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Into The Wonder Fairy Tale.
3

 ”「そのうちしっくりこようて。」と青虫は口に水ぎせるをくわえて、またふかし始める。”(不思議の国のアリス「5 青虫の教え」)

 知りたいことは多いけれど、先ずは足元を。

 丘の中腹から少しずつ大きな邸宅が見え始める。広い庭園を持つような屋敷もあった。これはこれで2番街とは全く様子が違うのね、と呟くと、なんせ金持ちの街ですから、と白兎は笑う。全く身も蓋もない解答だが、まぁその通りなのだろう。見下ろすと、南の方向に低く落ちくぼんだ地区があるが、あれは5番街だ。8番街同様、決して近づいてはならないと白兎にきつく言われている地区の一つである。

 丘を下りきって住宅街に入っていくと、その様子はアンダーランドなどと呼ばれている街の一部とは到底思えないような光景が広がっていた。うねった石畳の路地に、塀に囲まれた池付きの庭の家。薔薇の垣根、茨のアーチ。古い建物の多い2番街とも少し雰囲気の違う、ある意味本来"どこにでもありそうな高級住宅地"が普通に広がっている3番街に、私は改めて面食らっていた。

「綺麗なお屋敷・・・これ、うちの組織の建物の方が古いんじゃないかしら。でも地盤の都合で建て替える訳に行かないって言っていたわよね・・・」

「あー、というか、正直あまりこの土地は掘り返したくないんですよ、特に2番街は古い地区ですし」

「?どういうこと?」

 手を握る白兎を見上げると、白兎は肩をすくめた。

「ええ・・・まぁ、何が埋まっているか分かりませんから。何が、というか、何人分が、というか・・・」

「・・・・、ああ、成程。ぼかせているようで全くぼかせていないわね、ええ」

 アンダーランドの歴史について習った時に聞いた、半世紀ほど前の大規模な紛争の話。あの時代の死体が埋まっている、という事だろう。とはいえ、そんなものが混ざっている地面の上に建っている建物って、それはそれで大丈夫なのかしら。・・とは思ったが、口にはしないでおいた。

「まぁ・・私ですらこの街じゃ小僧扱いですからね・・と。おや、随分珍しい方がいらっしゃいますね。こんなところで何してるんだろう」

 この石畳の下に骨が、だなんてことを考えていたら、私の手を引いていた白兎がふと足を止めた。なだらかな下りカーブの先の庭の門から、出てきたのは白衣の・・女?にしてはやたら身長が高い気がするけれど。白衣の人物は何か軽く会釈をすると、黒い鞄を肩に掛けなおし、こちらに歩いてくる。

「芋虫先生!」

 白兎が片手をあげ、人物に呼び掛ける。芋虫・・随分奇妙な名前だけれど、先生ってことはお医者さんか何かかしら。淡い金髪に優しげな薄緑の瞳。・・・けれど私は、その柔和な表情にどこか違和感を覚えた。華奢なフレームの眼鏡越しの目が、口ほど笑っていないのだ。

 目元より、口元の方が表情を作りやすい。だから、口元と話し方は、信用してはいけない。・・・これもまた白兎に教えられたことだ。とはいえ、その教えてくれた張本人が自在に目も口も操れる男だったものだから、この白衣の人物をそこまで怖いとは思わなかった。白兎の笑顔はこの人なんかよりももっと、いつでも"完璧"過ぎるのだもの。

「あらぁ・・随分かぁいらし子ォ連れて。誘拐でもしはったん?」

 声。ゆったりとして甘い、まるでキャラメルのような男性の声。近くで見ても惑うような、中性的な顔立ちだ。そして、さっき会った教会の神父ドードー鳥と、似たような話し方をする。色素が薄いのも同じだ。

 というより。人に会うたび誘拐したのかと聞かれる白兎って、どうなのかしら。見上げると、白兎は普段よりは余所行きではない苦笑いで、肩をすくめる。

「それ、さっきドードーにも言われたんですよ。どうせ貴方の事です、色んな方面からこの子の事は聞いているんでしょう?分かってて聞くなんて、意地悪しないで下さい」

「あは、堪忍なぁ!ほんでもあんたの・・その例の子ォの溺愛具合はもうここの街やと有名な話やん?」

「そんな、どこから聞いたんです、それ・・。今日初めて外に連れ出したはずなんですけどね」

「そらぁ、あの子やて。ほんまに何でもよぉ知っとるよ、情報屋ゆうだけあって」

「何だって?」

 情報屋。また新しい人?と聞き返そうとする前に、私ははっと口をつぐんだ。あからさまに白兎の顔つきが変わったのだ。不快感を隠そうともしない、獰猛で剣呑な人殺しの顔。

 何故突然。抗争中だってこんな表情見た事ないのに。そして、そんな白兎の豹変ぶりに一瞬きょとんとした芋虫は、あは、とからかうような笑みを浮かべた。

「ハァン・・・、相も変わらず不仲なこと。一周回って仲良しさんやないんかて、思うわぁ。ええのん?大事な大事なお嬢様の前で、そんなけったいな顔しはって」

「ッ、しまった、失礼いたしました、アリス」

 慌てていつも通りの笑顔に戻ろうとする白兎だが、どこか動きがカクついている。やがて取り繕うとすることを諦めたのか、砕けた様子で白兎はため息を吐いた。

「芋虫先生、勘弁してくださいよ。5番街の奴らの話は極力アリスの耳には入れたくないんです。悪影響しかないの、分かるでしょう」

 5番街。酒場に娼館、アングラなこの都市の夜を彩る、不埒な歓楽街。白兎の様子を見て、からからと芋虫は笑った。・・・ああ、確信犯だったのね。恐らく白兎の"別の顔"を私に見せるために、わざと芋虫は白兎の気を立たせるようなことを言ったのだろう。この変態執事が手の平の上で転がされている様子は少し新鮮ではあるが、逆に言えば白兎すら言葉一つで踊らせるこの芋虫という男、えらく底が知れないということだ。

「せやなぁ、あんまし虐めても可哀想やし。・・・せや、お嬢ちゃんとは直接は初めましてやんなぁ。俺は"芋虫"、7番街の教会のふもとでしがない闇医者をやってます。お嬢ちゃんとこの組織からもよう死体やら臓器やら流してもらっとるから、これからもちょいちょい顔合わせる事もあるやろけど、どうぞよろしゅうなぁ」

 たおやかに微笑んだ芋虫が、にしてもほんにかいらしいわぁ、と頭を撫でてくる。・・・避ける間もなく奇妙なほどに静かで気配を感じさせない動きだった。何か白兎と似たような不自然さを感じたというか・・とはいえ、特に白兎が動いたわけでもないから、危ない人物ではないのだろう。そっと向けられた視線は、どちらかというと嫉妬の香りがするものだ。私はそっと白兎の脛を蹴り上げる。

「ええ、よろしく、芋虫先生。組織上層の検診の予定伺いに話し合いがあるって・・確かスケジュール帳にあったわよね、白兎」

「・・・ッ、はい、来月2日に。その前にご挨拶になりましたが、先程のドードー同様芋虫先生もこの街では完全中立の立場ですし、少なくとも教会と違って芋虫医院自体が組織の脅威となることも御座いませんので・・尤もご本人の性格はドードーも先生もどっこいですがね」

「嫌やわぁ、さっきちょいといけず言うたからって根に持って。まだまだ白兎ゆうたって、俺からしたらほんの赤子みたいなもんえ?」

 白兎の拗ねたような一言に、芋虫がまた笑った。声も、表情も、所作も・・。不自然ではないが、ずっと見ているとだんだん性別が分からなくなってくる人だ。そのわりに雑にリボンで括られた髪が、白兎とは対照的。こんな人が執事だったら、私も変な気を張らずに済むのだけれど。

 にしても、と芋虫は黒い大きな鞄を肩に掛けなおした。往診用・・だと思うけれど。まさか、内臓なんて入っていないでしょうね。

「アリス、なぁ。あのじい様の代わりにこないなかいらし子が来ると思わんかったわ」

「何もこんな見た目・・私だって最初からこうだったわけじゃないのよ」

 このこと、話して大丈夫かしら。・・とはいえ、単に見た目が幼子になったというだけの話だ。弱味などになりようもないだろうと踏んで、私は首を傾げた芋虫に言う。

「もう何年か前の話だけれどね、・・信じられないかもしれないけれど、私元々23歳の男だったのよ。それが突然・・こうなっちゃったの。けれど勉強したことはちゃんと覚えている。本当に、見た目だけ」

「見た目だけ、なぁ。何もしてへんのに、身体だけ、しかも女の子になってもうた、ゆうことか。そら随分奇妙やねぇ」

 お医者さんなら何かわかるかしら、と淡い望みを抱いてみたが、彼ののほほんとした表情を見る限り、そんなことは無さそうだった。・・そりゃそうよね、現代の科学を以てしてだって、大の男が突然幼女になる薬だなんて聞いたこと無いもの。ほんでも先代なんて、喜びはったんとちゃう?と聞かれたが、もう本当にその通りなので私は黙って頷くしかなかった。一通り身体検査を行って特に異常なしと出たあの瞬間のおじいさまの喜びよう・・・カポ・レジームたちのもの言いたげな顔を一睨みで黙らせる風格も、目的が"孫娘"の為ともなるといまいち恰好が付いていなかったことを覚えている。

「ふふ、せやけどまぁ・・"三狂人"の一人がついてるんやもん、なぁんも問題あらへんやろ、きっと。それこそまたこの街で大戦争でも起こらん限りはな」

「三狂人?」

「ああもう、芋虫先生!アリスに余計な事を吹き込むなと私言いましたよね!」

 三狂人。・・過労でハイになり、銃を持たせれば満面の笑みで前線に突っ込み、挙句幼女趣味。白兎がそう呼ばれているのだとしたら、他にコレ級の狂人が二人もいる、ってことよね。思わず見上げると、白兎は溜息を吐き尽くした顔で自慢だという銀髪を解いた。否定する気はないらしい。

「・・・まぁ、はい。こんな人ですが、一応すごい人なんです。粗相のない様にとは決して言いませんが、特に"生かさず殺さず"、ね。用が済んだのなら始末も吝かではないですが、そんなことしたら、それこそ大戦争ですので」

「んふ、せやなぁ。俺としちゃあ・・まだ、"平和になった"とは言えんし。まだまだ死ねへんわぁ、少なくとも、今抱えてる"あの子"のことが、片付くまではな」

肩をすくめた白兎に、芋虫が目を細める。平和・・何をもって平和というのかは、私にはまだ分からない。例えば、6番街のハートの女王の組織のように、処刑も辞さない苛烈な秩序が平和だというのだろうか。それに比べて私の組織なんて緩いものだが、秩序が無いなりに、不文律で睨み合う教会や病院のような、混沌とした均衡というのだって、ある意味平和と言う事だと思うし。

 

――平和なんてものは、続かないのが当然なんだ。秩序も冷戦も、一部が崩れたらお仕舞だからね。適度な抜けも必要さ。

 

「・・・統治って、難しいわね」

 何かを思い出すように度々祖父が口にしていた言葉が反芻される。今、こうして外で立ち話ができるような日も、そのうち崩れるのかもしれないと思うと、昼下がりの晴天さえ陰ってしまうような、そんな気がした。さっきドードーの元で感じた事も合わせて、猶更、早く経験を積まねばと焦るような気持ちもあって。

 

「アリス、一つ覚えとき。アンダーランドはワンダーランド、されどワンダーランドはアンダーランド、や。」

 

「え?」

 ふと、芋虫が口にした言葉に、私ははっとした。さっきも白兎が口にしていたし、郊外の屋敷にいたころから何度も刷り込まれてきた言葉だ。白兎もゆうてたやろ、と聞かれたのでこくりとうなずくと、芋虫はそっと屈んで、私の手を取った。

「もう分かっとるとは思うけどな、本当にここは何でもアリのワンダーランドなんや。だからこそ、何かしらの長になるんなら揺らがない軸、みたいなのんが必要になる。知識は色んな人が授けてくれるやろうから、・・・アリスはアリスの軸を作ることを考えたらええよ。それだけは、君にしか作り上げられへんものやし」

「軸・・・、私が、どうしたいかって事?」

「せやよ。組織はまだええけど、俺らみたいな自営業はもっとタイヘンやもの。一応、行政の目ェもある中で、マフィアさんたちとも仲良うせえへんとあっという間に潰されてまうわ。ほんでも、組織同士の均衡が崩れたりなんかしたら、もうこの街は終わるほかないし。知識や経験はまだ要らん、必要なのは多分、覚悟やよ、アリス。」

 ハイどうぞ、と白衣のポケットをまさぐった芋虫が、私の手にそっと何かを乗せた。飾り気のない、綺麗な赤い飴だ。いちご味かと思いきや、聞けばとある薬屋がクランベリーで作ったものなんだという。

「作り主は信用できる男やから、食べてもろて。気張りぃや、アリス。ほんでもそこの白兎が嫌になったら、いつでも俺の所まで遊びにきたらええわ」

 肩に鞄を掛けなおして、芋虫は立ち上がる。白兎の方を見ると、特に飴について何か言いたげな顔はしていないので、きっと食べても大丈夫と言う事なのだろう。しかし、その包み紙の中の赤い綺麗な飴が何か特別なものに思えて、私はそれをそっとポシェットに仕舞った。軸と覚悟、ね。確かにその通りだ、まだ私には、首領として組織を、街を守るための強い気持ちが足りなかったのかもしれない。

「ありがとう、芋虫先生。白兎の性癖に飽き飽きした時には、是非とも相談させて頂くわ。うちのカポ・レジームたちの健康状態も一緒にね。全く、組織上層の半数以上が高血圧で糖尿気味だなんて、笑えないわ」

「あは、一応出張での栄養指導もやっとるさかい、次の健康診断で悪かったお方には是非ご検討どうぞ、ってなぁ。まぁ、気長にやっとったらええわ、自分のことも組織のことも。そないにそちらさんの事情を知っとる訳やないけど、焦って解決する問題でもないやろ」

「そうよね、その通りだわ。どうせ敵わないことに落ち込んでいたって仕方ないものね」

 ドードーも言っていたが、まだこの街にきて半年足らずの私ができることなんて、たかが知れているのだ。今すべきなのは、おじいさまから受け継いだこの組織を、どんな未来に引っ張っていくのか考える事。頭や軸がぶれてちゃ、下だって不安になってしまうものね。

 俺も早う平和になるのを待っとるわ、と、芋虫は笑って白衣を翻して去っていった。空は秋の午後の褪せた青、そろそろ薄暮の気配が近づこうとしている。

 

****

 

「・・・変わらないな、あの人も。」

 先ほど解いた髪を再び結い上げながら、白兎がぼそっと呟いた。この男も一応、アリス・ファミリーに来て10年が経つというから、あの芋虫とも顔なじみのはずではあるけれど。その困ったようなニュアンスの物言いが気になって、私は問い返した。

「何が?確かにあの先生、すごく若いようには見えるけれど。」

「いえ、そうではなく・・・」

 白兎は一瞬、逡巡するように目を伏せた後、諦めたかのようにそっと口を開いた。

「本人が唐突に口に出す前に言ってきますが。比較的まとも、というだけで、あの人もこの街の住人である以上、決してまともではありません。カウンセリングもするような人ですから猶更、話していると、変に影響されてしまうというか。特に、平和になったら、という言い回しをよくしてますが・・・」

「何よ、煮え切らないわね」

「・・・はい、ええ。昔からあの人、"町が平和になったのを見届けたら、自殺するのが夢だ"と、普段から口に出して憚らないんです。あの人こそ、強度の死にたがりなんですよ。それでよく医者なんてやってられるな、と思いますが」

「え・・・・ッ」

 あの、ゆったりとした甘い口調。淡くウェーブした金髪、深緑のリボン。平和になるのを待ってる、って。まさか、あんな優しそうに言っていた言葉が?

 先ほどのやり取りを思い出して少し寒気を覚えた。全然そんな意味があるなんて、思いもよらなかったから。

 開いた口が塞がらない私を見かねたのか、白兎は眉尻を下げて笑った。

「帰りましょうか、アリス。そしてもう少しこの街について、お話ししましょう。何、別に芋虫先生のことだって驚くような話じゃありませんから大丈夫ですよ。平和なんてこの街には似合わない事、彼が一番よく分かっているはずですから」

「ええ、まぁ、そうね・・・」

 差し出された手を取り、私は石畳の坂道をまた歩き出す。思わず後ろを振り返ってしまったが、不思議なことに、背後にはもう誰もいなかった。特に曲がり角も無い道のはずだが・・・と、そこまで考えて、やめた。アンダーランドはワンダーランド、ここはなんでもアリの街。子供の体が爆弾の包み紙替わりにもなるんだもの、人が突然消えようが、医者が死にたがっていようが、戸惑ってはいけないのだ。

 もしかしたら、私が背負う覚悟というのは、思っていたよりも暗く、深いものなのかもしれない。芋虫の柔らかな笑みが過ぎり、私は思わず白兎の手を握りしめた。

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