アルレッキーノ、
または高貴なるイヴァン
2です。
とある時代の即興喜劇の劇団のお話。
家族関係っていつの時代も大変。
「・・・いや、今日はうまくいった、と思う。・・・・・・・はいはいはいはい、ごめんねクリスティーナ!」
着替える前、楽屋に戻ってからの上級キャストの反省会。公演の後の定例行事だが、まず口を開いたアルレッキーノ改めイヴァンが叫んだ。それに対しクリスティーナは、馬鹿、と乱雑に外した髪飾りをイヴァンに投げつける。その剣幕に、思わずライモンドは肩をすくめた。
事の発端は、本日の舞台でのとある事故だ。公演中ではよくあることなのだが、舞台の左右の袖から出てきたイヴァンとクリスティーナが見事に衝突してしまったのだ。互い、自分が出てきた方の舞台端を見ており気が付いておらず、しかも運の悪かったことに―――舞台がそこまで高くなかったから怪我はなかったものの、そのままクリスティーナがステージから落下してしまったのである。
というか、落下したと言うよりは、クリスティーナが落ちる前にイヴァンが舞台から飛び降り、観客の目の前でクリスティーナを抱き留めた、というのが正解だ。しかも、その状況を利用してイヴァンは更に演技を展開させた。だからしばらくクリスティーナはイヴァンに抱きかかえられっぱなしだった訳で。
つまりは、照れくさいのが行き過ぎたんだよな。
けっ、と妙な腹いせがてら、ライモンドは隣であれやこれやとクリスティーナに釈明を繰り広げているイヴァンの脇腹をつっついた。びく、と一瞬イヴァンが動きを止める。
「っ・・・、あ、いやね、だからぶつかったのはわざとじゃないし、怪我はなかったんだし。よかったじゃんか、ね?」
「もうあたし、アルレッキーノのごまかすような笑顔には騙されない!そのまま演技続けるなんて何考えてんのよ!」
「でもさ、ほらクリスティーナ軽いし?それにほら、お姫様抱っこも今日の衣装なら映えるじゃん」
「話反らさないで!」
なめらかな茶髪が揺れ、クリスティーナが頬をふくらます。その様子に耐えかねたのか、マルチェロがとうとう噴き出した。
「はっははは、確かにそれはアルレッキーノが悪いな。知ってるか、一応クリスティーナは花も恥じらうお年頃なんだ、そうやすやすと巷の男が触れちゃならんのさ」
「お前の口から花も恥じらうなんて言ってもな」
それを聞いたドナテッロが、ぼそぼそと呟く。『博士殿(イル・ドットーレ)』の性格そのまま、割と神経質な性質だ。ライモンド的にはあまり好きではない(端で早々に着替え始めているジローラモよりはよほどマシだが)が、今のセリフには同感である。
「まぁとにかく!悪かったって!今度からは気を付けるよ。お詫びに今夜の飲み会は俺がおごるからさ、許して?」
「そんなもんで許せるほどあたしは安くないわよ!」
「こーらクリスティーナ、そこまで行くとお前も強情だぞ」
苦笑いの表情でマルチェロがクリスティーナの肩をたたく。彼女のほうはまだ矛を収めきっていないようだが、イヴァンが「さぁ、化粧落としたり着替えたりしようよ!今日の飲みは全部俺の奢りだよー」と声を大にして戦線を離脱してしまったので、それ以上どうしようもならなくなってしまった。
「全くもう、次はないわよ!」
つん、とすましてクリスティーナも離脱。だが、実は舞台終了直後、クリスティーナが一人はにかんでいるのをライモンドは見てしまっていた。
どうしてこうも素直じゃねぇのかな、女ってやつは。
まぁ別に、いいんだけどよ。
言ったら殺されるからやめとこ。そう小さくつぶやき、ライモンドは罪作りな男の背をはたきに行った。
「お前さ、クリスティーナの好意に応えてやるつもりねぇの?」
「・・・何を」
シャツのボタンを外しながら件の罪作りな男に問うと、顔だけ振り向かれた。無論クリスティーナのいる化粧台からは離れたテーブルで、二人着替えながらである。
「俺が応えられるわけないでしょ?一般人とは違うもの」
憎らしげに一般人とは違う、などとは言っているが、それは完全にイヴァンなりの自嘲であり皮肉だ。そんな時は真に受けず、こう返すことにしている。
「そりゃあ、お貴族様だもんな」
そうすると、
「・・・・・最近、上手くなってきたよね」
と微妙な顔をしてこう返してくるのだ。酷い茶番だが、これはこれで面白い。
イヴァンが、自身の素性を暴露してから数か月。貴族である、という以前にあの暗殺貴族サウダーティ侯爵家の者である、ということに座員は皆――座長のマルチェロでさえも――最初はビビっていたが、そんな事を月日は鑑みる気はなく、その後公演をいくつかこなしていく中で、生じたぎこちなさも徐々に消えていった。そのせいだろうか、イヴァン自身も暴露する前より少し人間味が増した気がする。いや、人形のようだったとか決してそういう訳ではないのだが、以前のイヴァン――アルレッキーノとしか名乗っていなかった頃の彼は、どうも品のいい顔に明るい性格を貼り付けたかのような、「奇妙に完璧な男」だったのだ。それがなくなって、少し地の性格とでも言おうか、案外子供っぽいところがあったり、実は結構な自信家だったりと、そう言う一面がでてきた。また彼自身も自分の幼少期の話――訓練、の話は別としてだが――についてもぽつぽつ話したりもして、むしろこの座がよりまとまりを持った感じがするな、とマルチェロもニコニコしている。
ただし、下級キャスト――インナモラータを演じる者たちには、イヴァンの素性については今まで通り一切明かさないこととしている。皆が皆、君たちみたいに心が広い訳じゃないだろうから、というイヴァンの意見に上級キャスト全員が納得した結果だ。だから相変わらずインナモラータ達にはアルレッキーノと呼ばれているし、上級キャストもライモンドを除いては皆アルレッキーノと呼んでいた。四年間呼び続けた名の方がやはり呼びやすいらしい。
「でもよ、マジな話だって。いつまでも分かってて放置しとくのも・・・」
「俺だってふざけてる訳じゃないよ」
手首のカフスのボタンを止めながら、イヴァンが返してくる。そう言えばイヴァンは何故か着替えるのが人の倍ほども早い。
「でもさ、事実どうしようもないじゃん。見て見ぬふりするのが次善だと思ってるんだけど」
「じゃあ最善は」
「俺がどうこうする前に彼女が幸せになる事。但し俺が関係せずに」
「・・・・・」
小声だが、はっきりとイヴァンが言い切った。
「だったら・・・せめて振ってやるとかさ、カタ付けてやれよ。裏から叶うはずの無い片想いを傍観すんのは流石に俺も辛い」
「だったら君が貰いうければいい」
「俺も相手も不幸にしかなんねぇよ、その展開は」
一瞬え、と微妙に顔をしかめたイヴァンだが、そのうちふ、と笑った。
「俺の身元が割れた時点でさ、引いてくと思ったんだよね。でもさー、・・・全く人生とは上手くいかない事にございますれば!」
「馬鹿、声デカイって!」
急に腕を掲げて宙に言い放ったイヴァンの口を慌ててふさぐ。が、その腕をするりと抜けてイヴァンが笑い出した。
「あっはは、いいのいいの。でも俺この一座好きだよ。皆優しいし、ちゃんとシャワー完備されてるし。衛生も心配無し、ご飯おいしいし」
「って、話逸らすんじゃねぇよ!」
追いかけると、身をかわしてイヴァンが逃げた。捕まえられるかな、と挑発的な笑みを浮かべ、それを見たフランカがなんだい騒がしい、と化粧を落としている最中の半端な顔で振り返る。
おしろいで真っ白になったフランカの顔を見て、思わずライモンドは吹き出した。つられてイヴァンがフランカの方を見、やはり吹き出す。
「何だい、急に笑い出して。人の顔見て失礼だね」
挙句、その顔のままフランカがぷりぷり怒りだすものだから、余計苦しくなった。元の話題なんてとうに忘れて、ライモンドもイヴァンも床で笑い悶える。
まぁ、いいのか。良く考えりゃ罪を重ねてるのはアイツで、俺は関係ないんだもんな。
何とか起き上がって、ふらふらしながらもイヴァンの頭を軽くはたく。笑い過ぎたのか、涙を浮かべてイヴァンが痛いよ、とまた笑った。
その時。
不意に、すた、と猫が着地するかのような静かな音が聞こえた。
「え?」
まだにやけてしまう顔のまま、ライモンドは音のした方を振り返った。
「・・・・・ひっ」
端にいたはずのジローラモが。
何者かに。
ナイフを突き付けられていた。
「・・・っ、お前、誰だ?」
口を突いて出た言葉。その冷たい雰囲気に、ぞっ、と血の気が引く。ジローラモが救いを求めるような目を向けてきた。
黒ずくめの、だがしかし明らかに下層民でない事が窺える服。
俯いた侵入者が、顔を上げた。
にっこりと、笑顔。
「久しぶり、兄さん」
誰の?
と思う頃には。
真横からイヴァンが、目にもとまらぬ速さで飛びだしていっていた。