私にとって・3
オチです。
夏目先生は強い人というか、樋口先生の弱いところ・おかしくされちゃったところ込みで樋口先生が大好きなだけです(変態)。だから超献身的。
シャワーで中まで丹念に綺麗にしてやってから、腕を支えつつそっと湯船に浸かる。最初は向かい合うように座ろうとしていたようだが、なにか思うところがあったらしく、俺の胸に背を凭れさせてきた。背面座位のような、と言ったら間違いなく怒られるだろうから黙っておくが、いつもは軽く束ねられている長い髪をアップにしてそこからうなじがこの体勢だとよく見えるのだ。
男にしては細い首、その髪の生え際辺りには古い傷跡があった。怪我を負ってからの処置が遅かったせいで残ってしまった傷を隠す為にこうして髪を伸ばしているようなのだが、時折こういった場面で見るその過去の悲劇の残り香にどうしようもない独占欲を覚えてしまうのは、秘密だ。
傷跡に、そっと口付ける。纏め上げられた髪が一筋こぼれて、なんともそれが色っぽい。こんだけ長く一緒でも飽きずにまだ好きなんだから俺も大概だよな、とは思うが、樋口家に正式に養子入りしたときから別に後悔なんかはしていなかったし、むしろ「こいつが俺から離れて生きていけるわけないのだから」なんていうことに快感すら覚えてしまっていて、もう末期だ。でも、それでよかった。俺の望みはあくまでも、七海がそこそこ元気にきちんと生きていてくれることだ。だから別にこいつが生徒相手に何をやらかしてようが(抱かれていない限りは)気にしないし、注意も嫉妬もする気はない。心だけは自分のものだという自負が、そう思わせてるのだろう。・・重ね重ね言うが、我ながら末期だ。
ぺたり、ともたれ掛かってくる。もう36だってのに、相変わらず綺麗な肌だ。
「・・・今日は、私から誘いたかったのに」
「・・・え?」
一瞬意味が理解できなくて聞き返したが、すぐに分かったのであぁ、と返す。が、そのあとまた聞き返した。
「どういう意味だよ」
「だって・・」
何やら口ごもっているので、話し始めるまで待つ。その間ちょっといたずらしてやろうと背骨の上あたりにそっと口付けると、ひくん、と七海の体が揺れた。
やめてよ、とでも言いたげな、それでいて悔しそうな顔で七海が振り返る。
「・・・私だって、たまには・・いつも、司から誘われるのばっかりで、・・」
再び黙って、前を向いてしまう。ははん、そういうことか。というより、そのことか。いつか言ってくるだろうなとは思っていたが、まぁ、知識欲以外での自我がきちんと出てきたっていうのは悪い事ではないのだろう、むしろこいつの場合遅すぎるくらいで。
確かに、基本的に七海が直接口に出して誘いをかけてくることは、無い。だからって、別に俺が誘うのだって全く七海の意志を無視してる訳じゃないんだけどな・・無論、毎度タイミングが丁度いいだとか、いくら付き合いが長いからって流石にそれは無理だ。けれど、一応、付き合いが長いからこそ、分かることはある訳で。
例えば。 風呂から上がって飲み物を渡すと、その水面を見つめて小さくため息をついていたり。
俺が続けて風呂に入ろうとして結婚指輪を外す様子を、もの言いたげにじっと見つめていたり。
細かい仕草や表情、目線の揺らぎ。多分、俺にしか分からない、七海の欲情のサイン。だからそんなに気にしなくたって、ちゃんと俺だって誘われてるんだけどな。そんなお前の様子がいじらしいからこそ、俺も待ってましたと言える訳で。
「・・・まぁ、可愛いから教えねぇけど。」
「えっ?」
うっかり口に出してしまい、やべ、と黙る。なに、何て言ったの今、と腕を揺すられるが、何でもない、と俺はあさっての方向を向いた。意識させちゃあこういうのは面白くないのだ。無意識にそわそわしてるからこそ遠慮もなく態度に出てる訳で、・・バレたらバレたできっとまた面白い反応を示してくれるんだろうけど。
とにかく。もったいないので、まだこのサインについては黙っておくことにする。ねぇってば、とぱしぱし叩かれるが、無視だ。せめて自分の口から言葉できちんとお誘いの言葉が言えるようになるまでは内緒。もう少し眺めていたいもの、そんなありきたりすぎるくらい平和なこの様子をさ。
そろそろ上がるぞ、いい加減のぼせる。そう言ってごまかすように湯船から上がった俺は、明日の朝食はパンにするかな、なんて事を考えながらも、思わず頬がにやつくのを止めることができなかった。