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​あなたのせいで

事後のクラウスの独白。貴方のせいで、随分私変わってしまいました。

けれど、貴方のおかげで。いろいろなものを、変えることもできたのです。

​ヴィルヘルムさんのお姿お借りしています。

「貴方のせいで、私は狂ってしまった」

 

隣で静かに寝息を立てて眠る彼を見つめ、私は一人言葉を吐き出す。宵闇の熱が冷めた曙、私も彼もまだ裸のままだ。

  互いに、よく考えれば当初など相当に滑稽だったに違いない。中々に疎い情報屋と、汚れきった傀儡の道化。煽り、卑下し、散々に暴言にも近いような台詞を幾度も投げ掛けた。思慕の情など所詮はまやかし。舞台の上でなら幾らでも演じてやろう。だが、その度に彼は冷静な瞳で私を諫めたのだった。まるで赤子に自ら食物を噛み砕いて与えるように。
  その都度、私の心は切り裂かれた。必死で狂気に縋り、道化になりきり、・・・だがそれも無意味で、結局は厚く作った絶壁を切り崩されて。彼がいない最中に現れたあのクズ人格―――5番目のアレにも散々に嗤われた。何が一体貴方をそこまで変えてしまったのでしょうねェ。そんな可愛らしい感情、まだ持ち合わせていただなんて知りませんでしたよ、と。

 私だって嫌だった。怖かった。丸で自分が自分でなくなっていくような、そんな気がして。私自身、いくら生粋の多重人格者であるとはいえ、あまりにも幼い頃からの付き合いになるものだからそこまで離人症状というものに悩まされた覚えがないのだ。だから、普通の人と同じように、私自身この得体の知れ無い感情の動き――思考を無視して突っ走って暴走するような動きに、とても戸惑った。

 

「貴方のせいですよ」

 

 訳が分からない、というよりは、恐らく自分で認めたくなかっただけなのだろう。自分はもっと、人形のようであらねばならないのだといつの日からかずっと自分に言い聞かせ続けてきたから。他の人格に押し付けているから自分には関係ない、だなんて勝手にそう結論付けて。嫌なところは全部見ないふり。・・それは彼への恋心を自覚しても尚、同じだった。

 

「結局のところ、私は逃げ続けただけだった」

 

 やがて私も、貴方の事が好きだ、などとまるで戯曲のセリフのように想いを告げる言葉を散らすようになったが、その度に私は、語尾に逃げ道を作り続けた。でも、それはあくまでも“私”の話であって、他がどうだなんていうのは分かりませんよ?・・・まさしく道化だ。道化?いや・・・ジョーカー、ではなく愚者=ピエロ。演じられた阿呆ではなくて真正の阿呆・・・そうなった私になど、もう世界は生きている価値など認めはしない。その時点で、何回か死ぬことを考えた。

 『ローレンツ侯爵家嫡男のクラウス・ローレンツ』を演じ、『妾腹の薄汚いクラウス』を演じ、『喧嘩ばかりな不良生徒のローレンツ』を演じ、『Null』『Eins』『Zwei』『Drei』を作り上げ―――そう、私は昔から根っからの演者だったのだ。それを崩される未知の感覚と恐ろしさ。結局生き永らえ、だが私の可愛い分身達――尤も私自身その分身の一つでしかないのだが―――は、今でも隣で眠るこの美しい青年を前に、恐怖に顔を引きつらせている。

 私は彼をどうしたいんだろう。そっと彼の綺麗な鎖骨に首に指を滑らせながら、私は禅問答を繰り広げる。抱き締めたい?抱き締められたい?ああ、今、奥の奥まで出されたものが私の中をどろっと伝い落ちた。あん、と廃れた遊里の女のように一人私は小さく鳴く。絞殺したい?絞殺されたい?それもいい。絞殺は、私の経験上、一番人を殺していることを実感できる方法だから。きっと彼の死に際は、真夏の熱帯よりも鮮やかに私の脳裏に焼き付くだろう。そしてそれは恐らく逆とて同じ。彼自身の手で私の命を絶たせたら?きっと一生彼は私を忘れられなくなる。どんなに時が経とうと――私達のようにそれが生活の一部になってしまえば話は別だが――人を殺した記憶というのはそう簡単には風化しないから。愛情や怨恨などよりも遥かに強い現実が彼を襲うというのなら。私は彼に喜んで―――・・・ほらやっぱり。絶対におかしい。

 

「・・・全くもう」

 

 ああやめたやめた、と私は頭を振る。何で恋人とのベッドの後でこんなことを考えているのだろう。とりあえずシャワーを浴びなければ、と静かにベッドから降りると、彼が、私が先程までいた場所に、何かを探すように手を彷徨わせた。

 いいじゃないか。これが、愛しいという事なんだから。わざわざ死ななくたって愛の証明などいくらでもできる訳だし、この国でも屈指の舞台俳優と言われる私の手に掛れば、きっとラヴィアンローズを彼に見せてやることだって容易いだろう。その筋から聞いた話だと、彼も、また彼の兄弟も、決して幸せとは言えない前半生を送ってきたようだから。幸せとは何か、なんて私自身も知るはずもないが、不格好でも、どこか可笑しくても、それに似たものを彼に少しでも見せてやれれば、私はそれで満足だ。

 安い人間になったな、だなんてそんなことを思うつもりはない。市井に降りるのもまた一興。常に常に狂人の振りをし続けて仕舞の最後に結局狂うのは、正直ナンセンスで飽き飽きしていたところなのだ。

 

「直ぐに戻りますから。少しだけ、待っていて。」

 

 すい、と彼の手の甲を指先で撫でて、私は室内のユニットバスへと向かう。朝まで、いや朝なんて言わず昼まで眠っているのもいいかもしれない。心配させないよう居住人たちに一言声をかけておこうか、などと考えつつ、私はシャワールームの戸に手を掛けた。

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