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​湯浅と樋口の話

​題名そのまま。密会の話。『並走』本編の湯浅のお相手・笹沼は全くこんなこと知りません。でも書いてみたかった。R-18です。

「・・・っ、・・・・」

「ぁ、樋口、せんせ、・・っあ、も、だめ・・・・ッ」

 濡れた音。微かな衣擦れ。絡み合う、白衣。化学準備室―――この学校唯一の化学教師・樋口七海教諭と、俺は今、身体を重ねていた。

 机上に押し倒され、足を開き。処女を奪われたのは高校1年の夏前だったから、この関係もそろそろ3年目を迎えようとしている。・・つまりそのころにはもう俺もとっくに授業に出る気などなくしていた、とそういうことだが・・・それはまぁ、仕方がない。放課後に、誰にも秘密の課外授業――なんだか安いAVのタイトルみたいですね、と笑う樋口教諭に、あんたもそんなこと知ってんだね、と悲鳴を上げつつ応えたのも、今となってはもう戻れない、遥か昔の事だ。

 笹沼のように俺は、中等部からの内部進学組ではなく、高校からこの水浦第一学院に入学したいわゆる「外部生」だ。通っていた中学は普通に家の近所の公立。・・・あの時も、毎日がつまらなくて。やがてほとんど学校には行かなくなって、やりたいことだけを勉強していたら、気が付いたらここの学校にいた。受験勉強も、さして行った記憶はない。父親は割と厳格な方だと思っていたのだが俺の不登校については別に何も言わず、むしろリビングで有機化学に没頭し始めていた中学1年の俺を、歓迎しているようなそぶりさえあった。化学。数学。物理。父の跡を歩む準備は、そのころにはできていたのかもしれない。そういえば、論文をそのうち書くようになることを見据えて学校からの提出物だけはきちんと出すように、と父からは言われていたんだったか。あれは癖付けの問題らしいので、提出物とテストだけは、毎度学校の別室で一人こなしていた気がする。

 線と、簡単なアルファベットと数字だけで作られる世界。だがそれは、人間たちのアホみたいな関わり合いなんかよりもよほど奥深くて、面白かった。だから人付き合いについては経験値もなかったし、そもそも普通に興味も持てなくて―――それはきっとこの先どこまで行っても同じなんだろう、どうせ自分と同じ次元で話ができる者など、父以外にいやしないんだから。しかしながら、そう、諦めて入学したこの学校で、結果として分野は違えど、自分と同じように明らかに同年代を超えた恐ろしいほどの才を持つ怪物たちと、俺は友情を築くことになった。2年生くらいの時に自分たちが「変人四天王」などとあだ名をつけられていることを知ったが―――元からして四天王の皆が皆色んな意味でぶっ飛んでいたので、誰もそんなことは気にしなかった。却って結束とでも言おうか、そういうものが強くなった気がして、互い入学の頃よりもさらに実力を伸ばせたと、思う。中学以前では得られなかったかけがえのない友人たちに囲まれて―――だが、俺の場合そこで人間関係は終息しなかった。入学式での新入生代表挨拶を終え、そっと会場を抜け出したあの昼下がり。どこか底の知れない柔和な笑みで声をかけてきたのが、この樋口七海教諭だったのだ。

 

 そもそも普通科6組、理数科、芸術科、と一学年に計8つのクラスを有する割に、学校全体で化学教諭がこの目の前の男ともう一人だけ、というのがおかしな話だったのだが、それを覆すほど奇妙なことに、その激務を樋口教諭は、同時に理数科担任としての業務も込みで何食わぬ顔でこなしていた。後々になって実は授業のヘルプに時々物理科の夏目教諭が入っている、ということを知ったのだが、それにしても化学科全体で2.5人、と言ったところである。予想通り、小一時間ほど話して、俺は目の前の人間は自分と同類なのだと、悟った。初めて父親以外で、自分が追いつけないほどの膨大な知識を持っている化け物と巡り会えたと、そう思った。

 近い言葉で表すなら、憧れ。そんな感情を、当初は抱いていたと思う。まぁ、今となってはもう、そういう次元からはとうに離れてしまっているのだが。あえて言葉にするならば、侵蝕、とかそんなところだろうか。

「何を、考えてるんです?集中してくれないと、意地悪しちゃいますよ」

「っあ、あ、バカ、やめっ・・!」

 唐突にぐい、と奥までねじ込まれる。思考の海から引きずり上げられ、生々しいほどの現実が全身を震わせた。西洋人形のように普段は真っ白な肌が今は薄っすら赤く上気している当たり、一応この人も興奮はしてるんだな、となんだか不思議な気分になるが、ほどかれた長い髪が頭上からカーテンのように覆いかぶさるその様子、まるで二人きりの世界にいるような―――いや、部屋の中は当然二人きりなのだが――、そんな無駄にロマンチックというかエキゾチックというか、そんな感じがした。

 こんなことを生徒にしておきながら、樋口教諭はあの夏目教諭と幼馴染であり、なおかつ同棲までしている恋人同士なのだという。しかも夏目教諭の方は『これ』を知った上で樋口教諭を放置しているんだというから、驚きだ。いや、逆にもう、それくらいの度量が無いとこんな奇人とは付き合っていけないのかもしれないが―――

「本格的にお仕置きが必要なようですね、考え事は後になさいと散々言ったのに。言うことを聞かなかったのは貴方ですよ、董生君」

「えっ?や、ちがっ・・・!」

「二度も同じことを言われないと理解できないほど、貴方は馬鹿ではない筈ですから。少しくらい痛い目見せないと駄目ですね、なまじ天才なもんだから大人を舐めているんだ」

「ちが、・・・っう、あ、嫌ぁッ!」

 冷たい声音に我に返らされた時にはもう既に遅かった。ずるっと引き抜かれたかと思ったら、仰向けだったのを机の上から引きずり下ろされ、反転、そのまま今度はうつ伏せに机にねじ伏せられ、また間髪入れずに挿入される。

「あっ、ひぐ、ち、せんせ、っ、!やだ、ぁっ、くるし、い、っ」

「ん、・・っ、でも、ここまでしないと、考えるの止めないでしょう。集中しろと言っているのに、全くもう。担任の言うことくらいは聞きなさい、他は、ともかくとして・・ッ」

「ぁ、そん、な・・・ッ、あ、あ、だめ、待って、先生っ、も・・、だめ・・・!」

 腰の使い方が、上手い。あっという間に追い詰められ、懇願虚しく俺はあっけなく精を吐き出す。そして、それとほぼ同時に樋口教諭も、多分今日3回目、俺の中に出した。

「っは、なか・・だめ、って、言ったのに」

「・・・、貴方も注意を聞かなかったのだから、おあいこです。・・・もう一回、できますよね?」

 腹の中に、またどろっとしたものが。ようやく終わった、と解放感に心から安堵するのも束の間、なんでもない事のようにすいっと嘯かれた言葉に、背筋が粟立った。

「嫌だ!」

「そんな、まだ若いんでしょう?18なんて一番性欲も有り余ってる時期でしょうし」

「無理、絶対無理!やだって、死んじゃう・・・!!」

「あら、随分可愛いことを言うんですねェ。死んじゃう、かぁ。だったら次は騎乗位に挑戦してみます?文字通りの腹上死、なんて随分と粋じゃないですか」

「アホ、言うな、あんたが、絶倫過ぎるから、俺、毎度こんなで」

「ええ、ぐだぐだになって文句の語彙力が低下するくらいに疲れ切っちゃうんですよね、董生君。となるとお次は・・・・」

 うふ、と欲を隠そうともしない笑みで、担任は言う。

 

「血を吐くまで、啼いて貰いましょうかねェ」

 

「――――ッ!!!」

 ぞくっと悪寒がした。だって、だって。俺は、この人の気性をよく知っている。自分と似ているから。一度興味を持つと、どこまでもやりきらないと気が済まない性格だというのを、知っているから。

 倫理観念さえ邪険にするこの人なら、本気でやりかねない。

 身震いした。

「・・・なんてね、冗談ですよ。貴方みたいな子、早々にそんなやって壊してしまったらもったいないじゃありませんか。お父様の跡、継がないとなんでしょう?となると、貴方が授業にきちんと出てくれれば万事解決、なんですがねぇ・・・」

「それは、あんたがこんなことしなければ」

「最初に授業サボりだしたのは貴方の方ですよ?それとも、快楽に溺れるがあまり授業をサボってまで私の目を惹こうと・・・」

「んな訳、あるか、クソ変態教師ッ」

 さらりと瞳の薄暗い炎を吹き消して高校の教員の顔に戻った担任は、肩をすくめてそれは失敬、と唇を寄せてきた。珍しい、滅多にキスなんてしてこないのに。うつ伏せの上から来たので振り返るように顔を向ける。まだつながったままなので体勢としては苦しいが―――それでも俺は、この訳の分からない情事の後に時々与えられる気まぐれなキスが、嫌いではない。何でかと言われれば分からないが、何というか、ほっとするのだ。確定した終わりの合図だからかもしれない。そのあとさらに仕掛けてくるような酷なことまでは流石にするような人間じゃないから。

 ぷは、と唇が離れたかと思えば、そっと頭をなでられた。解放された今となっては振り向くのすら億劫で、ずるり、と引き抜かれ、俺はそのまま床に頽れる。一度制服を着なおして、トイレ行って後始末してこないと。かつてつまらないからと学校生活を放棄していた中学生時代の自分が今の自分を見たら、多分高確率でにやり、とするんだろう。随分、面白いものを手に入れたようじゃないか、と。まぁ、確かに、あの頃よりは。ちょっと表現がおかしいかもしれないが、確かに自分は生きていると、そう思えるような気がしていた。

 

「董生君、後始末手伝いますよ」

「結構です。そう言ってそのままもう1回、する気でしょ」

「まさか。この身に誓ってそんなこと―――」

「前科3犯。信用できると思ってんのか」

「あらー、覚えられてた。意識飛ばしそうだったからイケるかなーって思ってたんですけど、案外駄目なもんですね」

「そのあと家まで送るっつって来たあんたのこと、どう両親に言い訳するか散々悩まされたから、ね。足腰立たなくなるまで出しては綺麗にして、を繰り返しやがってこの外道が」

「あ、それで苦肉の策が『貧血で倒れた』だったんですね、アレ。まぁ、頭を使わせてしまったなら申し訳ありませんけど・・・なんだ、結構無理やりされるの嫌いじゃないくせに」

「・・・・うっさいですよ」

 

 ココアでも淹れておきますから早く済ましてらっしゃい、と俺を送り出す男には、歴とした恋人がいる。寝食を共にし、双方の家族にも公になっていて、――恐らく今後ずっと寄り添っていくであろう、恋人が。そのつまみ扱いなのかしれないが、やっぱり樋口教諭が何を考えているのか、この奇妙に穏やかな笑顔からは何も読み取れないでいた。

 気を抜けばへたり込んでしまいそうなだるさが下半身を覆う。まぁ、あんたの事なんて知ったこっちゃないですけどね、と一言いい捨て、明日の今頃にはあの呆れ顔が印象的な後輩が来るであろう化学実験室を背に、俺は事後の後始末に向かった。

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