それはただの八つ当たり
「つまらなさそうな男の子」が続いた。赤の女王の苛立ちと、それをからかう公爵夫人。若干同性間の不健全な言い回しがあるけど、エログロナンセンス何でもありなワンダーランド、それがアンダーランドですので。苦手な方は自衛願います。
海の学校を後にした俺は、そのまま組織本部に向かっていた。各スートの“絵札”たちの下で実働部隊を率いる赤・白の女王の仕事には、この学校の管理も含まれる。だから学校で揉め事や不祥事が起これば、解決、もしくは隠滅を図らねばならないのだが、今回の案件E-0142はどうにも隠し立てしようがないほどの、大ごととなってしまった。なんせ目撃人数が多かったのだ。そして、死人が出ている。白の女王にぐちぐちと説教されるのはまだよかった。首領や絵札たちからこそこそと言われることも、将来全員まとめて殺してやろうと思えば耐えられないこともない。俺が一番苛立っているのは、当のNo.47の事だった。どうしても、言うことを聞かないのだ。
収容した当初から、手も付けられないくらいに錯乱したかと思えば、どこで知ったのかもよく分からないような組織幹部たちの不正の数々を「まるで記録を読み上げるかのように」つらつらと述べ上げる。挑発と狂乱、残虐行為と自殺衝動。あの子供が抱く矛盾と歪みは、目を合わせ会話をするたびに俺の記憶を不快に掻き回した。ぐしゃ、とリボンを乱暴に解いて、長く伸ばした髪を強く吹き付ける風に舞い上がらせる。
「荒れておる、のう」
ふと。アーチ状に柱が並ぶ渡り廊下の、陰から湧くように一人の男が現れた。華奢なヒールのブーツ、喪服のような黒い異国の服。トークハットに黒の絹の手袋は、あの公爵家のトレードマークのようなものだという。同じように風に癖のある長髪を攫わせ、公爵夫人と通称される不気味な墓守がにやりと笑っていた、
「おや、“夫人”。相変わらずお美しいことです。大変申し訳ないのですが生憎私は忙しい身ですので・・・これで失礼させていただきますね」
「ほう、成程、此度ばかりは其方も随分余裕がなさそうじゃのう・・・寵児が人を殺したともあらば、仕方あるまいか。ご苦労な事じゃ」
「・・・ジジイの下らない企み事に乗っかってやるほど暇じゃないっつってんじゃん。さっさと闇に失せろ、公爵夫人」
分かってる。分かっているのに、あのNo.47の言い訳ではないが、自分を抑えることができなかった。だから思わず足を止めてしまったのだ。だから決めた、付き合ってやるのは3分まで。俺は公爵夫人に歩み寄り、とん、と腕で柱に囲い込む。
ほう、と少し驚いた顔をしたこの年齢不詳の男は、確かによく見れば女のような顔立ちをしていると言えなくも無かった。代々女性しか生まれなかったという公爵家に久方ぶりに生まれたという男児、とのことだが、・・・ああ、8番街の存在さえなければ、今すぐにでもこの腹の立つ男を閨で這い蹲らせてやるのに。体格差を考えてもこの夫人の泣き顔を想像するのは容易かったが、それを現実にできないのは、やはりこの街の一大非合法組織をもってしてもあの“墓場”の存在を無視することは不可能であると、それが理由だった。
「はん、人でも殺しそうな・・いや、強姦魔のような顔つきじゃな、若き女王よ」
「ええ、是非ともそうしたいのは山々ですがね。墓場の屍人に集団テロを起こされても迷惑なばかりですから」
「はは、良い心掛けじゃ。ついでに八つ当たりで幼子を蹴り飛ばすのもやめた方が良い、あの子にはその手の教育が通用せぬと、其方が一番良う分かっておろう」
視線は相手の方が低いはずなのに、この圧力は年故のものか。どこで見ていたのか知らないが、本来あの海の学校の内部は組織関係者以外は立ち入り禁止のはずだ。だというのに、平気で建物内をうろついているこの公爵夫人は、このクイーンファミリーの協力者的立ち位置にあるものの、あくまでも「アンダーランドの8番街の管理人」でしかないため、関りは深いが所詮は部外者である。つまり、そんな彼の横暴が許されていることすら、あの8番街の存在が理由であるわけで・・・全く以て厄介な家柄だった。いつか、必ずあの掃き溜めごと全て焼き払ってやりたいものだが。
「ご忠告痛み入ります、夫人。けれどあの子は私のもの。私がアレをどうしようと、貴方には関係ない。何もね、関係ないんですよ」
公爵夫人の顎に指を掛け、ぐい、と上向かせる。柱を背に追い詰められているのに全く動じないどころかニヤニヤと笑ってさえいるこの男が実に気に食わなくて、いっそ窒息するまで首を締めながらキスでもしてやろうかと思ったがやめた。それこそ、奴の思惑通りな気がしたのだ。
すっと、離れる。首でも絞められるかと思ったわい、とパッパと裾を払う夫人の泣き顔を想像して、思わず苛立ちに息を吐く。もう、全てがままならない。全部投げ出してしまいたいと、そんなことを思ってしまう程だ。
「ご明察の通り、今結構参っているのでね、それこそ、幼稚な企み半分でクラスメートを銃殺したいたいけな子供の腹を数回は蹴り上げてしまうくらいには。ですのでお手柔らかに頼みますよ、さもないといつ貴方をブチ犯してしまうか、自分でもわかりませんから」
これ以上相手をするのも馬鹿馬鹿しいと、あえて品のない言葉を投げつける。失笑のようなものを受けたが、もう気にもしていられない。そのまま羽織を翻して立ち去ろうとしたら、なんじゃ、残念じゃのう、と背後からとんでもないセリフが聞こえてきた。
「“童”の八つ当たり程度なら、相手をしてやっても良いかと思ったのじゃが。まぁ、良かろ、さっさと戻らぬとあの几帳面な白の女王がお冠じゃろうしなぁ」
「・・・、はぁっ!?」
一瞬意味が理解できなかったが、その何ともない言い方の割に言っている事の意味がとんでもないということに神経が通じた瞬間、俺は頬がかッと熱くなって、狼狽えて振り向いた。が。
振り向いた後ろ、昼下がりの渡り廊下には、既に誰の気配も無かった。まるで、何もかも白昼夢だったかのように、だ。南欧の都市の古い煉瓦造りの屋敷を一部移築して作られたといわれているこの組織の建物は、あまりに静かすぎて、それこそ死神でも出るんじゃないかと思うような事があった。アーチの逆光が明るい中庭から差し、廊下に黒い翳を落とす。
「・・・・下らない」
弄ばれただけだというのは十分承知だ。髪を結わえていた深緑のリボンをぎり、と握りしめ、俺は組織本部へと急いだ。
どこかで、細いヒールが床を打つ独特の音が、響いていた気がした。
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「相変わらず短気じゃのう・・・しかも、成長したら口も悪くなったわ」
ほんの子供だった頃は、まだ可愛げがあったというのに。こちらからしたら単に図体のでかくなった孤児に過ぎないのだけれど、とそっと公爵夫人は再びアーチの影から身を起こした。
別に、わざわざ苛立っている赤の女王を呼び止めるほどの用事がある訳ではなかった。単純に、からかって遊びたくなっただけ。彼の大層なお気に入りだという次の白うさぎが盛大にやらかしたというから、ちょっと様子を見たくなっただけなのだ。
こういうとき、相方である白の女王はいたく揶揄い甲斐が無くて面白くないのだが、あの赤の女王は心が幼い部分があるせいか、気取った顔を揺さぶるととても面白い反応が得られる。芋虫医院の先生にはいい加減にしておけと言われるが、奴だって壊れた子供を拾って育てた訳なんだし、物好きなのは自分もアレも大概だ。
「さて。」
戯れに、やらかしたと噂の子供を見に行くか。死にかけているようであれば、命じて医者を呼ばせるか。どうしてかな、自分はこの組織の関係者などという訳でもないのに、現首領とうっかり腐れ縁であるせいか、はたまた公爵家の宿業のせいか、扇を開いて暗く笑めば大方ここの職員は皆言うことを聞く。きちんと管理できればそんなに8番街だって恐ろしいものでは無いのだが・・まぁ、だからこそ人間の想像力というのは面白い。そんなもの、単なる神経伝達物質が生み出した幻覚でしかないというのに。
結局、散々煽った赤の女王が自分に手を出してこないのも、その想像力の賜物だ。案外現実だけを見ていればもう少し自由に生きられるだろうに、自ら自分を縛る、しかもその縄の存在にすら気が付かない。赤の女王は確かに、幼少のころから天才ではあった。だが、それだけ。結局殻を破れない・・あの殻を破るには、恐らく想像の方がまだマシであったと思えるほどの最悪な惨劇や狂気がもう一段階、必要だろう。尤も、酷く常識的な白の女王がそんなことを許すとは思えないけれど。
あの子供―No.47はその点、最初から現実しか見ていない稀な子だ。もしくは、あの一件で殻を既に破ったか。脆いが、安定すれば恐ろしく愉快になるに違いない。だから、あの赤の女王の八つ当たり如きで壊させたくない、という小さな欲があった。だから少しだけ手を加えて守るのだ。
「ま、あまりやり過ぎるとあの医者がうるさいからのう・・大したことは出来ぬが、せいぜい抗って生きよ、童」
適当な手土産でも持ってくるべきだったか、と公爵夫人は踵を返す。海の学校の正門へと細いヒールを鳴らしながら、墓守は再び昼下がりの影に溶けた。