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In the deep white fog.
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”「昔は、」とついに口を開くウミガメフーミ、ふかいため息ついて、「あっしもまっとうなウミガメでした。」”(不思議の国のアリス 「9 ウミガメフーミの物語」)

 

​ 全ては彼らと彼の出会いから始まった。

 自分が、少なくともこの同じ教室にいる子供たちよりは遥かに知能が高いということは、知っていた。まぁ、射撃と体内時計の訓練は得意じゃないけれど、語学や体術なんかじゃ基本的には負けなしだし。噂だと、じきに新たな白うさぎの選抜が始まる、という話だから。多分年上を差し置いて、たかが10歳でしかない自分が候補に選ばれるだろう、なんてことも予想がついている。

 今までの科目平均スコア、95.62。白うさぎに選抜される基準は入学から一度も落とさず平均93点を取り続けることなので、余裕だ。とはいえこの程度に達するスコアを叩きだすウミガメは、およそ10年に一人と言われているから、今年はきっと“豊作”の部類のはずだろう。だって、僕以外にも、もう一人いるんだもの。

「ねぇ、58。さっきの時間の小銃射撃、けっこう外してたでしょ。どうしたの、寝不足?」

「うるさい・・・全く、誰のせいだと思ってるんだ」

「え、僕?昨日の夜は何もしてないよ」

「寝ぼけて散々腹に蹴り入れてきたのお前だろ」

「あー・・、ちょっとそこまでは分かんないなぁ・・」

 全く、と相変わらず難しく済ました顔で着替えを終えたのは敏捷性や職務能力クラストップのNo.58だ。平均スコアは確か95.18、僕と並ぶもう一人の白うさぎ候補、になるであろう生徒である。寮も同室で、何かとペアにされることも多い。

屋外用の訓練服から、いつものセーラー服へ。膝上丈のショートパンツは今年でおしまい。11歳になるともう少し丈の長いズボンになって、14歳にはスラックスに変わる。けれど、その前に白うさぎに選ばれてしまえば、もうセーラー服とすらおさらばだ。待っているのは茶色の燕尾、多分No.58と共にいずれ袖を通すことになるだろう。どれだけ毒物や薬に身を焼かれようが、どれだけ手を血に染めようが。孤児である自分が「たったそれだけのこと」で確かな地位に上り詰められるのなら、安いものだ。

 僕はNo.6、いまはただの海の学校の生徒で、単なるウミガメの一人。けれど、他と違うのは、将来が約束されてること。“代用ウミガメ”なんかになりそうな他の奴らとは、一緒になりたくない。

「次、なんだっけ」

「んーっとね、小火器分解組立。・・前は負けたけど、今日は勝つもんね」

「はん、言ってろ。・・というか今日の課題サブマシンガンだろ、お前苦手って言ってなかったっけ」

「・・・・、4時間目の組織縫合で勝負するもん」

「得意な方に逃げるな、ばぁか」

 二列に並んだ横長の机。一応席は決まっていて、今は一番後ろで58の隣だ。本当は3人掛けだけれど、人数が余って二人だけ。それがちょっとした教師たちからの特別扱いのように思えて、毎度ちょっとした優越感に浸っているのは、内緒。

 

 

 

 チャイムが鳴って、色々道具や銃を入れた箱を抱えた教師が入ってきた。相変わらずゴリラみたいなおっさんだけれど、ああ見えて実技担当の教師の中じゃ一番優しいのだ。何気に一番厳しいのは読唇術・暗号解読の教師なんだよね、間違えると鞭で手のひらを叩かれる。

 いつもと同じように、最初に綺麗な布とガンオイル、洗い矢を配られて、まずテーブルに布を敷くように指示されて、きっとさっきの訓練で使ったサブマシンガンをそのまま配られるのだろう。正直、朝から散々走らされて眠いのだ、待っている間あくびをほわほわとあくびをしていると、何だかちょっといつもと様子が違う。開けっ放しの教室のドア、その向こうに向かって教師が手招きをしていた。補助教師が誰か来るのだろうか。

 とはいえ一向に入ってこない扉の向こうの相手に、教室がそわそわし始める。の割に狙撃部隊長のゴリラは怒る訳でもなく、むしろ小動物のご機嫌伺いをするかのようにそっと廊下を覗き込んでいる有様だ。やがて教師はあきらめたようにドア付近に戻り、何か外と話し始めると、・・・というか、もう説得に近い感じだ。何だろうね、と隣の58に話しかけると、さぁな、補助で来るはずの先生が遅れてるんじゃないのか、と肩をすくめられた。いくら訓練されているとはいえ、教室の生徒はほとんどが10歳前後の所詮は子供だ。静かに待てる訳なんてないんだし、一応解体は初めてだけど構造は勉強済みだし、補助なんて無視してやっちゃえばいいのに。・・・と思ったら、教師が戻ってきた。僕らと同じセーラー服の子供の、手を引いて。

 柔らかそうな淡い金髪に、何の感情も伺えない大きな薄緑の瞳。目を引くのは、その子の服装だ。海の学校には男の子しかいない筈なのに、スカートをはいている。

 それに、目の動きで思考を読むんだっけ、と習ったことを思い出して観察してみるが、一切引き出せるものが、無い。まるでガラスの目玉をはめられた等身大の陶器人形みたいだ。

「・・・・、何、あの子。あんな女の子、いたっけ」

「いや、知らない・・。人形みたいな、何か変な感じがする」

「僕もそう思う」

 58も全く同じ事を考えていたらしい。というか、今まで見たことも無い子が突然小銃分解の授業に参加するなんて考えられないし。・・仮に銃の取扱に慣れてる子が途中から入学したんだとしても、他の授業についていけないはずだ。だって、毒物訓練だの痛覚訓練なんて、そうそう一朝一夕で身につくものじゃないもん。

「ほら、静かに。ちょっと・・ほら、話を聞いてくれ」

 微妙に教師も困惑を隠せない感じで、手を打って注目を集める。その脇に立ちながら、教卓の上に置かれた銃の箱を興味深そうに覗く女の子。手を伸ばそうとして、色々授業の前口上を述べている教師がその手を握って降ろさせた。つまらなさそうな素振りでその子、肩をすくめる。

「でだ、えーっと・・・この子だが・・、まぁ、この授業からちょくちょく教室に来るようになるだろう、仲良くするように。番号はNo.32、・・・一応スカートだが男の子、だ。No.58、No.6、お前たちの隣に座ってもらうから、色々教えてやれ」

 は?と、思わず声が漏れた。え、No.32?58より番号が早いってことは、元から入学してた子じゃん。ていうか、男の子なの?って、え?

 とりあえず、58が隣で返事をしたので、遅れてはい、と返事を返す。教師に促され、ざわめきを一身に集めながらこちらにやって来たNo.32が、こちらを認識すると打って変わってぱぁっと笑った。

「よろしゅうな!クラスメートなんて初めて会うし、緊張してるんよ・・ほんで、君のお名前は?」

 明るい声、可愛らしい仕草。それに、このあたりじゃ馴染みのない言葉遣い。この、突然理由も分からずに教室に現れたスカート姿の男の子に、流石の僕も、困惑していた。

​***

 ようやくざわめきの治まった教室で、教師が説明をしながら銃を配り歩く。セーフティを解除しない事、絶対に引き金には指を掛けない事、銃口は決してのぞき込まない・人に向けない事。そして、指示があるまでは銃を手に取らない事。命令を守ることを反射レベルで叩き込まれているウミガメならば指示されることを守るのは衣食住よりも当然の事であり、そもそも銃の取扱は目をつぶっても間違えないくらいには慣れていた。だから、「教室内の生徒はみな手を膝に置いて教師の方を向いて」・・・・、むい、て?

 

「馬鹿ッ、何やってんだよッ!!!??」

 ・・・え?

 思わずに集まる。だって。右隣のNo.32が。

 何のためらいもなく、引き金に手を掛けたまま銃口を覗き込んでいたのだ。

 彼の手の銃を叩き払って床に落とす。何それ、何で、何でそんなこと。

「っ、ねぇ、馬鹿じゃないの!?持ったら分かるでしょ、弾入ってんだよ!!死にたいの!?」

 びっくりした。凄くびっくりした。だってもう、そんな、自殺行為も甚だしいこと。こっちの心臓がどきどきして、どうしようもない。

 きっと数秒後には、あのゴリラの怒号が落ちるはずだ。もう、こんなのが隣じゃあいつ流れ弾が飛んできても可笑しくないじゃないか。もう、嫌だ!

 え?と、何がだめなの、とでも言いたげな顔で、32は僕の目を覗き込んできた。自分が今何をしていたのか、全く理解していない顔だ。もうだめ、コレ先生に説明しないと。教卓の方を振り返ると教師は、

 組織本部直轄、狙撃部隊長は。

 

「・・・。」

 

 溜息を、ついただけだった。まるで、案の定、なんていうような、表情で。

 何故?なんで、怒らないの?見たでしょ、今の。下手しなくても死ぬかも、なのに。

 教師がやって来る。命令を勝手に破った挙句事故を起こしかねない危険行動を犯した生徒への処分を、恐る恐る教室が見守る。

 

 隣まで来た。教師が手を振り上げる。

 

 殴られる。頭が割れたんじゃないかってくらい、痛い、アレ。

 

 が。

 

「・・・、部屋に戻されたくなかったら、危ない事はするなと言っているだろう。これじゃあいつまでたっても外に出してやれんぞ、お前だって嫌だろう」

 

 ぽん、と、教師は32の頭を撫でて終わった。ついでに、床に落ちたサブマシンガンを拾い上げ、返す。

 受け取りながら、32は、はぁい、と気の抜けた返事をした。しかも、せやって、実弾入りなんて久々やし、と拗ねてる始末で。

 ・・・え?

 思わず己の目と耳を疑った。

 なんで?なんで、怒ら、ない?

 肩を落として授業に戻る教師が。いつもなら、肋骨をへし折る勢いで蹴られたりするのに。気を取り直して、と説明を始める教師に、僕も、58も、クラス中が困惑した。たとえ僕らみたいに成績が良かったとしたって、安全に関わる事に関しては破れば怒鳴り付けられるのが当たり前だから。

 成績?

 ・・・僕らを遥かに越えるくらいの、・・たとえば、今のハートの女王の隠し子、とか?教師も叱れないくらい、親がヤバイか成績がいいか・・でもここは孤児しかいない学校のはずだし。

「ねぇ32!君、平均スコアいく、つ・・・・ッ!?」

「ん、なぁに?」

 目を見張った。嘘。基本的な銃の扱いも知らなさそうな、こんなどこのだれかもわからない子が?

 

「平均スコアってなんやろか、前に先生に何やそんなん言われたなぁ・・・あぁ、思い出した。95.00やて、そう、ぴったりさん!」

 

 95.00?

 そうにこっと笑って答えた32は、手元も見ずにサブマシンガンの最後のパーツを外し終えていた。

 

 

 

 

「95.00って、あり得ないだろ。だって、じゃあ今までどこで授業、受けてたんだよ」

 この海の学校の成績の算出方法は、今までに受けた科目数で、今までの全ての科目の点数を足したもの割る、という単純な平均だ。だから受けていない科目がある時点でそれは0点と見なされるため、著しく平均は下がる。平均95点ということはつまり。58が今聞いた通り、32は今まで「授業をすべて受けていた」ということになる。でも、ずっと教室にいないのに何で?あり得ないはずだ。

 しかし、操り人形の糸を切るかのようにいとも簡単にマシンガンをバラした32は、意外なことを口にする。

「んー、お部屋に先生が来てな、そんで授業?してたんよ。せやから教室に来るんは初めてでなぁ、まだちょっと、どきどきしとる」

 スカートから伸びる足をぱたぱたさせながら、恥ずかしそうに32は笑う。可愛い・・・じゃなくて。理屈は分かったが、今度は何故そんなことが許されてるのか、というのが問題だ。

 さっきの教師の、また部屋に戻されたくなかったら、という言葉も引っ掛かる。つまりは教師たちが32が部屋から出ることを許さなかった、ということか?

「何で、教室来ないの?ってか教室来なくても許されるわけ?」

「知らんよぉ、先生が約束破るから!先生が悪いんよ、ウチ悪ぅないもん」

「約束?」

 年の割には少し幼い声で、32はぷりぷり怒っている。怒りながらもまた解体したマシンガンをものすごい早さで組み立てていっているから、なおさら奇怪だ。

 約束ってなんだよ、と58が重ねて聞く。んー、と32は可愛らしく口を尖らせて、またしてもとんでもないことを口にした。

 

「せやって・・ここに来るんをさそわれた時、先生言ったもん。すぐ死なせてくれる、って」

 

 ・・え。

 ・・・・え?

 

「せやけど全然せやないし、ほんで刃物は取り上げられるわ、授業ついでに死ねそうなお薬作ったら怒られるしで全然話と違うんよ!さっきも君に銃、取られちゃったし」

 

 は?

 何、つまり、殺してくれるって話だから来たのに、自殺しようとしたら怒られる、って?

 文句言ってんの?この子。

 思わず、58と顔を見合わせる。ねぇ、何なのこの子。

 

 退屈を嘆くかのように、はぁ、はよ死にたい、と頬杖をついている少女のような少年は、今までこの海の学校で僕が見てきたどの孤児よりも歪んでいて、それでいて純粋な子だった。

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