと、そういえば今日ずっと約定君貴方の事を探してましたよ。何か呪詛めいた事をぶつぶつと呟いていましたが、浮気でもバレました?」

「馬鹿言うな、情報収集のために飲みにはいくけど浮気なんてしないよ。・・・・あ、思い当たった」

「何です」

「今日一日ご飯食べてない。というか昨日の昼から食べてない。わー、まずいなコレ相当怒ってるぞ・・・忘れてた・・・・」

「・・・・マズローの欲求段階説に基づけば、食欲って性欲と睡眠欲に並ぶ人間の欲求の最下層のはずですよね。それ忘れるって・・・正直引きますよ、私より、どちらかというと狂ってるのは貴方の方なのでは?」

「その怪訝そうな顔やめて。いや、最近ようやく悪いと思い始めてるから」

「それはライザップ君が怒るからでしょうが。・・・・ねぇ、長生きしてくださいよ。貴方が抱える者は今や私たちだけじゃない、あの子がいるんですから。軽率な行動は、彼の為にも慎むべきだ」

 

 青い瞳がギラリと光った。時々こういう、やたら威圧的な目をするよね、お前。

 出自を知らない彼は、その威圧がどこから来るものなのかは分からないだろう。

 自分が貴族階級出身なのだということを、彼はとうの昔に忘れてしまっている。

 そのことに関しては、俺は忘れてしまった方が幸せだと思ってるけど、ね。何も知らない方が余程幸せだ、というのは、自分ではなく、例えばこの屋敷に住む黒髪の兄弟を見ているととみにそう思う。すべてを知っているテオドールと、何も知らないヨハン。俺はテオドールから口を閉ざすよう言われているからヨハンには話せないが、もとよりわざわざ知って彼が傷つくような事実を、俺も教えるつもりはない。

 結局、この安寧や平和だって、こうした嘘と虚構の上に成り立っているものなのだと考えると、少し寂しくなるけれどね。

 

「・・・・・うん、まぁ、分かってるよ。ただでさえ、“タナトスの審判場”で10人釈放者が出ちゃったらアウトだもの、大事に生きないと」

「抗争や任務中に死ぬ、ということを全く想定していないのが貴方らしいですが、・・・・そうですね、貴方には昔のフロリアンの予言のとおり、幸せな死に方をしてほしいですから」

「ありがと、心配してくれて。これからはなるべく気を付けるようにする」

「そうしてくださーい。・・・どうします、もう4時ですけど。寝ます?」

「いや、もう面倒くさいからいいや。このまま起きてる」

「じゃあもう一度ココア入れましょうか。今度は趣向を変えて少しコーヒーでも入れますか」

「あ、ココアとコーヒーのブレンド。あれ大好き」

「なら作りましょう」

 

 目の前の空のカップがかっさらわれていく。見ると、向かいのカップも空だった。ココアにのせて、吐き出す重い話。寿命。人生。生。死。避けて通れない、だけど避けて通りたい、そんな話をするときにはココアだ。この丁寧な甘さが、きっと全部溶かしてくれると信じて。

 手早くエプロンを身に着けキッチンに立つあいつは、いつものような人形のような後ろ姿ではなかった。ああ、そっか。これが、生きるという事なのか。毎日生きている者に接するのを仕事としているはずなのに。そんな初歩から、忘れてしまっていてはダメだろう。

 

「貴方、今日はオフですよね。折角だし、昼間寝てたらどうですか。頭の中で煩いのがいるなら、しばらくローザに“取り出し”てもらっておきますよ」

「ん、いいや。真守君抱っこしてねるから。そうするとなんでか悪夢も見ないし、眠れるんだよね・・・あ、タナトスにはもう寝るのを邪魔するなと真守君が脅してくれたから大丈夫」

「・・・・逞しくなりましたね、あの子も」

「俺の努力の成果だよ。・・・ぶっちゃけ、真守君結構運動神経いいからいつ俺の本気を抜きにかかってくるか怖くて怖くて」

「さぁ、未成年vsアラフォーですからねぇ、時間の問題でしょうよ」

「わあ酷い!」

 

 

 ココアを飲んで、もう少ししゃべって。やがてレオンハルトが起きてきてご飯の準備が始まって、朝が動き出すのだろう。そうしたら、ごはんが終わったらこいつに教わった森の中のベスト昼寝ポイントに真守君と二人で行こう。今日は外気温も高いし、きっとよく眠れるに違いない。

 

「いいねぇ、人生最高」

「てことはこれからは転落の一途ですね」

「そういうのやめてよ」

 

 

 

Fin.

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