Into The Wonder Fairy Tale.
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続きます。
待ち合わせは、奈落の橋と呼ばれるメインストリートの橋の上だった。その下には、上流の3番街から、下流の8番街へと、何もかもを流す汚い川が。この川で2番街と5番街が隔てられているからこそ、大した規則が無くとも拠点である2番街が荒れることはないのだが、死体が上がっただの酔っ払いが乱痴気騒ぎを起こして落ちただの、いつもいつも血の匂いが絶えない川だ。
これが、過去の紛争では水の流れをせき止める程の死体で溢れかえっていたという。流石に腐敗が進むと疫病の元となるということで、全て死体は引き上げられることになったそうなのだが・・墓地を作るような土地も無い川沿いの土地で、結局その大半は8番街の森に投げ棄てられたとのことだ。ちなみに、死体を運ぶ人間ですら最終的にあの森の狂気にあてられて使い物にならなくなってしまい、運びきれなかった残りが、川を挟んだ隣の2番街に埋められたという。アリス・ファミリーの拠点の建物が改修できないのは、建て直そうとする場合死体を多く含んだ軟弱地盤ごとどうにかしないといけないから、なんだそうだ。
とはいえ、少し不思議なのは、その川から上げられた死体の大半が兵士ではなく、当時アンダーランドに住んでいた一般人であったという噂があることだ。
白兎に聞いたら、「自分も確信はできないが、ある種の民兵や義勇兵のように住人も戦闘に参加したのではないか」と言われたが・・果たして、自分たちの街を守るという目的の為に、訓練されたわけでもない一般人が死の恐怖を乗り越えられたりするものなのだろうか。
私も何度か“殺す練習”はしているから、殺し殺される恐怖というのは多少ならば分かっているつもりだけれど。正直、日常の延長のように人を殺せる白兎を見ていると、時折気分が悪くなるのは本当だ。
「Hey, お嬢さんとそこの木偶の坊!相変わらず目立つ頭してんね、俺の目でもすぐ分かったよ」
「ふぁッ!?」
突然、白兎の頓狂な声が聞こえた。その肩越し、後ろで茶髪の男が笑っている。お茶目にウィンクしたその男・・いや、待って。この男、いつからいたの?白兎の背後を取るなんて、尋常じゃない。
「ちょ・・・ッ、いつから後ろ、というか三月ウサギ、驚かさないで下さいよ!」
「へへ、この街でお前の背後取れるのなんざ俺かチェシャくらいなもんでしょ。やらなきゃ損々、ね、お嬢ちゃん」
「え、え・・・?」
ひょこり、と白兎の後ろから姿を現したのは、それこそ、あまり白兎と年の変わらないような陽気な男だった。ぱっちりとした愛嬌のある茶色の瞳、ハーフアップの癖毛。蝶ネクタイにカフェエプロンという姿は、どこかの娼館のボーイを連想させた。
娼館。そういえば、この5番街にはそういった建物もあるんだっけ。私の一番身近にいる男性、つまり白兎は「そういう」意味ではある意味非常に潔癖なので、そんな雰囲気全く感じたことは・・ないとは言わないけど、普通の意味で俗っぽい男性とあまり接する機会のなかった私にとっては、何だかそのボーイのような人物が非常に物珍しく思えた。
ん?と、三月ウサギ、と呼ばれたその男性は首をかしげて微笑む。うさぎ、うさぎ・・突然の登場に驚いて頭がすっ飛んでいたが、よく考えればその三月ウサギ、というのも随分素っ頓狂な名前だ。いや、芋虫先生だって神父のドードーだって、変な名前といえば変な名前なのだけれど。
その陽気な男は腰をかがめ、私の手を取りそっと手の甲にキスをした。
「初めまして、お嬢さん。ご紹介に与りました通り、俺は三月ウサギと申します。5番街で大人気のバー"沼の藁ウサギ"と、奥の娼館をやってて、基本"タルト"から"紅茶"まで、武器以外は色んなもの取り扱ってるよ、もちろん認可内で。んで、分かるっしょ、白兎とはガキの頃からのマブダチでさ、こうして祭りの日にピックアップ頼んでくるくらい仲良いのよ~」
「その汚い手でお嬢様に触るなァッ!!!絞め落とすぞッ!!!」
「いっだぁ!!!?」
あの白兎が、結構本気で三月ウサギの頭をぶん殴った。振りかぶり方が完全に喧嘩のフォームだ。いや、待って。ガキの頃からのマブダチですって?
「あなた、白兎に幼少期なんてものがあったの!?」
「何言ってんですかアリス、私だって人間ですが!?というかもう、手拭きますよ!!アリス手ェ出して!!」
あああ!と大声をあげながら、白兎がポケットから取り出したのは・・アルコール入りのウェットティッシュ。貴方、ハンカチといえばシルクの高級品しか認めないみたいなタイプじゃないの。ごしごしとウェットティッシュで手を拭われながら、私は面白いくらいにうろたえる白兎と、それを面白そうに見下ろす三月ウサギを見比べていた。
「あはは、大げさだなこいつ。お偉い勤めだからって粋がってても、ここじゃ身ぐるみ剥がされておしまいだよ?まー、こんな日にアリスファミリーのコンシリエーレ襲ったなんつったら、一瞬でスペードのクイーンに挽肉にされちゃうだろうけどね、ンな命知らずは」
早く行こうぜ、あいつも待ってんだよ、と三月ウサギが白兎を引きずって立たせる。そういえば、本命はこのボーイではなくて別の偏屈だと、言っていたっけ。
「アリス、ここからは狭い町で人混みも激化しますから、冗談ではなく手を離さないでくださいね。私も不本意ですが、こいつの腕をひっつかんでいかないと、流されてしまうくらいですので」
「Haha!なんせ今日は再征服の日!年に一度のお祭りだからねェ。ま、あの野郎は相変わらず店のシャッターまで下してアトリエに籠りっきりだから、店までたどり着きゃ安全だよ。そこまで頑張れ、お嬢ちゃんにお付き様!」
橋を渡り切った先は、雑多なテントに切れかけのネオン、露出の多い女、酔いつぶれたのかラリっているのか分からない、薄汚い男。そしてそれすらも塗りつぶすほどの大きな歓声や空砲の音が、この幾度となく血で染められた地に、再征服の祭りの始まりを告げた。
りん、りりん。
喧嘩の罵声や商売女の嬌声が、ふと遠ざかった。
周りを見ても、人、人、人。そのはずなのに。
りん、りん。
何か聞こえる。何か、見える。
時の流れが、緩まる。音が、遠くなる。その中で、涼やかな鈴の音が、まるでしっぽのように揺れる白銀の長い髪が、ちりん、と、揺れた。
潰されそうな人混みにまぎれる鈴の音が、誘うように響く。舞うように、髪が跳ねる。
そっちね、私、ついていけばいいのね。
ぼやけて揺れる景色の中で、何か強い力に惹かれるかのように、私は歩き出した。
鈴の音が、こだまする。
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