Into The Wonder Fairy Tale.
2
続きます。
「ここね、随分と古い教会じゃないの・・・って、白兎?どこへ行くの?」
丘の上へと駆け上がったら、流石に息が切れた。しかし、正面と言ったらここだろう、と入口の重厚なドアに手をついて息を整えている私の横を素通りして、白兎は真っすぐ建物の裏手へと回ろうとしている。呼び止めると、一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした白兎は、すぐに戻ってきた。
「え?・・あぁ、そうでしたね。すみません、いつもの癖で・・恐らく、正面から行ったところで会えやしませんからね。直接本人のところに行った方が手っ取り早いんですよ」
ご説明が足りず申し訳ありません、と慇懃に頭を下げる白兎だが、そんなことはどうでもいい。
「ええと・・お相手はこの教会の関係者さんなのよね?だとしたら、入口はこちらが正解なのではなくて?」
「アンダーランドと呼ばれるこの都市に古くから根付く教会です、まともに昼間から営業している訳が無いでしょう。・・・恐らく、私達が用事のある相手は地下の賭博場にいます」
「賭博場!?・・・教会の地下に、そんなものがあるっていうの?」
驚いて、思わず白兎の顔を二度見した。教会、賭博場。まさかここの神父ったらギャンブル狂なのかしら。
「プレイヤー、であったのならば、まだクソ不道徳神父で済まされますがね。そうではありません。・・貴女がアリスと呼ばれているように、ここの教会の神父は代々「ドードー」と呼ばれています。この街唯一の教会の主であり、大賭博場『カジノ・モーリシャス』のディーラー兼オーナー。そして、先程も申し上げた通り、この街のマフィアの生命線を握る男。今回の用事は、彼の一番最後の側面に関係するものです」
「何なのよ、その生命線って」
勿体ぶらないで教えて頂戴。そう言うと、苦々しい表情を浮かべ、白兎は肩をすくめた。
「武器商ですよ。この街の銃や弾丸、刃物等の流通は全て、この教会の主が管理しているのです。・・お分かりですね、先日、貴女は備品管理部門に対してある命令を下しました。本日はその支払いと、現物の手配の確認に来たんですよ」
武器商。思い至る点が一つあった。
「トカレフ、30丁・・・、ソルジャーたちに持たせていたものが古い物ばかりだったから、新品を手配させなければならなくて・・」
なんということだろう。教会が武器商だなんて、そんな無茶苦茶な事普通考えられないわ。いくら何でも、想定外が過ぎる。この時、郊外の屋敷にいた頃から口癖のように白兎が言っていたことの意味がようやく理解できた。
『いいですかアリス、アンダーランドはワンダーランド。人智や科学、果ては倫理を越えたようなことなど、あの都市では日常茶飯事なのです』
気負わなくとも、比較的ドードーはこの街のキーパーソンの中でも常識がある方ですから大丈夫ですよ。だなんて、落ち着けるように言われたって落ち着ける訳ないじゃない。けれどここまで来てしまった以上、私がこの場で頼れるのはこの変態白兎しかいないのであった。なんとも、奇妙でとんでもない街だ。
***
裏口のインターホンを鳴らして出てきたのは、使用人と思われる年配の女性だった。今呼んできますからこちらでお待ちくださいね、と通された応接間は奇妙なほどに片付いている。
「先ほどの女性、きっとベテランなのね。暖炉の上も塵一つ見当たらないわ」
使い込まれた様子の年代物のソファーにもたれ、私は白兎に話しかけた。武器商、カジノのオーナー、そして神父。そばにはベテランの使用人・・例えば豊かな髭を生やした一見穏やかそうな老神父で、けれどこの街のマフィアに流れる武器を一手に握っているというから、抜け目ない所は抜け目ない、みたいな。そんな風に「ドードー」なる人物のことを想像していると、それを察したのか、老神父などではありませんよ、と白兎は言う。
「あの女性が昔からこの教会にいるのは確かですが―――、ここの主は恐らくアリスが想像しているのとは全く違う男です。年だって、せいぜい私より6つか7つ上だとかそんなところでしょう」
「というと随分若いのね―――尤も、私貴方の年齢なんて知らないけれど。でも、それで私のおじいさまみたいなのを相手にしていた訳でしょう?やり手なのね、きっと」
「まぁ、商売に関してはとことんまでシビアな男です。・・・あぁ、塵一つない、というのは多分ドードー本人のこだわりですよ。酷い潔癖症なんです」
「そうなの?」
想像がつかないわ、と首を傾げた瞬間。階段を上がって来る硬質な靴音に引き続いて、応接間のドアが突然開け放たれた。見上げて、目が点になる。
「堪忍な、遅うなって。なかなか長い帳場になってしもうて」
司祭服・・・司祭服、と呼んでいいのだろうか。
馴染みのない訛りで話す神父は、長いプラチナブロンドの髪を持つ、大層色素の薄い女のような青年だったのだ。
「こんにちはドードー。先日の件の支払いと、引き渡しの事で参りました」
「ああ、トカレフの事やね。勿論準備済みやけど・・・今日持って帰る訳やなさそうやな、何なん、その子ぉは。誘拐でもしたんか」
ゆったりとした訛りの神父は、長い黒服の裾を捌いて向かいのソファーに腰掛けた。ただのロングコートではなく、スリットからプリーツの襞が覗いている。よく見れば装飾も随分凝っているが――例えば袖の細かいレースや腰のベルトの飾りなんかだ―――、彼の癖なのだろうか、耳から零れ落ちる髪を掻き上げる仕草も相まって、どこかの古めかしい貴族階級出身の人間のような印象を受けた。
白兎は笑う。私は黙る。この男が、武器商で、違法カジノのオーナーで、神父。
「ご冗談を。・・・彼女は新しい「アリス」、先代が引退するまでは町の外の屋敷にいらしたのですが、この4月から参った次第で。2番街の自爆テロやら4番街の放火など、物騒なことが相次いでいましたので、今までご紹介することができなかったんですよ」
にこやかに説明する白兎の傍らで、私はドードーと呼ばれる男をじっと見つめていた。白兎と同じ銀の長い髪だが、白兎よりも毛が細く、さらさらと簡単に肩から零れ落ちる。同色の長い睫毛と鋭い空色の瞳が、彼の繊細で冷たい感じ印象をより引き立てていた。特徴的なのは、上品にせせら笑うような、一歩引いた笑い方。そして常に相手の言葉の裏を探るような視線、物言い。薄く唇に刷かれた紅もきっと何かしらの印象操作を狙っているものなのだろう。単なる司祭にしてはあまりに艶やかすぎるその仕草から感じるのは、女性らしさというよりはむしろ、狡猾さや威圧感の類のものだ。
『舐めてかかると痛い目を見ますが、あまり甘くするとつけあがりますので、重々扱いには気を付けてください、アリス』
先程言われた、白兎の言葉を思い出す。つまりそんな男と、私の執事は今こうしてにこやかに世間話をしているのである。そりゃそうだ、もとより白兎は先代アリス――私の祖父に仕えていたのだもの。私が知らないことを知っているのは当たり前、そして、私が知らない相手を知っているのも、当たり前だ。そんなの、分かってるんだけど。
「はん、成程なぁ。何や最近随分街中が荒れとるとは思っとったけど・・・「女王」もやたら最近気が立ってはるらしいし、「墓場」も・・まぁ、あそこが死体やら浮浪者やらで溢れかえっとるんはいつもの事か、ほんでもちぃと増えた、みたいな話は「墓守様」が言うてはったなぁ」
ぎし、とドードーがソファーの背にもたれかかる。女王?墓守?女王というのは、クイーン・ファミリーの首領たる「ハートの女王」のことだろうか。女王の気が立っている、というのは知らなかったが、クイーン・ファミリーの拠点がある6番街の治安が変に不安定だという話は聞いていた。きっとそれはそのこと、けれど、墓守って?墓場って、どこの事?斜に構えた嘲笑や慇懃な笑顔が飛び交う部屋で、私は、何もわからないままだ。
驚き、晴れあがった気持ち、新鮮さ、全てがまた憂鬱に沈んでいく。色々なことを勉強して、色々なものを身に着けてきたつもりだったのに、いざ、実務になってみればこのザマだ。アリスファミリーの首領は私よ、なんて思っていたのに―――けれど、現実、私には悔しがる暇も時間も資格も、無い。
“俺だけ、取り残されたままで。生半可な努力じゃ、経験の差を埋められない事なんて分かってたはずだろ?”
早く、差を埋めなきゃ。早く、もっと大人にならなきゃって。ここ半年、漠然と抱えていた不安がいま、こうして形になる。結局のところ、アンダーランドで戦っていくための力を身に着けるには、机の上で覚えたことをこうして地道に、現実とすり合わせていく以外に方法はないのだ。時間はかかるし、簡単にできることじゃない。だって元の年を考えても、所詮私は子供を抜け出したばかりの未熟者なんだから。けれど、子供だから、と言い訳をできるような立場じゃない。1000人近くの構成員の命を、私は預からなければならないのだ。
弱音を吐くな。惨めだからって、情報をシャットアウトするな。分からないことは聞け、知らないのなら覚えろ、理解しろ。感傷に浸っている暇など――――
「お嬢ちゃん?そないな泣きそうな顔したらあかんよ」
頭に優しい重みを感じて、私ははっと顔を上げた。いけない、私、泣いてる?目元を拭うと、擦るのはもっとあかんて、と、向かいに腰掛けるドードーが、私の頭を撫でた。
「せっかくのかいらし顔が、赤うなってまうよ。堪忍な、お嬢ちゃんにはまだ説明してへんのやったんやろ、この変態兎は。しゃあない、着任から半年、しかもほとんど外に出てへんのならそらぁ何も知らんのは当たり前や。そうそうこの街の仕組みやら因習やら因縁は簡単に理解できるもんやないし、長く住む俺かて迂闊に触れられんようなこともぎょうさんあるよ。・・・そのために、そこの兎がおるんやろ。棟梁やゆうても、何でも一人でしょいこむことあらへんよ、な?」
ほら、顔上げや、と、そっと白のハンカチを差し出される。ああ、駄目だわ。本当にじわっと来ちゃう。でも、受け取るのはその言葉だけ。私、きちんと覚えているもの。
「ええ・・・ありがとう、気持ちだけ貰っておくわ。自分が未熟者だなんてこと、良く分かってるもの。ただ精進あるのみ、ね」
アリス、と狼狽える素振りを見せる白兎が、さっきからひそかにこちらを観察しているのには気が付いていた。ええ、だから私は受け取らないわ。それが正解なんでしょう?
毒を仕込ませるのならば指輪、次いで、ハンカチ、ってね。貴方が教えてくれたのだもの。試されるようなやり方はとても好かないけれど、引っ掛かりもしないわ。平気ならええけど、とハンカチをしまうドードーと、それを見て一瞬口元だけで笑った白兎。そう、真っ先にまず越えなければならない男が、すぐ隣にいるじゃないか。弱気になっている場合ではない。
***
「・・・では、あとで受取のために数人遣りますから、くれぐれも変な理由つけて追い返さないで下さいね。支払いはその時に、小切手で。組織宛てにしておいて下さい」
「はん、あんまり阿呆面ばっかり揃えられたら追い返してまうかもしれへんけど。いつ頃や」
「では、明日の午後2時に」
「ん、もう一時間遅らせてくれへん?丁度そのあたり、明日葬式があるからその片付けの最中やろから」
「了解致しました。くれぐれも粗相の無いよう厳しく言っておきますから、スムーズな受け渡しを期待していますよ、ドードー」
「はいはい、分かった分かった」
もう行きや、次のコーカスレースが始まってまうわ、とひらひら手を振る悪徳神父を背に、私達は7番街の丘の上に立つ教会を後にする。改めて仰ぎ見てみれば、年季は入っているものの、ステンドグラスの美しい建物だった。
「・・・先ほどはあのような流れになってしまいましたが・・、端的に言えば、彼らはこの街で我々が組織を運営していく上で必要になっていく、カードのようなものです。貴女はただ、適切なタイミングで適切なカードを切れば良い・・ただ、今はそれぞれのカードのメリットやデメリットをまだ把握しきれていないだけ。うまく付き合えば、必ず貴女に、そしてファミリーに、利益をもたらします」
白兎の静かな言葉に、私はただ、ええ、と呟く。言外に、自分も同じ一枚のカードであると言いたいのだろう。そして、私自身も。お足もとにお気をつけ下さいませ、と差し出された純白の絹手袋の手を取って、エスコートされるがままに私は歩き出す。別に白兎が冷淡な訳ではない、これがこのアンダーランドでは普通だというだけ。慣れていかなければならないことの一つだ。
「分かっているわ、もう怖がったりしない。けれど、私は要らないカードに餌をやれるほど心が優しくないの。必要ないと思ったら、切り裂いて焼却炉行きよ」
貴方もね、と含ませたのは、仕返しのようなものだ。信頼してない訳じゃあ無いけれど、彼の言い分からすれば、組織にとって駒でしかないのは私も彼も同じなのだし。けれど、白兎はただ、いつものような胡乱な笑みを浮かべるだけだった。ご立派なお覚悟です、なんて余計なトッピング付きで。
「・・そうだ、折角ですし、3番街経由で帰りましょうか。起伏と九十九折を考えれば大した遠回りにはなりませんし、あの地域は不戦協定区域には入りませんが、この街じゃ治安がいい方ですので少し歩くには丁度良いでしょう」
話を逸らされた気がしないでもないが、まぁいいだろう。3番街――この街のなかでも、特に私にとって何の印象もない地区だ。散策の提案か、もう仕事は終わってるし、いっか。
「3番街・・・というと、お偉方の住む高級住宅地、と言ったかしら。どうしてそんなところがこの街にあるのか不思議だけれど・・」
犯罪都市と呼ばれるアンダーランドで唯一、変に平和ボケした地域、というか。薬物の噂も聞かない、“綺麗な”地区だ。
「元々、現在の8番街を長らく領有していた家の邸宅が建てられたのが始まりだそうで。そのおかげで比較的この土地の中でもまだ秩序があったというか、つまりはその安寧に少しでも与ろうとした成金商人や役人たちが居を構え始めたのが最初である、と聞いております」
成程。と同時に、8番街、という響きに私は思わず眉をひそめた。一般人どころか手練れのマフィアでさえ、一度入ったら二度と生きて出てくることはできないと言われている、アンダーランドの最奥の地区。白兎も今までに3,4度しか立ち入ったことがないと言っていたが、あの広大な森を抜けた先にあるという市街でさえ、少なくとも正気の人間が長い時間滞在していい場所ではない、とのことだった。
「確かに、そんな土地の管理人が住む家の近くなら、秩序も保てそうね。うっかり機嫌でも損ねようものなら、そのまま8番街に連れていかれてしまいそうだもの」
「実際にそういう例もあったようですね、かつては・・・先程ドードーが口にしていましたが、あの土地が“墓場”と呼ばれる所以はそういった昔の話から来ているんです。その管理人の家の者は通称“墓守”と。・・・まぁ、貴女が直接墓守に会う必要も機会も、全くありませんからご心配なく。それこそ捨て札のようなものですから」
「触らぬ神に祟りなし、というやつかしらね。・・・分かったわ、でも、必要なときが来たらきちんと教えて。捨て札とはいえ、拾わねばならない時が来るかもしれないから」
言うと、白兎は少し困ったような顔をして、かしこまりました、と言った。そう、使えるのなら非合法なものまで何でも余さず使うのが、商売人の流れを汲むというこのアリス・ファミリーの流儀なのだから。それにしても、あのいつも奇妙ににこにこしている白兎にこんな顔をさせるその“墓守”って一体どういう人物なのかしら、とふと胸の内に湧いた疑問を抱えて、私と白兎は屋敷の立ち並ぶ3番街の方向へと丘を下った。