アルレッキーノ、
または高貴なるイヴァン
1です。
とある時代の即興喜劇の劇団のお話。
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「まずい、またメルカトーレ広場まで来ちゃった!どの道に出たって一周回って絶対ここの広場に戻るような構造になってやがるんだ」
「コラァッ!!待ちなさいよ、アルレッキーノッ!!」
「うわっ、もう追いつかれた!全く、歳の割に足が速いんだから」
「何か言ったかい!?」
「しかも地獄耳と来たもんだ!」
どっと、会場に笑いが漏れる。よし、うまくいった。舞台の中央、前面のほうで慌てた素振りを見せれば、フランカ演じる女将さんが追いかけてくる。その後ろからライモンド・・・じゃなくてカタピーノ(隊長殿)、それによぼよぼのイル・ドットーレ(博士殿)と、今回はインナモラータ(恋人達:エキストラみたいなもんだ)に仕えるお嬢さんに目を付けた好色ジジイのパンタローネが顔を出す手筈だ。
アルレッキーノはずっと客席のほうを向きっぱなしだから、袖にいるキャストたちとはアイコンタクトをとれない。多数のキャストたちの足音の中から、フランカ――女将さんのものを聞き分け、こちらに向かってきたタイミングを見計らい、呼吸を合わせて、アルレッキーノは中央から左奥に飛び退く。
宙にいる最中、ついさっきまでいた中央に女将さんが走りついたのが見えた。よし、タイミングはばっちり。
「全くあの男、あたしの可愛い可愛いイザベッラに手を出しときながら逃げるなんて!今度こそは許さないよ、さぁ出てきな!」
舞台に向かってがなるフランカ。口うるさいオカンの役が妙に似合うのは、本人自体がそうだからなんだろうか。
舞台の裾に引きながら、ちょっと叫んでみる。
「嫌だね!出てきな、って言われて出ていく馬鹿がどこにいるんだ」
笑いがさざめくと共に、そうだそうだ、と客席からヤジが飛ぶ。こういうのが面白いんだよね、即興劇ってのは。
に、と、アルレッキーノは笑みをこぼした。
今回の演目は、時勢を絡ませた風刺劇ではなく、恋を題材としたドタバタ喜劇だ。
好色なパンタローネに目を付けられていたお嬢さん、イザベッラは、顔だけはいい軽率なペテン師・アルレッキーノに恋をした。そして思いきって夜、アルレッキーノを部屋に誘うのだが、丁度二人でいい雰囲気になっているところをタイミング悪く女将さんに見つかってしまう。が、女将さんは「アルレッキーノがイザベッラに夜這いをかけた」と早合点し、敵意を向けられたアルレッキーノはさぁ大変。お嬢さんを守るために罪をひっかぶって逃げるアルレッキーノを女将さんがひたすら追いかけているうち、夜中だというのに街中が大騒ぎになってしまう、といったあらすじである。
確かにこの話のアルレッキーノは動きが多いし、息を合わせて他のキャストをよけながら演技をしないと舞台上で邪魔になってしまう。だが、「○○が△△を叱り飛ばす」だとか、そんなアバウトなト書きしか書いていないような脚本を演じていると考えると、今回一番大変なのはむしろイザベッラ:お嬢さんを演じるクリスティーナなんじゃないのかなぁ、とアルレッキーノは思っていた。
「さぁ、あの小賢しい男を追いかけるぞ!顔だけペテン師をとっ捕まえるのだ!」
剣を振り上げながら、女将さんの隣にやってきたカタピーノ:隊長殿が声を張る。舞台に上がるとライモンドは性格が変わる、というのは、最初の公演で理解した。
舞台左に捌けた俺と逆に、カタピーノと女将さんが右に捌ける。今はインナモラータ達の声の効果で、俺は街を逃げ回っているはずだ。ここでだいたい7秒ほど。舞台を挟んだ向こう側、薄暗い袖の後ろでカタピーノと女将さんを見つめ、呼吸を整え、うっかり逃げている最中に鉢合わせしたような演技を。
さぁ、走れ。
飛び出す。
「っと!?」
「ああっ、見つけたぞっ!」
とまぁ、ここで予想外にも、先に飛び出してきたのはインナモラータの一人だった。仕方ない、真剣に驚いたのを利用して、逆方向に逃げる。
「チッ・・・逃げるまでさッ!」
「待てェ、アルレッキーノッ!!もう逃がさんぞォ!!」
「あんたたち、捕まえな!」
ナイスだよ、フランカ。叫んだフランカの混乱ぶりが――これが演技なのかどうかは分からないけど、ともかく、インナモラータ達の混沌とした突進を生み出した。
「うわっ、こりゃ袋の鼠だ!」
わたわたとしている間に、向こうの舞台袖からどんどんとインナモラータが溢れてくる。あっという間に周りを囲まれ、その中の一人が「流石です、アルレッキーノさん」と声をかけてきた。即興喜劇でトリックスターやるならこれくらいできなくちゃ、と小声で返すと、いい笑顔でぐっと親指を立てられた。
全く、こんな時にまで。呆れつつも、思わず笑ってしまう。暢気というかなんというか、自信たっぷりの奴らばかりだ。
アルレッキーノさん、ちょっと失礼しますね。後ろのインナモラータの人がそう言ったなり、アルレッキーノの両手首を誰かが捕まえて、ぐい、と後ろ手で縛られた。―――無論、軽くである。人がごったごった溢れかえっている状況を利用して、捕まえた状態を作ってしまおうという魂胆だ。
少し捻り上げすぎな気がしないでもないけど。まぁ、舞台に多少の痛みはつきものだ。アルレッキーノが縛り上げられた状況が完成し、わらわらとインナモラータが散った。手首縛られてる状態で立ちっぱっていうのもなぁ、と、アルレッキーノは片膝をつく。少し背筋を曲げて呼吸を大きくすれば完璧だ。引っ立てられた間男の図。
「さぁ、とうとう捕まえたよッ!」
ここで出てくる、ヒーロー?女将さん。びしっと指をさし、観念しな、と不敵に笑う。そのうち、インナモラータが引っ込んだ向こうからカタピーノ:隊長殿、イル・ドットーレ:博士殿、パンタローネなどがそろそろと出てきた。
本日一番の大舞台の始まりだ。
「わしの愛しい愛しいイザベッラを、お、お前は」
本人はそんな歳でもないのに、やけにじじいの演技が上手いマルチェロだ。流石座長というだけある。
ここのト書きはたった一言のみ。「開き直ったアルレッキーノが、クリスティーナを連れ去る」。これで話が終わるのだが、さて、どういう風に展開させようか。
よし、ヒールとして開き直ろう。
「くくっ・・・・くっ、ははは、ははははっ!」
片膝をついて俯いたまま、高笑い。狂った印象を持たせないよう。あくまでも、傲慢な高笑いを目指す。
ざわついていた客席がだんだんと静かになっていく。完全な静寂に自分の笑い声だけが響いているのを確認し、アルレッキーノは転ばぬように立ち上がった。
足を少し開き、後ろ手に縛られていながらも堂々と立つ。タイミングを見計らい、俯いていた顔を、上げ、言い放つ。
「されども女将さん!貴女は知っているか?」
「な、何をだい」
焦りを見せる女将さんをよそに、アルレッキーノは軽快な足取りで舞台中央に進み出る。ここで、手首を縛る紐の結び目をいじり、はらり、と解き落とした。
客の視線を一身に集める。中央列の少し左側、目を輝かせてこちらを見てくるお嬢さんにウィンクをかますと、ぽっとお嬢さんが赤くなった。
さぁ、フィナーレだ。
「皆さまもご存じ、ここはイタリア。イタリア男ならば、」
言葉を切り、後ろ手にしていた腕を、ばっと広げる。
ほう、と感嘆。軽いステップを踏むふりをして、紐を後ろに蹴り飛ばす。
「美しいお嬢さんに声をかけないのは、却って失礼!」
どっと、空間が湧く。胸を張って言うことで、激しい開き直りを表してみたのが見事に嵌ったらしい。
ああ、心地良いね、この喝采。
テンションが上がる。
ぐるん、とターンし、後ろに引く。再度女将さんに向き直ると、即座にセリフが飛んできた。
「そ、そんなこと言ったってあんた、うちの娘が美人で器量よしなのは認めるけどさ」
親バカめ、とどこか楽しげなヤジが飛ぶ。うるさいよ!とフランカが叫び返して、更に沸いた。
「でも、この子はもうパンタローネと婚約してるんだよ!それなのに、またあんたは」
「イザベッラは美女だ!そして、俺はもっと美男だ!美男美女がくっつかなけりゃあ物語は終わらないんだよ、女将さん」
「ちょ、アルレッキーノ!」
舞台の袖に近いほう、ドットーレがいるさらに後ろにいたイザベッラを、アルレッキーノは引っ張り出す。
「あ・・アルレッキーノ」
「イザベッラ、ほら行こう!こんな堅苦しい町とジイさんなんて捨て置いて!」
華やかなほうがいいか。単に引っ張ってくだけじゃ芸がない。
お姫様抱っこ。イザベッラのひざ裏を持ち上げ、軽々と抱き上げる。
そのまま舞台中央、センターに躍り出た。
「アルレッキーノ・・・・やっぱり私、貴方のことが好きよ!」
「ああ、わしの愛しいイザベッラ!」
「愛しいわが娘!」
ぎゅ、とイザベッラが抱き付いてくる。フィナーレにふさわしい良い演出だ。銀の薔薇座の花形ヒロイン・クリスティーナはどんな役でも演じきる。もっとも、この演出については彼女の私情も多少なりとは混じっているのだろうけど。クリスティーナが自分に惚れているというのは、アルレッキーノ自身もわかっていることだった。だが、鈍感なふりをしていつもやり過ごしている。色恋沙汰はもう御免だ。
ちく、と胸の奥が一瞬痛む。それをすぐに吹き消して、アルレッキーノはクリスティーナ演じるイザベッラを抱いたままくるりと一周回って見せた。
「・・・さてさて、美しいお嬢さんも手に入れたことだ、俺たちは南に逃げてバカンス、さびれた町は置いてけぼり。それではこの舞台は?これにて閉幕といたしましょう!」
シメの言葉は俺で決まりかな。アルレッキーノがクリスティーナを下すと、後ろにいたキャストたちが舞台の前方に出てきた。無論、トップはアルレッキーノ。それくらいはみな弁えている。
タイミングを見計らい、アルレッキーノは右腕を高く掲げる。それを胸元に引き寄せつつ、優雅に一礼した。
「さてさて、本日の舞台はこれまで。二度と繰り返されることのない、役者の顔も言葉も真夏の夜の夢と化す。その夢も、醒めるときがいずれやってくるものなのです。
さぁさ皆さん、夢の中からお帰り下さい!我ら銀の薔薇座は、またこの愉快な夢の中で皆さまをお待ちしていることでしょう!
束の間の夢から覚めた後は、辛いつらい現実が待ち受ける。そこから逃れたくなったら、またおいでくださいませ。いくらでも夢を見せて差し上げましょう。それでは、Chao!」
アルレッキーノが手を振り上げたのを合図に、キャストたちが客席に一礼して幕が下りる。視界からだんだんと観客を覆い隠していくカーテン。最後まで気取った立ち方を保ったまま、アルレッキーノは鳴りやまない盛大な拍手を聞いていた。