つまらなさそうな男の子
海の学校の生徒=通称ウミガメの子たちは、名前でなく固有の番号で呼ばれます。こどもどうしもみんな番号。けれど、現在の海の学校では、No.47とNo.32は永久欠番になっているんだとか。
今から16年ほど前の話です。
昼休み後、最初の授業。この「街の孤児に教育を施す」という名のもとに作られた構成員養成施設で子供たちは、ハサミの代わりに銃を、粘土の代わりに内臓を手に持たされ、子供のような笑顔を浮かべて、今日もまた無邪気に訓練に励む。
昼食後なので眠気に襲われるのは人間だから仕方がないが、それで誤射されたりしたら困るので、とりあえず子供たちにはカービンを持たせてグラウンド10周走を命じてあった。それだけ走らされれば体に熱が回って眠気も覚めるだろうが、とはいえ当然、走るスピードは人によってまちまちだから辛そうな子もいればとっくに走り終わっている子もいて、スタートアップくらいはゆっくりさせてやろうかな、と、特例任務に駆り出された担当の代わりに臨時で射撃訓練を任された僕は、ちらと腕時計を確認した。
開始から30分くらい。生徒18人のうちまだ走っている子は7人、残りの大部分は地面に転がって息を切らせているが・・・二人だけ、平然と立って暇そうに立ち話している生徒がいる。男の子にしては珍しい長髪を風に吹きさらしたやや身長の高い子と、同じく銀の長髪をきっちり結わえた子。息を乱すこともなく・・特に黒髪を下ろしっぱなしにしている子の方なんてカービンをくるくる振り回しながら喋っていて、アレが例の白うさぎ候補か、とまた一人走っていた子がゴールしたのを見ながら、それとなく二人の様子を窺った。
カービンを振り回す子がNo.47、それを険しい顔で注意するのがNo.36。僕はこの学校出身ではないからよく分からないが、二人ともおよそ20年ぶりの白うさぎ候補だそうで専属教師たちは大いに期待をかけているらしい。が、何でもそろって大層な問題児でもあるようで、この科目の本来の指導担当である僕の上司も、あいつらまたやらかしやがった、などと良く頭を抱えて始末書を書いていた気がする。成績が抜群な割に、その早熟さが災いしてか周囲に慣れ合おうとしないNo.36。そして、7歳という少し遅い年齢で入学して以来、瞬く間に首席の座をかっさらったものの、夜な夜な錯乱状態に陥りとうとう“鍵部屋”に入れられたというNo.47。確かに、この二人の醸し出す雰囲気は明らかに子供のそれではなく、常に周囲とは一線を画している様子が感じられる。そう、幼い日の赤の女王や白の女王と、性格は違えどまるでそっくりなのだ。
残っている子はあと3人。その子たちも、あと1周を切っている。一度集合させてカービンの点検・回収、そして点呼・・今日使うのはサブマシンガンだから一度武器保管庫に連れて行ってから地下射撃場に移動して、その前にまず構え方からかな。そんな授業の段取りを頭の中で練りつつ生徒の名簿を眺めていると。
パァン。
「え・・・・・」
本来、射撃場以外で鳴るはずのない、その音。目の前からだ。
少し甘い、硝煙の匂いが。
薄っすら広がる、煙が。
地面に広がる、血液が。
「あっはははは!・・・あーあァ・・、つまんないの。ねぇ、起きてよって、無理かぁ」
爪先で、広がりゆく血だまりの中の子供を、突いて仕舞に蹴り飛ばした。
長い黒髪の奥で、ニィ、と笑っている。
「訓練中止―――ッ!!全員教室に戻って!!・・・No.47、君は、残って」
流石、死体を見慣れてるだけあって全員、クラスメートの突然の死に悲鳴を上げたりする子はいないけれど。恐怖は伝わってきた。次は自分か、という、狩られる者特有の恐怖。
一人が走り出せば早かった。みるみるうちに子供たちは走って逃げだし、グラウンドの中心に残されたのは、僕と、死体と、殺人の子だけだ。
ゆらゆらと、No.47の髪が風になびいている。唖然としながらも、僕はインカムのスイッチを、入れた。
「エマージェンシー・・こちらスート・スペードのα部隊副長f-347415、・・・海の学校での中等訓練課程、射撃訓練指導中に、No.47がNo.19を突如銃撃・・。弾は眉間を貫通、No.19は推定即死。死体処理班をお願いします」
雑音の向こうが一気にあわただしくなった。No.47!?だとか、またかあの子!とか、そういう・・・。本当は確実に被弾者の息が止まっているか確認してから連絡を入れるべきだったんだろうけど。銃で人を殺す仕事をしていれば、その弾痕と命中位置をみればすぐに分かることだった。暗殺や処刑を専門とするスート・スペードの構成員と比較しても、恐らくたった11歳でしかない彼の射撃精度は確実にトップクラスだ。
でも。今は、そうじゃない。確かに彼の基礎能力には目を見張るものがあるが、彼に最も足りない物。それが、この現状を引き起こした。フリーランスの始末屋にでもなるならともかく、白うさぎ候補・・将来、この組織を率いていく立場になるのなら、訳もなく突然誰かを殺すだなんて、絶対にダメだ。
ふ、とNo.47が顔を上げる。群青と紫の鮮烈なオッドアイが、王者のような威圧感を湛えた笑みで、こちらを見ている。
「ねぇ先生。怒った?」
試すような、品定めするような子供らしからぬ残虐な目。頬の返り血をそっと指先で拭ったNo.47に、僕は殺されるような気持ちがしていた。
***
やがて黄色い防護服の死体処理班が来たので現場はそちらに任せて、僕はNo.47を連れて上からの指示通り普段No.47が寝起きしている例の“鍵部屋”へと向かっていた。
47は、先程のぎらついた様子がまるで嘘だったかのように黙って静かに後ろをついてきている。あとで、至近距離でこの案件E-0142と呼ばれることになった一件を目撃していたNo.36も証言者として呼ばれるらしい。本部から誰が来るのか――そもそもこの学校で生徒同士の殺人が起こるなど、過去にも恐らく前例がないことだ。どの程度の処分が下るかさえ分からない中、当の47は奇妙に穏やかだ。それどころか、たおやかに笑んでいる節すらある。それがあまりに奇怪で、僕は思わず尋ねてしまった。
「殺したのに、理由はあるの?」
「・・・・・、怒らないの?あんた、先生でしょ」
薄暗い廊下で、足を止めて向かい合う。日の差さない部分では彼の両の瞳の色にそこまで差は無いように見えた。まだ11歳の子供の顔だ。
「怒りたい・・ところだけど、君は頭が良い。だから、理由もなく君が人を・・しかも“確実に殺すつもりで”撃つとは思えないから、怒る気はない。」
「・・・・その根拠は、倫理?」
「いや、君の場合は倫理じゃない、多分、利害。」
言うと、No.47は目を見開いた。成程、さっきの笑みは諦めだったのか。どこか力無さげな皮肉な笑いを浮かべ、彼はぽつぽつと喋り出した。
「別に、よくあることだけど・・・物を隠されたりは日常茶飯事。陰口もまぁ・・・でもさっきは、目の事馬鹿にされたから。らしくないって自分でもわかってたけど、・・抑えらんなくって、撃っちゃった」
「その、オッドアイの事?」
「そ。・・・顔は良い自信あるから。並のやつらに、そんな風に言われたくなくて」
肩をすくめる彼は、多分そのセリフで自身のプライドの高さを強調したいんだろう。成程、彼の顔立ちは確かにそこらの子供と比べても―――可愛らしい、という感じではないが――整っている方だとは思ったし、普通に聞いていれば簡単に騙されたと思う。けれど、僕がそうじゃないと確信を得たのは、その彼の知能の高さを人づてで聞いて知っていたからだ。きっと、彼はこの射撃訓練のタイミングを狙って、「問題児の衝動的な行動」のように見せかけて、自分のいじめの首謀者であるNo.19を殺したのだろう。・・本気でいじめが辛かったからという訳じゃない。首謀者を叩けば一気にクラス内の雰囲気を変え、「逆らったらこうなるぞ?」と威圧できると思ったから、とかそんなはずだ。
怒りの衝動や殺意を計算で操るというのは、とうてい普通の人間にできるような芸当ではない。それをいとも容易くやってのけたNo.47を前に、僕は深い追及をすることをやめた。僕が叶う相手ではないと、分かったから。
そんなことをこっちが理解したと、それすら計画の内だったのだろう。No.47は一瞬ニヤっと笑ったあと、言った。
「先生もそのうち話を聞かれに呼ばれるんだろうけどさ、最初は俺だろうから、もうここでいいよ。先生は来ないで・・多分、あの人は先生みたいに優しくないから。」
いまいち意味が掴めない。しかし、その意味を聞き返す前に後ろから響いた冷たい声に、僕は本能的に硬直した。
「f-347415・・・御指導ご苦労様。貴方はまた後でお話を伺いたいから、とりあえず今はNo.47をこちらに渡してくれませんか」
はっと振り向く。そこにいたのは、この組織の暴虐そのものとも称される、赤の女王だ。
まさか。この一件のために、わざわざ“女王”が出向いてきたというのか。などと思う間もなく、暗殺者でも反応が遅れるほど静かに、そして素早く、女王は僕の横をすり抜け、鈍い打撃音がしたと認知したその瞬間には、No.47が宙を舞い、石の床に叩き付けられていた。
「“たかがそんなことの為に”、白うさぎ候補が誰かを殺していいとでも思ってるの?随分幼稚で、短絡的で頭の悪い考えだ」
冷静な口ぶりからは想像もできないほど重い蹴りが、子供の腹部に振り下ろされる。折檻というよりは理不尽な暴力に近いそれを与える赤の女王もまた、かつての白うさぎであり、海の学校の生徒であり、まだ20代前半でしかない早熟な天才だった。その行為が単なる。同族嫌悪なのか、それともあまりに歪み過ぎている子供の心を叩きなおすための愛の鞭なのか・・・所詮は一構成員でしかない僕に、彼らの間の感情など分かる訳も無かった。
呼ぶまでは本部で待機しててね、とNo.47の襟首をつかんで引き摺って行く女王と呼ばれる男を止める権限など僕にはない。しかし、最後に一瞬目が合ったNo.47の凍え死んだようなオッドアイが、しばらく脳裏から離れなかった。