テキーラ!
白うさぎと帽子屋がテキーラの飲み比べする話。基本阿呆です。
友情出演でちょっとチェシャ。情報屋と同じくバーも絶対中立地帯なので、喧嘩は店主がSIGぶっ放して止めます。
たん、とカウンターに置かれた二つのショットグラスのなかには、うっすら琥珀に色づいた液体が入っていた。ボトル代は負けた方が払うルール、このアンダーランドで一二を争う有名人である狂人たちの争いに、いつの間にか野次馬やらオーディエンスやらで自分達の回りには酔っ払いがごった返していた。
普段ならこんな勝負絶対に乗らないのに。いつもの仕事終わり、いつも通りの酒場での下らない罵り合いだったはずだったのだが、何故か今日に限って久々に大事になってしまったのだ。襟を掴んでど突き合い、互いにジンの空瓶を壁で叩き割って首筋に突きつけあったところで、オーナーの三月ウサギに笑顔でP228の可憐なお口を眉間にこっつんこされた。
『ハァイ、俺んところのバーで殺しは御法度だって言ってるでしょー。やるならこっち、ね?』
首根っこを捕まれカウンターに座らされ、目の前に滑らされたのは二つのショットグラス。そしてたん、と間に置かれたのはドン・フリオ1942の新品まるっと一本だ。華奢な美しいガラス容器、味も逸品だが値段も度数もそんなに笑い飛ばせるものではない。ついでに言えば、三月ウサギがニヤつきながら差し出してきたショットグラスはいつもの大量生産品ではなく、バカラのアビスシリーズの、よりによってペアグラスだった。もうここまで、しかも二人掛りで馬鹿にされたのだ、男なら乗るしかないだろう。
ペアが嫌なら上下は潰し合いで決めな、と、そういうことだ。あのふしだらウサギらしい、見え透いた下卑た挑発に、既に酒が回って理性の枷が緩んでいた私、いや俺は、喧嘩相手の顎に指先を滑らせてわざわざ勝負を挑んでしまった。冷静に考えれば馬鹿そのものだが、仕方がない。相手も相手でそれに乗るように喉元を黒の絹手袋の指先でついっと撫でてきたものだから、もう後戻りなど出来なかったのだ。ということで、最後に勝った方が自分のグラスを相手のものに重ねる、なんていう変なルールまで追加された上で、この変な酔い潰し合いは始まった。時間は午後十一時、週末というのもあってか店内の熱気は最高潮に達している。
「っぁ、も、このイカレ野郎、さっさと降参しろっての」
自分でも呂律が回っているのかいないのか微妙なところだが、少なくともまっすぐ座っていられない様子である奴よりはマシであろう。うなじで結わえている髪が邪魔で、一度ほどいて上の方で結い直していると、向こうも暑くなったのか、胸元のリボンタイをほどいて、ショートというには長い、肩までほどの黒髪を雑にまとめ始めた。
確かに、蒸留酒の中ではさほど度数が高い訳ではない酒だが、とはいえ38%である。ざっと120ユーロの突然の出費は痛いので負けるつもりは無いが、それにしても、隣で3杯目のテキーラを呷った男に「無駄に肌綺麗だな」だとか「睫毛長いなぁ」とかトチ狂いも良いところな事を思ってしまっている辺り、やはり俺も酔っているのだろう。無論、アリスには負けてるけれど。幼女に勝てる訳はない。
「煩いよ、君、随分ペースが遅いじゃないか。ショットグラスだってのにちみちみと・・はん、全く分かってないね!」
同じく3杯目を空にしてグラスを置くと、件の勝負相手・帽子屋はシャツのボタンを一つ開けながらけらけらと笑ってきた。いつも人を小馬鹿にして嘲るような胡乱な笑みしか浮かべないこの男が声をあげて笑うなんて珍しいがそこはお互い様だ。俺だって、いつもは私、だもの。色んな意味でこんな様子、アリスには絶対に見せられない。
「はーい次で4杯目ね、一口5ユーロ、どちらが負けるか賭ける奴はこれで最後にしてよ?多分じきにこいつら限界だろうから」
「おいマーチヘア!君、外ウマなんて失敬な!どうせ君も賭けるんだろう、ディーラーの癖に!」
声を大にしてマスターを非難する帽子屋だが、当の三月ウサギは何食わぬ顔でカウンターの向こうから帽子屋側の賭け金ボックスに紙幣を放り込んだ。そしてこちらを見つめてにこり。負けたら承知しないぞ、という完全な脅しだ。
全く、こっちの状況も知らずに、オーディエンス達は大盛り上がりだ。差し出された4杯目のテキーラを手に今のところのオッズを聞くと、賭け金ボックスの紙幣を数え終わった三月ウサギは、単純な賭け数だけでいうならお前が0.832で若干優勢、と返してくる。あー、まぁ、確かに優勢ではあるが、とはいえそのまでの大差も無い。この一杯でどれくらいクるかな、と少し躊躇いを感じながらも、俺は覚悟を決めてグラスのテキーラを一気に呷った。
口に含んだ瞬間理解した。あぁ、こりゃ飲み方をミスしたな。喉を焼く強烈なアルコールに、思わず噎せて咳き込む。やはりあのペテン師の茶化しなんかに乗るんじゃなかった、毎度どんな火酒でも少しずつしか飲めないのは自分が一番よく分かっていたのに。何とか吹き出さないよう口元を抑えてぐっと飲み下すが、尚更噎せる。それと同時に時間差で揮発した酒が脳に回り、突き飛ばされたかのようなふらつきが一気に襲ってきた。
「・・・、きっつ」
酸欠とアルコールで思わずカウンター席の高めの椅子から落ちそうになるが、荒くれ者たちの野太い歓声と共に複数の腕に支えられて元に戻される。いっそここで頭から落ちて昏倒でもすれば勝負は終わりになっただろうが、流血沙汰になった等といえば狭い街である、すぐにアリスの耳に入って明日朝の機銃掃射のシャワーは決定だろうし、なによりこの帽子屋に負けるなんてこと、プライドが許すはずもなかった。
テーブルに突っ伏しかけながら空のグラスをよたよたと掲げ、水、と呟くとだーめ♥️とテキーラで返ってきた。もうこれで5杯目、新しいボトル開けよっかーなんて棚を漁る三月ウサギの意図は、多分、飲み比べでガンガンボトルを消費させて金を巻き上げようとか、そんなところだ。悪意が純粋すぎて笑えもないっての。力の入らない腕で何とか上体を支えていると、隣でわっと歓声が上がった。むしろあのイカレ帽子屋、一気に流し込まないと強い酒は飲めないのだといつだか言っていたか。飲んでおとなしくグロッキーになっていく俺とは違い、帽子屋はテンションが昂りすぎてパタンと気絶するタイプだから、傍目には余裕には見えるが次で最後だろう。ほら、分かりやすいいつもの。目の焦点が合ってないのに含み笑いを始めたら、それはじきに奴がトぶ合図だ。
「んっふふふふ・・・、ほォらwhite rabbit・・・そろそろフィナーレと行こうじゃないか、ギロチンも鎌も鉈も天国だって地獄だって!用意できてるとさ、ふふ、ははは!」
酒に呑まれたオッドアイがおぞましいほどに濡れ光り、威圧的な雰囲気を湛えて暗く澱む。あぁ、ったく、今夜は負けかも。こんなイカれた意地の張り合い、本物の狂人に勝てる訳ないじゃないか。
グラスが掲げられる。こんなクソ茶番、さっさと終わらせてやろう。
「何に乾杯する気だよ」
「んー、君のその、血のような獰猛な瞳に、乾杯」
「・・・明日になったらその首、叩き折ってやる」
互い、目も合わせず手元も見ずに、からん、とグラスをぶつけ合う。そして、互い体を起こして一気に呷った。
だん。
からん。
かちゃん。
ブラックアウトする意識の中、指先で、とん、とグラスの縁を押した。
多分、上に重なったはずだ。
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「はーったく、捌けた捌けた、やーっと閉店だ」
荒くれ者やら何やらを店から追い出し、クローズの板を返したころには疾うに午前3時を回っていた。思いのほか今宵は大盛り上がりで、売り上げもいつもの倍。たまに煽ってショーみたいにしても面白いかもしれないな、と、カウンターに突っ伏して潰れている二人を見ながら、三月ウサギは腰エプロンの紐をほどいた。
コンシリエーレの白うさぎと、情報屋のマッドハッター。この街でこの二人の名を知らないというのはつまり、青二才か世間知らずを意味する。それくらい有名な狂人二人が、やはりそれと同じくらいこの街で有名な俺のバーでド突き合いの喧嘩をし、飲み比べをした、ともなればそれはもうとんでもない一大イベントなのだ。
そのせいか、今日はこの通りではよく見かけるアリスの組織の人間だけじゃなく、ハートの女王の組織の構成員もちらほらいた・・というかもう敵味方関係なく今日は大狂乱だったし。くたびれた紙幣を数えて思わず笑う。どう頑張っても賭け事というのは、最終的に胴元が一番儲かる仕組みになっているのだ。
さて。ほくそ笑んでいる場合じゃない。問題はこのブラックアウトコンビをどうするかだ。身長の割に肉のない帽子屋の方は二階から密接した奴の部屋に窓から投げ込めば問題ないが、何気に上背もあるし筋肉もついている白うさぎの方は自分の腕力では運べない。かといってこのままここに寝かせておくのも流石に可哀想だが、かといって娼館のベッドに寝かせたら・・それもちょっと、潔癖な白うさぎにとっては可哀想な結末になりかねない。どうしたもんかな、と思っていると、ふと、入口近くの暗がりの方から、ちりん、と鈴の音が聞こえた。
闇からさぁっと湧き出る様に現れた、ふわふわと揺れる重ねのシルクと、青いかんざしからこぼれる銀の髪。涼やかな音は彼の足元に結わえられた鈴からだった。
「お願い、かなえてあげようか?」
無表情にも見える、“猫なしの笑い”。この街では存在すら奇跡とも、または死神とも言われている男だった。無論、ドアのカギは閉めたはずである。
「あー、チェシャ猫、いつの間に・・というかどうやって入ったの」
なんてことを聞いたところでどうせまともな答えが返ってくるわけではないのだけれど。案の定、ボクの家のドアはどこにでも繋がってるから、とワンダーランドな答えしか戻ってこなかった。とはいえ現状、丁度良く困っているので手伝ってもらえるのならば猫の手だってありがたい。
「んー、俺じゃ無理だからその白うさぎをどうにかして運びたいんだけどね・・」
とはいえこの男、本当に猫のような男で、そもそもそうはいっても願いを聞いてくれるかどうかは分からないし、もっと言えば有無を言わさず奪われる代償の中身に不安しかない。と思ったら、今日はそういうんじゃなくていいや、と鈴を揺らしてチェシャ猫がカウンター近くにやって来た。
「運ぶだけでしょ、別に無茶な願いじゃないから何にも要らないよ」
「あ、そう?そりゃ助かるわ」
「ボク、重いもの持つの得意だし。それに、キミから何を奪っても面白くないし。奪うなら彼らのほうがよっぽど面白いからね」
「・・・・、あの。白うさぎはともかく、帽子屋はさ」
勘弁してよ、と釘を刺そうと思ったら、やはりチェシャ猫は例の“猫無しの笑い”を浮かべて肩をすくめた。
「怒んないでよ、過保護なマーチヘア。帽子屋はボクのお気に入りだから、壊したりしないよ」
「あー、もう・・ホントお前やりづらいからやだ」
「ボクたち同類、って前白うさぎに言われたもんねー。どーぞくけんお、ってやつ」
「ハイハイ分かった分かった。怒んないからさっさとこれどうにかして」
中身のあるような無いような会話がいい加減嫌になってきたので、早々に打ち切って適当にチョコレートを二つ三つ手渡す。それをやったぁ、と無邪気な声で受け取り、明らかに自分のほうが体格が劣っているだろうに、チェシャ猫は潰れた白うさぎを軽々と肩に担ぎ上げて、再び照明の当たらない闇の中にするりと溶けていった。
体重差考えろよ、普通なら腰痛めるどころか持ち上げることすらできないだろうが。全く、とんだワンダーランドである。残された帽子屋の後頭部をつっついて、重ねられたショットグラスを手に取った。とりあえず、白うさぎの件については一安心だ。明日奴があのお嬢ちゃんに怒られることになろうが、そこまでは知ったこっちゃない。
結局、二人して5杯目でノックダウンとなった訳だが、追加ルールの「最後にグラスを上に重ねた方が勝ち」という項目に則って勝者は白うさぎということになった。つまり途中で計算したベット通りの結末になった訳だが、正直あれはもう飲み比べというより意地の張り合いだった。だから帽子屋が負けるであろうことなど最初から三月ウサギは分かっていたのである。
元来、意地だのプライドだのそういった自尊感情の類がどこか吹っ飛んでいる帽子屋がこういった根競べで勝った例はない。だから今日結構あの白うさぎ相手に善戦したのは、単純に本人が楽しくなってしまってテンションが上がっただけなのだろう。対してプライドの権化のような白うさぎ(あれでよく他人に仕えていられるものだ)は、完全に懐中時計の恨みやら何やらから来る対抗心で今日は飲んでいた訳で。・・まぁ、いい気分転換にはなったんじゃないかな。互いにあそこまで感情剥き出しで怒鳴り合ったのも久々だろうし。個人的にはいいもの見れた・・♪という感じである。・・・我ながら、倫理もヘッタクレもない。
ペアのクリスタルグラス。指先で丁寧に洗って、軽く水を切ってから柔らかい布で磨き上げる。曇りが無い事を確認してから、もとの箱にそっと片づけた。
「・・・、俺、鍵閉めたよね?」
そういえば、と入口の扉を見遣る。いや、チェシャ猫ってば出ていくときもドア開けてなかった、よな。
馬鹿らしい。・・・もう考えるの止めて、俺も寝よ。
カウンター奥の照明を落とす。完全に暗くなった店の中を椅子にぶつからないように、潰れた帽子屋を抱きかかえて三月ウサギは店奥へと消えた。
もちろん、ボトル代その他もろもろ合わせた150ユーロは、しっかりと帽子屋の財布から抜いておいたから、どうぞご安心を。