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無題

スペードの女王と、公爵夫人のひとこま。

“喋る花”の毒にやられると、皆・・・
​ ところで“喋る花”とは、情報ミームだったり神経伝達を狂わせたり、そういうものです。

 今回出てきた“花目”のほかにもいろいろいるよ。

「旦那様、旦那様!子供が、その奥の路地に!」

「何?死体か?」

「いえ、まだ息が、しかし・・・」

 八番街、霧の街。黒煉瓦と石畳に吐き気がするような匂いが染みついたこの廃墟の町で、奥の路地にいる幼子が生きていることなど、あるはずもなかった。だが、ガスマスクに“喋る花”への血清を打ち込んだ公爵家の私兵の一人が言うには、子供がいるのだという。私は、ウールのクロークの裾を翻し、

呼びかけてきた私兵の元へと向かった。

 確かに、路地の突き当り。人型に近い“喋る花”が這いずったような跡があり、その奥に、襤褸を適当に巻きつけただけのような子供が、倒れていた。まだ5歳か6歳程度、このあたりの生まれならば言葉すら話せないはずだ。

「これ、確かに生きてはいる・・と思いますが、もう・・」

「酷いやられ方じゃの、こりゃあ“目を喰われた”か。最近いやに“花目”の動きが盛んで困るわ」

「“実験の目”の方ではなく、“花目”の方ですか」

「ああ、多分な」

 そっと屈み、幼子を腕に抱き起こす。この地域に住む者らしく酷く汚れてはいるが、淡いプラチナブロンドの髪は随分と美しい。だが。

 子供は、目や口から青黒い血を流して、痙攣を起こしていた。おそらく、数日前の”喋る花”の大量発生の際に襲われたのだろう。今日の調査の時点でも既に17人が死体で見つかっており、被害の大きさは過去随一と言える。

 だが。経験則的に、これならばどうにかなると、私の勘は言っていた。この子は、助かる。

「・・・、シリンジ1本、5mlでいい。寄越してくれ」

「でも、もう、これじゃあ失明は確実でしょうし、今から血清で汚染度合を下げても・・」

「大丈夫、子供は耐久が強い。この髪の色を見ればわかるろう、ここまで毛先も綺麗なプラチナだ、相当強い子じゃよ」

「旦那様がそうおっしゃるのなら・・・」

 私兵が、背後の衛生兵に声をかけて防汚鞄をもって来させた。この鞄自体は、研究の過程で“喋る花”から少しだけ得られた人工の抗体を用いて“喋る花”からの汚染を防ぐ処理をしているが、こうして“喋る花”に汚染された人間に緊急で処置するための血清は、私自身の血液から作り出している。基本的に無駄撃ちしたくない、という私兵の懸念も分かるが、この子は助けられるはずだという勘はどうにも無視できなかった。

 但し、通常の毒物に対する血清とは違い、“喋る花”の影響は抑えられるが、既に害を受けた部位の回復をすることは不可能だ。私兵の言う通り、おそらくこの子の失明は避けられないだろうし、脳に害が回っていれば、下手したら今ここで殺してやった方がマシとも言える人生になってしまうだろう。

 が。この子供は、抱き上げた瞬間から、私のケープの裾を握りしめていた。襲われた際に噴出したであろう血や“喋る花”の汚染物で汚れた手が何度か滑り落ちても、手探りながら懸命に、裾をつかもうとしているのだ。

「楽に・・は、ならぬやもしれぬ。死んだ方が余程楽かもな。じゃが・・其方のように必死に生きようとしておる者を死なせてやれるほど、我は簡単に諦めのつけられる性分ではないのじゃ」

 子供の細い首に、受け取った血清入りのシリンジを添える。静脈を狙って針を刺し、液体を注ぎ込む。どうにか持ち直してくれれば良いが、と、私は衛生兵に担架を持ってくるよう指示した。

 

 

****

 

「・・・などということもあったのう、懐かしい話じゃ」

「よく覚えているものだね、そんなこと。」

「いやはや、自分で助けておいて言うのもなんだが、よくぞここまで回復したものだと感心しておるぞ。正直、あの状態じゃ血清を打っても8割方死ぬと思っていたからな。それに、その後の伸びも良かった」

「この組織の“海の学校”は、めくらだからと手を抜いてくれるような所じゃアないから。おかげさまで、読唇術やら爆発物製造の授業なんざ酷い有様だったさ」

 カタリ、と、スペードの女王はソーサーの中心から寸分違わぬ位置に、静かに紅茶のカップを置いた。本来、不干渉を貫く公爵家の人間が特定の組織の幹部の居室に立ち入るなどあってはならない事だが、招き入れられたのであれば責められる謂れもないだろう。王・女王の共用の居室からさらに奥、女王の書斎の窓からは8番街の森が良く見える。

 

 あの時助けた子供も、もうすっかりと大人になった。しかし、“喋る花”に両眼を喰われた後遺症は強く、今でもまともな景色を見ることはできていないという。所作一つをとっても、まるで見えていないとは思えないほど丁寧な動きをする辺り、余程厳しい訓練を積んだと思われる―――尤も、“失明している”というよりは、“悪夢のような幻覚のせいで、全くと言っていいほど周りの風景を認識できない”という状態だそうだが。例えばカップの紅茶からは、常時指が這い出て動いているように見えるらしい。チェシャも時折似たようなことを言っているが、あの酷い幻覚は“喋る花”固有のものなのだろう。

 その証が、彼の相変わらず綺麗なプラチナブロンドの髪だ。理由は未解明だが、“喋る花”に影響を受けた人間は、髪や肌から色素が抜けやすい。普通、子供のころに淡い髪色だったとしても成長につれて茶色や黒に色が濃くなっていくものだが、“喋る花”の影響は死ぬまで続き、軽減しない。それは、稀にこうして言葉が通じるほどの知能を持った子供が8番街から救出されるたびに観察と研究を行った結果であり、そもそも公爵家の血筋を引いている自分自身が褪せない銀髪を持っていることからも言えることだった。

 

 例の子供は、治療と並行して研究を行った後、すぐに言葉を話し始めたことから、クイーンズ・ファミリーの持つ海の学校へと引き渡すことにした。両目で周囲の風景を正しく見ることができないというのは大きなハンディキャップになるとは思ったが、それでもやっていけると確信できるほどに、その子供は聡明だったのだ。

 簡単な四則計算は教えればすぐに飲み込んだし、そもそも保護当初から多少の言葉を話していた為、試しにフランス語を教えてみたらそれもまた難なく覚えてしまった。海の学校でも、あの伝説の13期生と呼ばれた期の中で3人の白兎候補の次点を保ち続け、今ではスート・スペードの女王の座にまで上り詰めている。彼の才能と努力の結晶は、天才たちにも引けを取らない結果を残した。そのおかげかどうか分からないが、未だに、スペードの女王が盲目であるということは組織内でも知られていない事実である。

 

「にしても、スペードのキングに位は教えてもよかろうに。流石に支障も出ようが」

「別に。海の学校時代から、大方一人でやってきたんだ。困ると言えば・・新しい化粧品を買ったときに色がわからないくらいか?キング自身、私に何の興味もないし、わざわざ教えるまでもない」

「そなたら、思ったより不仲じゃな」

「生まれが違うからね、キングは5番街で拾われたというし、少なくとも喋る花とは無縁だろうよ。まぁ、スート・クラブみたいに殴り合いになる訳でもないから、平和なものさ」

 8番街出身だということすら知らないろうに、とスペードの女王はクッキーを1枚手に取った。そういえば、初めてクッキーを渡した日、これは土の塊か、それとも肝臓を焼いたものか、と尋ねられたっけ。骨と皮しかないほど痩せた男が水銀で酒盛りをし、肉屋には人の脾臓や胸腺が並ぶ。そんな常識の狂った世界に産み落とされながらも、ここまでの振る舞いができるようになったのであれば、それはもう大成長と言ってよいだろう。

「音と気配で分かるというから、心配はしておらぬが。こうして美しく育ったところを見ると、あの時殺す判断をせず良かったと思うな、本当に」

「こんな状態で生きることが素晴らしいとは言えないけれど、まぁ・・・、そうだな、私もそう思う。それに、そこらにいる同胞も、同じように思っているんじゃアないだろうかね。」

「そうだと良いがな。だとしたら、我の血を抜いて血清なぞ作った甲斐もあるわい」

​ あの日、生きたいと願った子供が、今や死を象徴する女王か。全く、時の流れは速いものだ、と、私はカップを置いた。

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