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Into The Wonder Fairy Tale.

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“ここでかわいそうで、アリスはまた大泣きのはじまり、だって心がとってもせつなくて、しょげていたからね。(不思議の国のアリス「3 ドードーめぐりで長々しっぽり」)”

​ けれど、進み続けるしかないの。

「・・・、白兎、お茶を持ってきて。メルフォート・セイロンがいいわ、それかスペアミントでも齧らせて頂戴」

 数日後。組織に潜り込んでいた“鼠”の始末には片が付いたし、来年度上半期の予算編成も少しずつ組み上がっている。ああ、でも最近5番街に蔓延しているという噂のゴミみたいなアッパー系薬物の取り締まりも・・けれどこれはアリス・ファミリーだけでどうにかできる問題でもないのか。警察、司法、そしてクイーン・ファミリーとの連携も・・・。考えなければならないことが山盛りで、もうどうにかなってしまいそうだ。

 そして、さらに私の気を重くさせているのが、先日の2番街での自爆テロの一件だった。ギリギリ残っていた死体の一部を検査に回したところ、犯人は子供であることが判明したのである。何も、この組織に挨拶をお見舞いしたいからって子供を使う事ないのに・・大方、5番街か4番街にあぶれているストリートチルドレンをはした金で釣って連れ去り、使い捨ての爆弾魔に仕立て上げたのだろう。この街の卑劣さやアングラさについては重々理解しているつもりだが・・まだまだ、甘いのだろうか。

「どうぞ、アリス。少し休憩なされては如何です」

 ありがと、と碌に見もせず差し出されたカップに口をつけると、思っていたのとは違う、優しいミルクとほんのりとしたスパイスが香った。甘い。そして、温かい。

「・・メルフォート・セイロン。リフレッシュなさりたいお気持ちも分かりますが、そういう時こそ優しい味が意外と頭には染みるものです。茶葉はセイロン、そこに少しシナモンとカルダモン、クローブを加えて、ミルクに、はちみつを少々。チャイもたまには宜しいかと」

「ん・・おいしいわ・・それにしても、チャイのレシピなんて良く知ってるわね。いっそコンシリエーレからシェフにでも転職した方が宜しいのではなくて?貴方なら、こんな血生臭い世界じゃなくたって」

 スパイスの香りにじんわりと溶かされて、ため込んでいた黒い感情がどろっと零れ落ちる。別に、そんなことが言いたいんじゃないのよ。貴方がこの数百人が所属するアリス・ファミリーを巧みに掌握して、古株のカポ・レジームたちを手足のように指揮してることだって、知ってるわ。私一人だけじゃ、絶対に無理だった。でも、いえ、だからこそ。八つ当たりだって、したくなるの。私、結局貴方がいなければ何もできない、単なる若造なのかしら、って。

 悩みの種である報告書が、さっと脇に寄せられる。目の前に置かれたのは、小さい頃から大好きだった手作りのプレーンクッキーの皿だ。

「・・私は、貴女にお仕えすることができれば、別にコンシリエーレでなくとも、家庭教師でも何でもいいのです。現に私は、アリス・ファミリーのコンシリエーレでありながら、貴女専属の執事でもあるのですから。組織での座を失おうが、何も痛手など御座いません」

 クッキーを一枚手に取る。多分、チャイ用のスパイスもこのクッキーも、私が今日ここまで苛立つことを見抜いたうえで、前日から準備していたのだろう。分かってる、私だって、貴方が単なる変態じゃないことくらい。そして本当は、コック帽が似合うような男じゃない、ってこともね。

「やっぱり駄目、貴方がシェフなんて。貴方、元来人殺しが結構、好きなんでしょう?抗争で指揮を執らせたとき、ソルジャーを差し置いてカラシニコフ片手に嬉々として突っ込んでったっておじいさまから聞いてるもの。頭の凝り固まった難しい顔のカポ・レジームたちが真っ青になってた、って。そんな人がコック帽なんて・・・防弾チョッキの方が余程似合うわ」

「Uh-oh...あまりそういった血生臭い昔話はアリスの耳に入れて頂きたくなかったのですが・・。別に、人殺しが好きな訳ではありませんが・・シェフという立場ですと、一番に貴女の事をお守りすることができませんから。やはり、私はこのバトラー兼コンシリエーレという立ち位置が、一番気に入っております」

 見上げれば、いつも通りの胡散臭い笑顔で、燕尾服姿の白兎が佇んでいる。ああ、こんなのに八つ当たりしようだなんて、私も大概子供ね。最後のクッキーを口に放り込んでごちそうさま、と手を合わせると、皿を下げながら白兎がある提案をしてきた。

「本日のタスクは既に終了していますし・・気分転換に外出でも如何でしょう」

「外出?ずっと、私には外に出るなと言っていたじゃない」

 私は問い返す。というのも、自分の身を守れるくらいの銃の扱いや体術は叩き込まれているいるというのに、『見た目だけとはいえ10歳近くでしかないレディーが一人でうろついて良い街ではないのです』と、私はずっとこのファミリーの拠点である洋館から出ることを禁じられていたのだ。確かに、これだけ不穏な事件が日々の生活の一部のようになっているこの犯罪都市ではそれも納得せざるを得なかったのだが、それでも、ただこの胡散臭い赤目銀髪男と報告書のタワーだけを見続けて半年、日々苛立ちが募っていた原因には確かに外出できないということも一役買っているのは確実だった。

 無論、ただ遊びに行くのではなく仕事ついでですがね、と白兎は肩をすくめる。

「どうしても行かなければならないところがあるのです。本来は備品管理部門の仕事なのですが、なんせ偏屈な男が相手なもので、並のカポ・レジームが行ったところで門前払いされる可能性が高いんですよ。なのでおいおい私が自分で行くつもりだったのですが・・アリスもまだこの街の事を良くお知りになってないでしょうし、私の仕事ついでで申し訳ありませんが、少し散策でもいかがでしょう」

「行く!行くわ、連れて行って!もう執務室に閉じ込められるばかりでうんざりなのよ、この報告書の山も!」

 「なんとかアリスの機嫌をよくしよう」なんて目論見にまんまと乗せられたのは分かっている。けれど、今はその気づかいにさえ甘えていたい気分なのだ。では支度いたしましょう、と私のコートやら靴やらを揃えはじめた白兎の背を見つめて、もっと強くならなきゃ、と私は呟いた。

 

***

 

 

「目的地は7番街の教会です。我々の本部がある2番街とは隣り合う地区ですし7番街は見通しの良い丘に教会や病院が点在するだけですから、折角です、歩いていきましょう」

 窓から常に見下ろしていた街も、自分の足で立ってみると全く違って見えるものだ。参りましょう、と手を握ってきた白兎もいつものテールコートからフロックコートに着替えている。いつもうなじで結わえている長い銀髪も、上の方で束ねてあった。

「相変わらず、着替えるのが恐ろしいほど早いわね。いつもより、多少ふしだらに見えるわ」

 悔しいことに歩幅が違うため、手を取られるのは良いとするが。ドレスアップなの?と聞くと、まさか、と白兎は眉を下げた。

「燕尾ですと裾が長いので・・7番街は不戦協定区域に指定されていますしまず無いとは思うのですが、仮に襲撃があった際に裾が邪魔になるといけませんから、着替えさせていただきました。髪も同様です」

「・・・どこまでも貴方の行動の動機って、私が理由なのね」

「無論でございます、むしろそれ以外の意味の必要性が私には理解できませんが・・」

 石畳ですのでお足もとにお気を付けくださいませ、と促され、歩き出す。こんなことを素面で言うような男なのだ、私に対してこうでなければ、きっと女性だって選り取り見取りだろうに・・・まぁ、こればかりは彼の性的嗜好によるものであるから仕方がないが、よくぞこれでこの犯罪都市を渡り歩いてこれたものだなぁ、と思う。

 2番街は元々この街に領主なんてものが存在していたころから続く旧市街であるという。そのせいか、地図上で見ても他の地区に比べて2番街は緩く曲がった道が多かった。しかも、南に隣接する7番街から、北の4番街、8番街に向かって標高が下がっているため、坂道も多い。今向かっているのは7番街であり道は上り坂なのですぐに足が疲れてしまうことについては10歳の少女の体を恨むばかりだが、「お疲れになられましたらすぐに言ってくださいね、責任を持って私が抱き運びますので」と隣を歩く変態ににっこりと言われた以上、根を上げる訳にはいかなかった。

 見れば、仕事と言っていた割に白兎は手ぶらだった。・・・音とフロックコートの裾の揺れ方からして銃を携行しているのは分かるが、それにしても荷物が少ない。そして目的地が教会という、謎。何をしに行くつもりなのか、そもそも組織に対して私が命じた仕事が何をどうしたら教会から出てくるのかさっぱり分からないが、とにかくついていくしかないのだろう。一つ、また一つと古い建物の間を縫うように這うカーブを越えて、本当にこの先に教会なんてあるのかしら、といい加減不安になって来たところで、ぱっと視界が開けた。薄暗く古い町並みを抜けた先、本当に目の前に丘が現れたのだ。

「嘘・・全然2番街と風景が違うわ、この街、みんな2番街のようだと思っていたのに」

 ぎゅ、っと白手袋を握り返すと、そうですねぇ、と白兎は通りの末端のサビた鉄の門のようなものを指さした。

「大きなアーチが見えるかと思いますが、あれを越えた先が7番街で御座います。組織間不戦協定で保護されたマフィア・司法共に不可侵の土地ですが、基本的にはだだっ広い丘の上に教会と病院があるだけですね。・・しかしその主たちはそろって、アンダーランドとは切っても切り離せない役割を担っている、とでも言いましょうか・・まぁ、病院はともかくとして教会は説明するより目で見て頂いた方がお早いでしょう。私達マフィアにとっての生命線の一つを握る存在です、舐めてかかると痛い目を見ますが、あまり甘くするとつけあがりますので、重々扱いには気を付けてください、アリス」

 さぁこちらです、と促されるままに、アーチへと近づいていく。あのこじんまりとした教会が、この犯罪都市の生命線を握る?一体、どういうことなのだろう。もとより、恐怖心より好奇心が勝る性格だ。アーチの外へと一歩踏み出した瞬間、まるで世界が変わったかのような気がして、私は逸る気持ちを押えられずに思わず走り出してしまった。

 

 

 

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