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Into The Wonder Fairy Tale.
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「そちがものを知らぬだけ、」と御前さま、「世のことわりじゃ。」(不思議の国のアリス「6 ブタとコショウ」)

​皆、隠してる。私の知っている事、それは本当に真実なの?

「いいですかアリス。このヘレネ通りを抜けた先、奈落の川を越えればそこはもう我々の手に及ぶような地区ではありませんからね。決して私の手を離さぬよう・・」

「分かったわよ!屋敷を出て何度目だと思っているの、その話!だから貴方の手だってずっと握ってるでしょう、嫌だけど!」

 初めて外に出ることを許されたあの日から、3か月。秋も深まったこの日、アンダーランドは"再征服の日"という祭日を迎えていた。暦などあってないようなこの非合法の街において唯一、何よりも重んじられるのがこの日なのだが・・私たちはというと、本拠地である2番街の大通りであるヘレネ通りを抜け、長らく話題にすら上げてもらえなかった5番街に向かっている最中である。あの5番街へ?という話はさておき。露店や4番街の演劇座の一団が街中ではしゃぎまわるような"再征服の日"—―――私は、"アリス"となって以来初めての完全なる休暇というものを体験していた。

 

 

『何度かお話をしていますが、今日は“大工とセイウチの紛争”、もしくはアンダーランド紛争と呼ばれるかつての戦争の話の続きと致しましょう。この国の一番上が、アンダーランドをまだ直接支配していた頃。戦争の終結後、協定を結んだ大工たちがどういう経過を辿ったかというところまで、前回はお話ししましたね。』

 “平和になったら自殺することが夢だ”などという奇天烈な闇医者・芋虫に会って以来、白兎は私に、少しずつだがこの街の暗部や昔話、キーになる人物たちや彼らの間の因縁などについて教えてくれるようになった。例えば、ハートの女王の組織と私達の組織は、元は協力関係にあったということ。8番街を管理するという公爵家は、この街の死体の数を把握する都合で芋虫医院や納棺師?とも関わりがある事、等。そして白兎が一番嫌そうな顔をしながらも話してくれたのが、この都市の秩序を全て不埒な夜に飲み込む、5番街の話だ。敵も味方も関係ない、銃や女や男や薬、金さえ払えば買えない物など何もないという下卑た歓楽街。セイウチと大工の紛争後、各組織が中立地帯として川べりに設置したのが始まりなのだという。

 

 セイウチと大工の紛争というのは、このアンダーランドで半世紀ほど前にあった大きな紛争のことだ。この街には今の8番街の奥(昔は9番街などと言ったそうだが、今では誰も住んでいない廃墟が並ぶだけだという)に良質な鉱山があったそうで、その採掘量も莫大なものであったということから、鉱山と、その労働者が住む町全体が国の直轄地とされていた。

 そこで、実際の統治を現地で担っていたのが公爵家、と言う事なのだが、それにしても、当時の国の役人の取り立ての過酷さ、残虐さといったらなかったらしい。手掘りで作業を行っていた鉱夫におんぼろの掘削機を与え、その代金を背負わせる詐欺まがいの手段が横行していたそうなのだが、おかげで国への借金と鉱物の供出の二重苦に苦しむ鉱夫が続出し、首を括る者も後を絶たなかったという。そんな度重なる国の暴虐に耐えかねた当時の住民たちは、とうとう郊外に駐屯していた傭兵部隊と、街の行商部隊に助けを求めた。彼らは協力関係を了承し、そこに町医者と公爵家も加わり、やがて傭兵部隊が役人の滞在する庁舎を襲撃したことで、街と国の全面戦争の幕が切って落とされた。

 結論として、セイウチと呼ばれた国の部隊は、最終的に大工と呼ばれた街側の傭兵、商人、医師、公爵家の同盟部隊に大敗を喫し、街は住人達の自治を中心として、大工たちにより合同で見守られることとなった。鉱山は閉じられ、代わりに機械産業が発達し、8番街にかつて栄えた黒い煉瓦造りの街は、今は廃墟となり誰も住んでいない、という。

 

 教本や歴史書を片手に、辞書のような綺麗な英語を話す白兎はまるでいつものロリコンとは別人だ。本当、顔立ちは綺麗なのにね。ひとたび休憩時間になれば残念そのものになるのだから、・・・いや、良いのよ別に。パートナーを作る作らないは自分次第だもの。そのページを押さえる白手袋の指先さえ、無駄に丁寧な男だ。

『あの紛争前、鉱山の外に駐屯していた傭兵部隊は現在のクイーン・ファミリーに。鉱山の管理を行っていた公爵家は、そのまま続行して“湧いている”喋る花の管理を。芋虫医院も同様ですね、傭兵部隊に協力していた町医者が病院になり、そして―――』

『町で武器商売を行っていた行商部隊が定着して、私達アリス・ファミリーの礎に。』

 だから、女王の組織は武力に強く、アリスの組織は外商に強い。そしてその後、武器の取引だけは独占等により街の均衡を崩しかねないという判断から、権利が全て教会に預けられた、という流れだったはず。先月テストされた範囲だったが、どうだろう。・・にっこりと白兎は笑った。

『流石です、お嬢様。覚えが早くていらっしゃる、素晴らしい』

 御褒美です、と、目の前にことり、とチョコレートが置かれた。まるで餌付けのようだからやめて、と言っているのだが、この勉強時間のご褒美の習慣だけは、どうにもやめる気が無いらしい。最初は手ずから食べさせられていたが、セクハラでコンシリエーレ解任と民事訴訟をちらつかせたら流石にやめてもらえた。何も、裁判官と誼を通じているのは組織の交渉役だけではないのだ。

 そして、このアンダーランド紛争が終結し、セイウチ側が降伏の文章を提出し、戦争裁判に判決が下りたのが“再征服の日”である。しかし、余りに多くの住民が犠牲になったことを悔い、大工たちは二度とアンダーランドに紛争をもたらさないと誓う銘文を刻んだ碑を建てた。その後情勢は変わり、アリス・ファミリーとクイーン・ファミリーは相対するような関係になり、芋虫医院は完全中立に、公爵家は触れてはならない街のタブーと化す訳だが、今でも大工と呼ばれた勢力の末裔たちはこの“再征服の日”だけはいかなる業務も行ってはいけない、という暗黙のルールがある。まぁ、医師である芋虫先生は今でも別ですが、と本を閉じた白兎は、教師の顔をやめていつもの変態執事の顔に戻った。

『ですので、来たる“再征服の日”はアリスも休暇を取って下さいね。下手に仕事なんてしようものなら、チェシャーの猫辺りが攫いに来るかもしれませんから。』

 お付きの者は用意しておきますので、と、私の目の前のノートと万年筆がそっと引き上げられ、代わりに温められたティーカップとソーサー、それにティーポッドが置かれた。そういえば、1か月ほど前に珍しくこの社畜男から休暇届が出ていたっけ・・公休日は私の世話を焼いて、そうでない日は組織の相談役として外部との折衝から内政まで全部こなして。休暇を与えようにも本人が拒否するんだからもう諦めていたが、あの申請はこういう理由だったのね。

 でも待って。お付きの者を寄越す?それってつまり、白兎が私を置いて外出するってこと?

『貴方が私を置き去りなんて珍しいわね。いつも公休日だって私のそばべったりなのに』

 普通に純粋な疑問だったのだが、口に出してから気が付いた。私、もしかしてとんでもないこと今口走った?

 みるみるうちに、白兎の表情がだらしなく緩む。いや、あの。違うのよ。違うんだから、その顔やめなさいよ。

『アリス・・私がおそばについていないと寂しいのですか。そうですか、そうですか・・ようやく、ここまで育て上げた甲斐がありました・・・』

『変に嬉し泣きみたいなの、よしてよ!他意は無いわ、言葉の通り!』

 だらしない顔でにやけるド変態、もう本当に残念。けれど、その変態の口から出たのは思いもよらない言葉だった。

『申し訳ありません、アリス。休暇の日は少し用事がありまして、アリスは連れていけない場所に行かねばならないのです』

 ・・・ええ、5番街に、と。耳を疑った。日々、決して近づくなと蛇蝎の如く彼だって嫌っていた、あの5番街に?

 非合法都市アンダーランドの、最底辺の吹き溜まり。一歩裏路地に入れば、街の不文律すらお構いなしの無法地帯が広がるという、魔物の地区。会議や巡視で大体の地区には立ち入ったが、5番街と8番街だけは未だに立ち入るなと言われている。そんな場所に、休暇の日、昼間から?

 思わず、私は声を上げた。

『私も、行くわ!』

 

 そして、現在、私と白兎はヘレネ通りを下っている。彼の大反対を、無理やり頷かせるには少し骨が折れたが、これで私も5番街に行けるのだと思えば、大したことではなかった。

 

 

 

「本当に、5番街はアリスが想像しているレベルのひどさじゃないんです。手をつなぐだけとは言わず、・・・ああ、もうとにかく!決して私のそばを離れないで下さいね!」

「もういい加減聞き飽きたわよ、それ・・」

 ちらっと視線が首筋に寄越された気がするのは・・いや、気のせいと思っておこう。そんな気がしただけ、まさか首輪なんてね・・。とはいえ、いくら治安の悪い地とはいっても、この街の娯楽はほぼ5番街に集まっているのも事実だ。この“再征服の日”のお祭り騒ぎもやはり5番街が中心になるようで、ヘレネ通りも段々と賑わいを見せてきている。今日だけは惜しいですが絶対にドレスではいけません、といつの間に買ってきたのか新品のキュロットスカートに厚手のニットタイツ、ボアブーツをしれっと着せられた私は、開店準備中らしい露店の間を縫って、石畳を歩く。私の歩幅に合わせているのか、勤務中より若干緩やかな足取りの白兎も、今日はいつもの燕尾服ではなく私服のようだった。デュエボットーニのシャツ、チェスターコートに細身のスラックス。黙っていれば、良い男なのにね。

「そういえば、銃も今日は持ち歩かないのね。まぁ、この日の意味を考えたら銃なんて持っていちゃいけないのかもしれないけど・・それで、大丈夫なの?」

 白兎は堂々とオープンキャリーで拳銃を持ち歩くタイプではないが、それでも何となくいつもステアーを携帯しているものだから、珍しいと思ったのだ。歩き方と音、服の裾の揺れで持っている持っていないは薄っすら区別がつくけれど・・正直、5番街の治安の悪さよりも祭日の人込みの方が余程危ないんじゃないかって。

 発砲があったとしてもまず私が撃たれますが、とよく分からない前置きをして、白兎は答えた。

「この日に発砲をするというのは、つまりこの街での死を意味します。いや、それだけでは多分済まないでしょう。嘘か本当かわかりませんが、“再征服の日”の不始末の処刑は、クイーン・ファミリーの粛正部隊か、公爵家が担当するそうです」

「クイーン・ファミリーの粛正部隊・・って、あの、あれよね。濃紺の、ドレスみたいな制服の・・」

 一度だけ、最初にこの街にやって来た時に見たことがある。クイーン・ファミリーの拠点に挨拶に出向いた際、回廊式の建物の中庭に、ひと際目立つ粛正部隊の長たちが建っていたのだ。クイーンの組織は部門ごとにトランプのスートの記号を与えられていたはずだけれど(あの組織のトップであるハートの女王も、ハートという部門のトップである、と言う事らしい)、粛正部隊は、確か・・。

「スート・スペードといいます。スペードは冬や死、騎士、といった言葉を戴きますが、特にクイーンは死や復讐に結び付けられています。・・・そのスペードのクイーンと比較的友好な関係にあるのが公爵夫人で・・、まぁ、強い武力を持つクイーン・ファミリーが、“再征服の日”の規律の取り仕切りをしているのは尤もですからね。ですので、大丈夫です。この街の住人は、スペードの女王と公爵家の恐ろしさというのは骨の髄に染みて分かっているでしょうから」

 それに、と白兎は立ち止まり、少しチェスターコートの内側をめくって見せた。普通のコートには見られない、内ポケット、というか、ペンホルダー?そこに差さっているのは、何故か、シリンジが2本。

「ナイフは3本持っていますし、シリンジの片方にはアコニチン、もう片方にはフッ酸を入れています。目を狙えば動きを止められますし、首を狙えば殺せますから」

「フッ酸!?アコニチンならまだ分かるけれど、そんなものどこで手に入れたのよ」

「Ah...一応、正規の薬屋から個人経費で買い付けていますので、大丈夫です。まぁ、シリンジで持ち歩くのは感心しないとは言われましたが。」

 If today is the day of reconquest, I can’t walk unarmed…結局、私達は何だかんだ非合法組織の人間ですので。コートの襟を直した白兎はそう言うと、そんな毒物を覆い隠すような笑顔で、私の手を引いた。

「貴方・・・やっぱり、ヤバイわね」

「そんな。ただただ私はいつもアリス第一で考えているというだけですよ」

 再び、私達は歩き出す。アリス第一、アリスが一番・・・耳が腐り落ちるほど聞いたその言葉も、ここまでの行動が伴うともはや狂気だ。下手したら自分だって死にかねない毒薬を、胸に抱いて歩いて外出するだなんてね。

「さて・・・、ヘレネ通りを抜けて奈落の橋を越えれば5番街、ですが・・今日はいつもより増して人通りが多く、流石にチンピラに背後から刺されたら他に被害を出さず始末するのが難しいので、ピックアップを頼んであります。とんでもない男ですが、彼がいればまぁ、5番街でも安全に歩けるので。ただ・・・」

「ただ?」

 言葉を途切れさせた白兎を見上げると、・・・何だかもう、さっきとは打って変わって人殺しのような顔をしていた。今日は良く表情が変わるのね、いつもはまるでサイボーグのように笑っているだけなのに。

「ただ・・・、本当に、クソ男ですので。できればアリスの耳目を全て塞いで一切関わらせたくない、そんな男なんです。どうせ組織とはたいして関わりも無い奴なのでいっそ殺してしまおうかと年間50回は思いますが、そいつを殺したら最後、今日会うつもりの相手がダメになってしまうので。」

 はぁ面倒臭い、と人相悪く呟く白兎は、この街に住む普通の20代男性という感じだ。まぁ、これも休暇だからこその話で、明日になればまた張り付けたような笑みに戻ってしまうのだろうけど。

 とりあえず、今日会う予定なのは、仕立て屋だという。そして、ピックアップに来るのは、クソ男?情報の正確性はどうにも酷いものだが、祭りの雰囲気と初めての5番街ということに、正直私は浮かれていた。

 そう、アンダーランドに安全だの平和だの、そんな言葉が似合うはずないって、思い知らされたってばかりだったのに。

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